3-13.無事就職

 一年生の間は自分の学科の全ての基礎をまんべんなく学習した。
 二年になると、ゼミを選択していよいよ自分の進路を決めなくてはいけなくなった。
 子どもの頃に夢であるアナウンサーなんて、絶対無理だと思った私は、テレビドラマが大好きだったので「ドラマの脚本」を書くゼミを選んだ。
 すると、その先生がフジテレビでドラマの脚本を書いている有名な作家さんで、高校教諭の資格も持っていた。
 知識と経験、そして教え方も最高で、キャラも面白い。最高の先生の下で脚本を学んでいくうちに、ラジオドラマの脚本で才能を伸ばし、コンテストなどに出品するほどのめりこんだ。
 大学では「とにかく親にバレずに心理学を学びたい」と、すっかり在籍目的を変えてしまっていたので、ゼミなんて楽しければなんでもよかった。
 自己肯定感の低い私が才能で職に就ける訳がなく、脚本家になんて、なれるはずがなかったので、進路希望は「ラジオ局に勤めたい」と書いていた。
 自治会で活躍し、ゼミ内で優等生だった私は、先生に気に入られ、ゼミの発表会で司会をしたり、クラシックコンサートの無旅券をもらったり、大人のお店でお酒をいただいたり、楽しいことを沢山経験させてもらった。
 四年生になった途端、大好きな先生に呼び出された。
「ローカルだけど、コミュニティーFMのラジオ局に入らないか?小さい局だから大変だけど、営業もディレクションもできるし、うまくいけば出演もできるぞ」
 思いがけない職斡旋の話を頂き、心の底から喜んだ。
 頑張れば良いことがある。中学、高校では、こんな当たり前なことを何故してこなかったのだろう、と後悔もした。そういう環境ではなかったが、気が付けなかった。
 そして、今日まで血反吐を吐くくらい心理学とゼミと自治会と和香子の世話と、アルバイトを頑張ってきてよかった、よくやった!と自分を褒めた。
 人生最高のスーパーゴールが決まったのだ。
 就職が決まると、両親も喜んでくれた。過干渉なくせに、結果には無関心な親が、私の進路で喜んでくれたのはこの時が初めてだった。誰よりも早く決まったことで、周りの皆が全員「さすが優等生」「さすが〇〇(私)さんだ」と褒めに褒められた。
 就職が決まっているという心の余裕で、残りの学生生活も楽しめた。
 自己肯定感が低い私は、自分は底辺の存在だと思っていたので「底辺の私が就職できるのに、皆はまだできないの?」と不思議に思っていた。嫌味ではなく、本気でそう思っていた。
入学時に0点だった私の自己評価ポイントは、コツコツと積み重ねた結果、五十五点くらいにはあがった。
ようやく人間になれたと思い、心から嬉しかった。

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