1.夫婦関係が家庭の全てを決める
あなたの両親は仲のよい夫婦だろうか?
うちは違う。些細なことで喧嘩をして声を荒げる家だ。
例え仲が良くても、大なり小なり喧嘩はあるものだろう。
夫婦は所詮他人だ。
育ってきた環境が違うので、習慣や価値観も異なる。
他人同士が、急に恋だ愛だと言って、一緒に生活をのだから、衝突があって当然なのだ。
世の中には、声を荒げずに冷静に話し合ったり、大喧嘩に発展する前に気が付いて謝ったり、穏便に済ませることができる夫婦もいるらしい。
わが家は、ある日を境に、大声を出して怒鳴り、一番傷つく言葉を選んで人格を否定し、物を投げつけ、家中に酒をまき散らし、家具を倒して、暴力を振るう、「DV」に転じてしまった。
DVとは、「親しい人からの暴力」のことだ。
子ども相手の場合は「虐待」なので、違う。恋人や配偶者への暴力を指す言葉だ。
また、年の近い兄弟同士や、親戚同士の暴力なども該当する。わが家の場合は、父から母への暴力だった。
最初は対等な口喧嘩だったが、正攻法では勝てないと思った父が暴力を振るうようになったのだ。
私は、家の中で喧嘩やDVが始まってから、毎日それを見聞きしてきた。もちろん私が殴られているわけではないし、私に物が当たったわけではない。父が言葉で攻撃しているのも私ではないし、父の視線は母のみに向けられていた。
それなのに、怖くて苦しくて仕方なかった。自分が怒られている、攻撃されていると感じた。
両親という唯一無二の存在の一方が、暴力を振るい、もう一方が泣き叫んでいる。父によって荒れされた部屋で、幼い私はその光景を見ていた。こんな異常な時間を頻繁に体験することが私の家庭生活だった。
それが「面前DV」という虐待だ。
私が「面前DV」という言葉を知ったのはごく最近で、私の中ではずっと「機能不全家族の中で育った悲劇」と表現していた。
私はこの二十年、悲劇の理由を探して、苦しみと向き合ってきた。
大学に進学してから、心理学に触れるようになると、私が両親と共に暮らした時間のほとんどは「虐待を受けていた日々」だったことを知った。
ショックが大きかった。
しかし、面前DVのことを知れば知るほど、今までのことが腑に落ちた。これまでのことが、急に理解できたのだ。
夫婦仲がよい、あるいは家族の仲が良いということは、全て「家庭の居心地」に直結する。外で働く家族も、外で学ぶ家族も、外で遊ぶ家族も、安心して帰ってくることができる場所を作ることが「家族形成」だ。
そうでなければ、結婚なんてしてはいけない。子どもなんて産んではいけないと思う。
しかし、幸せな家庭に生まれ、居心地のいい空間で育った人は、そもそも「そんなこと当たり前すぎて気を付けられない」のだろう。
現に、私の母はこう語っている。
「自分の父は優しかったので、妻に暴力を振るう男の人がいるなんて思ってもみなかった。それが自分の夫だなんて考えもしなかった。そういう目線で結婚相手を選ぶという発想がなかった。子どもには手を出していないのだから、虐待はしていない。私は愛情いっぱいに育てたのに、うちの子はどこの子出来が悪い。それはあんたたちが頑張らなかったからでしょう?塾にも入れたし、習い事もさせたし、いい暮らしをしてたじゃない」
私は親を反面教師に、決して殴らない人、決して怒鳴らない人を彼氏や結婚相手に選び、子どもには「居心地のいい家」を提供できるように努めている。
夫は、私の過去を全て聞いて、理解した上での結婚してくた。
積極的に家事も子育てもしてくれて、子どもに決して怒鳴らず、悪いことをしても冷静に諭し、私にもいつもいい言葉をかけてくれて「居心地のいい家」を作ることに全面的に貢献してくれている。
私は、この家で「虐待されない普通の子」を育て、普通の子の将来を見るのが楽しみだ。そのために、今日も生きている。
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次回から、私が受けた虐待を詳細に書きます。
夫婦喧嘩が激しい家で育った人や、面前DVなんて受けたことのない人にも届くといいな、と思います。
実際に面前DVが行われていた家庭がどういうものなのか、知ってください。
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