正しくあきらめるという成長。
みなさまこんにちは!
和歌山で出張ママカメラマン(兼デザイナー)をしてます、ふじの まやです!
「病気は罰ゲームではありません
あなたの人生を見つめ直すイベントなのです」
「真の医療とは(自己)教育である」
先日、友人に上のyoutubeを勧められて観てみました。
ね〜〜〜、それ〜〜〜、25年前に聞きたかったやつ〜〜〜〜!!
って思いました。
中学の頃、母が乳がんになって、苦しい治療の末にさらに再発して、追い詰められた母が私の前で「なんでわたしばっかり!!」と泣き崩れた姿が目に心に焼きついて離れません。アガリクスだとか宗教だとかほんとに色々模索してやってました。けどずっと私は半信半疑だったから、そんなものに目を背け、それを信奉する母や祖母から逃げて、心の中に閉じこもっていました。結局再再発して全身にがんが回って、母は私が高校の時に亡くなりました。
ああ、あんなに苦しんだのに。
死んじゃうんだ。
現実逃避するしかその時は自分を保てなくて、悲しいことはなかったことにして、感情に蓋をしてきた。
結果、私自身が40になって身も心も壊して入院することになって、治らない病気も抱えてしまった。
なんなん、この人生。
閉じこもった末には、悪いことしか待ってなかった。
じゃあ、「これ」を解放して外に出たら?
どうなる?
そう思って、今私は自分を解放していくイベントをしています。
病気を抱えたからこそエンカウントできたイベント。
先の「病気は罰ゲームではありません。あなたの人生を見つめ直すイベントなのです」って言葉が響きます。
そして「真の医療とは(自己)教育である」。
本当にソレは効果があるのか?信じて良いものか?そして自分の病気のメカニズム、ソレがソレに与える効果のメカニズム、影響は医学的に正しいものなのか?しっかり理解できなければ信じることはできない。信じることができなければ、効果は出ない。
それを25年前の中坊だった私はせずに、自分の殻の中逃避した。
「それをしても治らない」という事実が待ってるかもしれない、母や祖母が高額を払って信じようとしているものがニセモノで詐欺まがいのものかもしれないということから逃げた。
治るかもしれないと云うことに蓋をして。
それに根拠のハッキリしない・目に見えない物理的でない、スピリチュアルなやつとか予祝とかも信じられなかった。だって目に見えないじゃん!って。
けどさ、医学的根拠があるー!とか、お薬だった治るー!とか、それってほんと??ソレ自体を「視認できる」の??って。やっと気づいてきたんだ。
じゃあもう、治るんだったらどっちでも良いじゃん。
共通するのは「気の持ちよう」だというところなんだ、って。
ただしく諦めること。
そして目の前にある物事を楽しむこと。
追い詰められたメンタルでは、歪んだものしか見えなくなっちゃう。
だから私は、諦めた。
抵抗しない。認める。
今の私、過去の私、病気ぜんぶを是認しました。
だからめっちゃ今ラクです。
しっかり目標に向かって、不器用だけど歩んで行けています。
さて、また変なことを語ってしまった。
支離滅裂でごめんなさーい。
みなさん、今日1日を大切にしてね。
しっかりと自分軸で生きていきましょう。
今回も読んでくださってありがとうございました!
またよろしくお願いします♪
まったね〜♪
M-design ふじの まや
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