3‐8.幸せだった朝帰り生活
心理学部の授業を聴講したり、個別に教授に質問に行ったりして、着実にわが家の暗黒部分を理解していった私は、一つ一つを言語化することで、少しすっきりことができていた。
しかし、長い間、時間をかけて心に降り積もった不幸の雪が、そう簡単に溶けることはなく、自分を責めることはやめられなかった。
私は、もう自分の家が、嫌で嫌で仕方がなかった。次第に家で夕食を食べることはなくなった。高校時代に手に入れた携帯電話で「今日も晩ご飯はいらないです」とメールを入れるだけで、親と顔を合わせずに、夕食をキャンセルすることができた。
なんて便利な時代になったのだろうと、感動すら覚えた。
学校では、とにかく自分の学科の授業を受け、その隙間を全て心理学部の授業の聴講に充てた。なんなら、自分の学科の授業は身体だけ出席をして、実際には暴力や依存、虐待など、自分の研究テーマに沿った本を読み漁っていた。
そのせいで自分の学科のテストは散々だった。聞いていないのだから、当然である。
私の本来の専攻学科は「情報」の科目の教員免許が取れたので、資格を取るように親に言われたが、教員免許を取るクラスに入れるほどの成績は持ち合わせていなかった。
日が暮れるまで心理学に没頭した。夕方からは学校祭の運営だの、部活の予算変更や、学校の清掃活動だの、なんだのと、自治会での活動をしていた。
自治会の仕事をこなすと、役員の誰かと食事に行って夜中まで遊んだ。終電で帰ると、自宅マンションの前の階段に座って、一~二時間読書をして時間を潰した。
深夜1時くらいではまだ寝ていない可能性がある。家族が完全に寝静まった三時時頃に、そーっと鍵を開けて帰る、そんな生活をしていた。顔を合わせれば「何時だと思ってるの!」と言われてしまうので、「何時に帰ってきたんだろう?」でとどめていた。最近家で起こった怖い出来事の愚痴を母から聞かされるのも絶対避けたかった。
朝は5時に起きて、顔だけ洗って、冷蔵庫の残り物で勝手に弁当をこしらえ、家を出た。料理はできないので全部出来上がってるものを詰めるだけだった。家庭内で泥棒をしているような罪悪感があったが、当時は朝ご飯をコンビニで買おうという発想がなかった。
母は5時半に起きるので、5時10分には家を出ていた。地下鉄の入り口の前でシャッターが開くまで心理学の本を読み、始発で大学向かった。地下鉄の終点駅のフリースペースで弁当を食べて時間を潰し、バスに乗り換えると、7時の開門と同時に大学に入って、自治会室で授業まで寝た。
自治会で仕事に励んでいると、私には書類を作る能力があることを指摘された。
議事録をまとめたり、会議書類を作れることに気が付いたのだ。話すことが好きだったので、議事進行も得意で、人の意見を引き出したり、仲裁したりすることに優れていた。
二年生になって後輩ができると、教育も得意で慕われた。
しかし、人間関係が不得意なので、ニコニコ懐いてくる後輩たちにもビクビクしていた。それでも仲良くしていただけた。
これらの能力は、すべて先輩方が見つけてくれて、いちいち褒めてくれた。
その度に私の自己評価が一点ずつ加算された。勉強ではない部分に、私にも何か才能があることを知り、素直に嬉しく思えた。
面前DV中に沢山の否定の言葉を聞いて、自分はダメ人間だと思い込んでいた私は「どうせ何をしてもうまくいかない」「たまたまうまくいっても誰も評価してくれない」「皆私が嫌い」「私は皆と違う」「変人」と思っていた。
だから「小さなことだけど、認められたのかもしれない」と思った。
しかも、自治会での能力はは親に見せるようなものではないので、親に評価されることはない。
親に評価されないということは、親に否定されないのだ。だから、苦手意識を持つことがない。
初めて「私はこれが得意!」と思えるものがいくかできた。
ついに自分の居場所を見つけた。
先輩のためにサポートし、仲間のために率先して動き、後輩のために教えた。
気が付くと、各種行事の実行委員長や、広報部などの内部部長、副会長を経て、女性初の自治会会長に当選し、私の人生が輝きだした。
先輩方は、どうしてこんなアホ大学にいるのだろう?と思うような優秀な人が多かった。
自主的に留学している人もいたし、教員免許の他に、図書館司書やFPなど、在学中に取れる資格は何でも取っているようだった。
違う大学のサークルに所属して活動をしたり、何社もインターンシップに行っていた。
先輩方は全員、学校内で目立つ存在だった。学科発表で中心人物として活躍するだけなく、司会をしたり、教授の助手をしたりと大忙しだった。それなのに、勉学に励み、自治会活動も立派にこなして、夜は後輩を呑みに連れて行ってくれた。
私は面前DVを受けて育ち、生きにくさを抱えて生きていることを誰にも打ち明けはしなかったが、先輩方は私が困っていれば助けてくれた。落ち込んでいれば励ましてくれた。よくできた時はしっかり褒めてくれた。
「どうして良くしてくれるんですか?」
と聞いたこともある。
「だって、(私)ちゃんは、いつも人一倍頑張ってるの、知ってるから」
今まで枯れていた涙が一気に出た。
こんな人間関係が欲しかった。今まで、ずっとずっと一人だった。
そのうちに、学校のレベルや、自分の学力が低かったわけではなく、きちんとやりたいことがあってこの大学を選んできたのだ、と分かった。そしてそのために、猛烈に努力している人たちだった。
ここなら落ちないだろう、と適当に受験した自分が恥ずかしかった。
名のある大学の人に会うと、自分はアホ大の学生で恥ずかしいと思っていた。でも、きちんとしている先輩たちと肩を並べて学び、活動できる時間は、幸せだった。
自分の出身大学や、自分の学力を恥じる気持ちは少しずつ消えていった。
あんなに人間不信だったのに、仲間たちのことを心から信じて、頼ったり頼られたりすることができた。
毎日残りの学生生活を充実させることに必死になった。
もしこの大学に来なかったら、学ぶことの大切さも面白さも分からず、人間関係も学べず、自分に自信が持てず、運命を嘆いて、とっくに自殺していたと思う。
なんて素晴らしい時間だったんだろう。幸せになった今現在でも、この時間に戻りたいと思うほど、最高だった。自治会で関わっていただいた全ての人に感謝している。