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ピアノに憧れた少女

休み時間の音楽室で
猫踏んじゃった♪をいかに早く弾けるか。

そんな遊びをやってた私は

いつか、エリーゼのために♬を弾けるようになりたい…


ピアノ🎹は、私の憧れだった。


小学一年生から習い始めたピアノ。

お習字やそろばんもほぼ同時期にスタート。

近所の同級生や上級生と一緒に通った。

当時の習い事としてはスタンダード。

今で言う、スイミングや英語教室とかの並びになるのか、、

お習字やそろばんは、男の子たちもいたが

ピアノは、女子だけで通った。

小柄でコロコロした体つきの優しいおばあちゃんがピアノの先生だった。

田舎では珍しく、都心の有名大学出身だということを聞かされていた。

先生の偉大さはさておき、

立派なお屋敷だったので、お嬢様だということは、子どもなりにも理解はできた。
広いお家に先生と旦那様の二人暮らし。

周りが木々に囲まれていたせいか、道路からはお屋敷が見えず、
なが〜く、緩やかに曲がったアプローチを通らなければ、お屋敷までは辿り着けない。

通りに面した入り口には、大きな門柱が立っていて、両脇には丸く剪定された柘植の植え込みが、ずら〜っと奥の方まで続いていた。

門から玄関まで、車がギリギリ通れるくらいの細く長い小道が続く。

その長さといったらどう表現すればいいだろう。

グリコ遊びや石けりなどをして遊べる長さで、ちょっとした道くさを楽しむには充分な距離だった。

レッスンに行く前のワクワク感がその小道には、隠されていた。
時にはヘビが横切ることも。
梅雨時期にはアマガエルやカタツムリを見つけては楽しんだ。

みんなで行ける時は楽しいが、
ひとりで行くにはちょっとだけ、勇気のいる道。

雨の日はいつも以上にその道が長ーく感じられた。

季節によっては、かすかにくちなしの花の香り…

今でもその香りに出会うと当時の記憶がよみがえる。

いつ頃だったか

ある日を境にその道をひとりで通るのが常になった。

ピアノがなかったから。

と言うのが最初のきっかけ。

そして、次第に小道を通ることより

ピアノがある空間

を独り占めにできることに夢中になった。

レッスンも上級編になってくると、家に置いてあったオルガンでは、鍵盤が足りなくなり、曲が中断した。

友だちのようにピアノが欲しい!と

無理なお願いを母にしてみたが、やはり、ダメだった。

少女の一時の憧れに過ぎないことを母は見抜いていたのだろうか。

「ピアノの先生になりたいの?」

と、逆に聞かれた。

なるつもりがあったら、買ってくれたのだろうか…

家が狭いと言うことと
たぶん、経済的な理由があったのだろう。

妹も少し遅れて習い始めたのだが、すぐに辞めてしまった。

私ひとりだけに費やすには、ピアノは少しハードルが高かったのではないかと。

先生にもお願いして、少しだけ早めにお邪魔させてもらい練習することになった。

ひとりで長い小道を通り、玄関を入ると、レッスンバッグを置いて、手洗い場へ。

ピアノに触れる前のちょっとした儀式。

先生が洗面器にぬるま湯を入れてくれる。

時には、旦那様がしてくださることも。

それに両手を浸し、10秒間。丁寧に数を数えながら。

ゴワゴワのタオルを渡され、拭き終わるとレッスン開始。
(どうしてゴワゴワだったのだろう?おそらく洗剤不使用だったはず。地球に優しい)

ひとりでピアノのある洋室へ。

ベルベット生地の応接セットと
洋酒がたくさん入ったサイドボード、ピアノの横にはロッキングチェア
(こっそり、揺らしたこともある)

部屋の隅には、旦那様の机や書棚がある書斎スペース。

壁には、油絵の額縁が何点か飾られていた。
一番印象的なのは、海の絵。

空は暗く荒々しい波が描かれてあった。

大きな窓からは、庭の池が見え、
奥には栗の木が何本も植えられていた。
(実ると茹で栗にしてくれた…ほとんどが虫喰いだったが、甘かった。消毒せずに自然のままだったのだろう)

時々、野鳥も来ていた。

自分の家にはないお洒落な空間でピアノが弾けた。曲が途切れることもない。

ひとときの贅沢な時間を独り占めできた。


まるで、一流のピアニストにでもなったかのように。

束の間、自分だけの世界に浸れた。

それは小学校を卒業するまで続く。


そして10年後、

私は自分でピアノを買うことになる。
先生のところにあったのと同じタイプの黒いアップライトのピアノ。

ピアノの先生ではないけど、
保育園の先生としてデビューすることになったから。

ピアノのために?私のために?

父が、白い壁の洋室まで作ってくれた。

それから
ピアノは私とともに時を経ている。
結婚後、しばらくはお休みしていたが、娘や息子が興味を持ってくれたおかげで、ピアノの音を毎日のように聴くことができた。

今年の2月、
帰省したついでにあのお屋敷の前を通ってみた。

思い出多いあの小道も、あのお屋敷も跡形もなかった…草が所々に生えていただけだった。

この辺にあったよね、たしか…

あのレッスンがまるで夢の中の出来事のように思えた。

なくてよかったのかも…

こんなふうに

あの時の記憶のまま、

私の中で優しくよみがえるから。

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