2-15.私が大学に行く理由

 高校三年になると、進路相談が始まった。
 一般的な高校は、進路の希望を第三希望まで紙に書いて提出したりするのだろうが、うちの高校は、まず三者面談から始まる。
 何故なら、うちの高校の学生の七割は就職、三割が専門学校へ進学をする。しかし、希望の職種はあっても、具体的な企業名を書ける生徒は少ない。いきなり会って親の考える就職先と、子どもが考える就職先を聞き出して、受けるジャンルを絞り、面接対策を決めていく方が早いのだ。専門学校も書類と面接のみのところが多いので、希望の進学先を聞き出すと、面接対策の話をしておしまいだ。

 進路相談の日が近づいても、私は親に「どこに行きたいの?」と聞かれることはなかった。しかし、高校受験の時に「どこの大学に行くのか考えて、高校を決めろ」と言われていたので、なんとなく大学進学をしなくてはならないことは理解していた。
 そこで友達二人に相談したが、どちらも専門学校へ進学するという答えだった。こんなヤンキー校で大学に進学をする方がおかしいのだろう。
「大学に行ってどうするの?」
 家にDVのない友達が私に聞いた。
 その質問に、私は答えられない。高校だって特に理由なく通ったのだ。
 A子は母親が看護師なので、自分も看護師になるために看護の専門学校に行くと言っていた。そういう明確な理由で進学先を決めることができる人を、羨ましく感じた。
 クラスで私が「大学進学をするらしい」という噂が広がると、普段は一切会話をしないヤンキーが声をかけてくる。
「こんなクソ高校から受けたら落ちるぞ」
「大学を出て何になるの?官僚?高卒でも公務員にはなれるよ?」
「早く働いて家計を助けようと思わないの?親不孝だね」
「お高くとまってるね。調子にのるなよ」
「勉強できますアピールうざ」
 私自信は誰にも何も言っていないのに、友達との会話を聞かれただけで、勉強できますアピールをしているとまで言われるのである。
 そして、迎えた進路面談。
 やって来たのは母だ。
「お母さんの、進路希望を教えてください」
「うちは大学進学です」
 母は、迷うことなく言った。
 教師は驚きのあまり、表情が固まったまま、沈黙した。
「ほ、本人はどうですか?」
「私もそう考えています」
 そして、母にどこの大学を希望するのか言うように促されたので、私は一つだけ大学名を述べた。
「社会学部の、情報の学科を受けます。将来の職業はまだ決めていませんが、四年間で決めます」
 すると今まで怖い顔をしていた母が、にっこりとほほ笑んで安堵のため息をついた。私はこの瞬間に大学名と学科を答えられないかもしれない、そう思っていたのだろう。しかし、そんなことがあれば、家でどんなめに遭うか、想像するだけで恐ろしかった。
 だから、この日まで必死に大学選びをしたのだ。
 折角だから、目的を持ちたかった。当時、情報系の学科は流行りだったので、親も疑問を持たなかった。しかし、私がその大学を選んだのは全く別のも目論見があったのだ。
 大学名と学科が言えたことで安心した私達親子に、教師が言う。
「本気ですか?うちの高校は、皆就職か専門学校ですけど…」
「うちは、私達夫婦も大卒です。大学に行くのが常識です」
「でも、学力的に…。大学を目指すなら、高校選びから考えないと…」
「内心は悪くないし、塾にも入れているので大丈夫です。学校教育なんかに頼るつもりはありません」
 これが教師の怒りに触れた。
「そうですか。では、うちは大学受験の対策はやってないので、お好きにどうぞ」
 こうして私は、高校で模擬面接すら受けさせてもらえなかった。
「レベルの低い学校だとは知っていたけれど、大学に行くことがおかしいみたいな価値観だなんて、恐ろしい学校ね。そんなところに自分の娘が通っているなんて恥ずかしいわ。中学時代にもっと必死に勉強しなかったあんたが悪いのよ。だからあれほど、大学のことを考えて、高校を選びなさいと言ったでしょ」
 帰り道で、母は冷たく言った。そして言葉にはしないが、「大学には死ぬ気で入れ」という圧が伝わった。


 受験準備は全て一人で行った。
 資料請求をして、見学会に行って、願書を書いて、面接の日も親には言わず、制服を着てフラッと出かけた。
 人当たりの良さには自信があったので、感じの悪い面接官だったが、すぐに気に入られて、私のペースで話をした。
 父や母と話すことの方が恐ろしかったので、どんな面接官も怖くなかった。
 その間も二週間に一度ほど家庭でDVがあり、私は母の叫び声が聞こえると機械的に自室を出て、ダイニングの椅子に座ってDV観戦をした。
 見るもの怖いが見ないのも怖い。そして、父の言動や行動を注意深く観察した。

「大学に落ちたら世間様に顔向けできない。親に恥をかかせるなよ」
「あんたの高校が異常なだけで、人間は大学に行くのが普通よ」
 とプレッシャーもかけられた。
 合格通知とともに、振込用紙を渡すと、私の両親はどちらも喜ばなかった。この年の一般入試の国語は「どんぐりと山猫」が題材だったようで、レベルが高くないことがうかがえる。
 親にとっては、人に自慢できないクソ大学に入ったという事実が目の前にあるだけだ。落ちないだけマシ。これで就職までは子どもの心配をしなくていいというだけなのだ。

 秋になると、友達二人は専門学校トークをしているのに、私は早々にAOで大学進学が確定し、なんとなく二人とは気まずくなった。
「大学生は住む世界が違うから、これでお別れだね」
「進学しても関係なく遊ぼうよ」
「時間が合わないでしょ。そっちは比較的自由だろうけど、こっちは高校と変わらないから」
「将来の夢が見つかるといいね。うちらはもう決まった職業に向かって進むから、そっちは自由でいいね」
 と、言葉の節々に嫌味がにじみ出ているように感じた。
 
 高校では、私の大学合格を知ると、クラスメイトから嫌がらせが加速した。掲示板に大学合格者として名前が張り出された人が、私を含め、ほんの数人だけいたが、何度きれいに貼りなおしても、破られたり、マジックで塗りつぶされたりした。
 一方、就職内定者の張り出しは、日に日に増えた。校内でも「おめでとう」の声が頻繁に聞こえた。近所のボロボロの中華屋さんで、お祝いディナーをした話なんかも聞こえて来て、家族の仲良しエピソードを羨ましく思った。

 それでも、私が大学に行く理由は、必ず「あの親から離れよう」と決意していたからだ。独り立ちするための、知識をつけて、人脈を作り、バイトで資金を貯めて、可能ならば親を社会的に殺そうと思った。
 教養とは、無限の可能性を私に与えてくれるものと信じていた。そう思わないと進めなかった。

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