
ゆる〜い距離感のままで
介護は嫁の仕事
義両親の近くに移り住んで来た当初、これだけはやっぱり避けられないのかなぁ〜と半ば諦めていました。
しかし、度重なる義父母の応酬に私の中で、その考えは次第に変わっていきました。年を重ねるに連れ、果たしてそれがお互いの幸せにつながるんだろうか…と。
介護殺人という痛ましい事件を耳にする度に他人事ではないと感じるようになりました。
ある日、広報誌の募集をきっかけに介護職の資格を取ることに決めた私は、即、行動を起こします。
これが自分の意識を変えるきっかけにもなったのです。
資格を取った私は、従来の仕事と掛け持ちで、現場でも働かせてもらいました。アラフォーの時です。
まだまだ義父母も元気でした。
現場で、高齢者とその家族に関わるうちに
私には、"介護は無理だ"と感じるようになりました。これは、義両親も実の親も同様に。
資格を取って10年後、思ったより早くその時は来ました。
脳梗塞でニ度、義母が倒れ、幸い後遺症はなかったのですが、義父は、じっとしとけ!と優しさなのかいたわりなのかはわかりませんが、義母を外に出そうとしなくなりました。そのうち、筋力が衰えた義母は胸椎の圧迫骨折で動けなくなります。
義父母の仲が険悪になったのはこの頃です。どちらも70代後半でした。
義母は、嫁の出番よ!と言わんばかりに私を動かそうと策を講じます。
決して、私は言いなりになる事をしませんでした。
介護は長いのです。人一倍欲が深い義母のこと。私の方が先に潰れてしまうことが目に見えていました。
一方で、夫は連絡があるとすぐ駆けつけます。週末、夫におかずを持たせ、私は、しばらく、様子を見てみようと待ちました。
そのうち、義父の様子がおかしくなってきます。
ある日、義母が「お父さんが、包丁を振り上げた!」と言うのです。
そのタイミングで、私は義母に声をかけます。
「一日中、二人で顔を突き合わせていても煮詰まるでしょ。ひとりになる時間も必要だと思うけど。」と、
義母を外の世界へ誘いました。
もちろん、介護サービスを受ける為。
手始めにデイサービスをいくつか見学しました。義母は、この歳で施設なんて!と尻込みしますが、実際に見てみることで、行ってみようと言う気持ちになってきたのです。
義父との生活に嫌気がさしていた頃ですから、義父といるより、こっちの方がマシだわね、と思ってくれたに違いありません。
そこからは、トントン拍子に話が運んだのです。が、
最終段階で夫と義父の反対にあいました。
義父は
そんな介護サービスなんてみっともない!と世間体を気にして。
夫は
行動するのは良いけど、大丈夫?責任取れるの?義母の性格をわかってやってるの?と。
もちろん、私は
「最後まで責任を取ります!」
最初は大変でしたが、手続きが済めば、あとは、ケアマネジャーさんやプロの方の知恵をたくさん借りることができました。
みるみるうちに、義母に活力が戻ってきました。杖なしで歩けるようにもなりました。
相変わらず、台所には立とうとしませんでしたが、親戚から宅配サービスを勧めてもらい、何とか食べることと自分で動く自由を手に入れ、義父も介護サービスの有り難さを実感することになります。
それから、まもなく、義父に癌が見つかり、入退院を繰り返すようになりました。退院後は、筋力の衰えが顕著で転倒も多くなりました。
今度は義母が根を上げ、そのタイミングで、義父も介護認定を受けることに。
義父は、訪問看護、訪問介護、訪問診療など、終末期で緩和ケア病棟にうつるまで、自宅で様々な介護サービスを受けました。
あんなに
みっともない!と言ってた義父ですが、ありとあらゆる場面でプロの方の助けを借りたのです。
義父母が反面教師。
本当に思うのは、義父や義母が私の苦手な人で良かったという事。尊敬する相手だったら、たぶん、自分が潰れるまで介護をしていたのではないだろうかと。
一線を引くことで、私の生活が守られたこと。
自分の行きたい時に行って顔を見る程度のゆる〜い距離感を保ったからこそ、今があると思っています。離婚もしなくて良かった…(何度も危機はありました)
夫は、親だから、息子だからと、抱え込みすぎて、途中、鬱症状にもなり、義母の要求されるがままに動かされ疲弊し、
「もう、いなくなればいいのに!」という心境にまで陥ったことがあります。
今でも、義母は生きているので、夫は苦しんでいますが(またの機会に書きたいことです)
なんとか、いろんな人の協力を得て施設に入ってくれたので安心確保!
今日もテレビで桜情報が流れています。
義父と最後に観た桜並木を思い出しています。
恰幅の良いお洒落な義父でしたが、最後は細くなった身体を車椅子に預けながら、寝巻きのまま花見に来たのを後悔していました。
寂しそうに観る義父の顔と桜並木がなんとも対照的で。
毎年、桜情報を耳にする、この季節は物悲しくなります。
明日は、その桜並木を通ってみようと思います。