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シリーズ:写真は生きるのに必要か?

和歌山市 出張撮影
おやこフォト ふじの まやです!
まややって呼んでね♪

\写真に込めた 未来へのエール!📣/
和歌山市でフリーランスデザイナーと
フォトグラファーをしています(*^^*)

おやこフォト まやや プロフィール写真

┊︎実はかなり理屈っぽい

みなさーん、こんにちは!
アメブロの更新がまた止まったよ!?

ということで、
何をしていたかといいますと

書き物をする場所を探してました。

こうみえて、まややちゃんは
めっちゃ理屈っぽくて、
とても面倒くさい人間です。

その性格のおかげで
得たものと失ったもの
両方あるわけですが( 'ᢦ' )

アメブロも楽しいのですが
純粋に書き物としてみると
なんだか物足りず……

フラフラしちゃって恐縮なのですが
改めてnoteを再開してみようかと思います。

アメブロの方に書かせていただいた記事も
note用に書き直してUPできたらイイな。

さて、今日は
「写真は生きるために必要か?」
というお話をしたいと思います。

多分と言うか絶対長くなるので、
シリーズとして分けて書きますー。


まずは「写真」と「生きること」と
さらには「文化」というものを、
それぞれ分解して考えていかねばなりません。
(まややのめんどくささ全開事案)

┊︎写真がもつ機能


まず大枠の結論からいうと、
写真は生きるのに必要ではないです。

ではないが、
「人間として生きる」のには
必要だと思っています。

_

はじめに一旦、
写真にもつ″機能″について、
3つあげてみます。

▶︎思い出や歴史をのこす【時間】
写真はその「瞬間」を記録してくれるから、旅行や記念日の大切な思い出を未来に伝えることができる。そして歴史的な瞬間や文化や暮らしまで、いつまでも後世に伝えることができる。

▶︎世界を知る窓になる【距離】
写真を通じて遠くの国や違う文化のことを知ることができ、そしてまるでその場所に行ったかのような体験ができる。

▶︎アートとしての写真【伝える】
光の具合や構図を工夫して、自分だけの創造的な作品を作り上げて、製作者の感動やメッセージを見ている人に伝えることができる。

だいたいこんな感じ?

他にもコミュニケーションの手段とか
色々あるとは思うけど、要は

▶︎「時間」
▶︎「距離」
を飛び越えて
▶︎「伝える」
ことができるもの。

それが、写真であると。
そう言えます。

┊︎写真の価値


そして、その写真を
「誰が」「いつ」見るか。

時間・場所・人、
つまりタイミングによって
とてもとても揺らぎのある、

価値が固定化されていないもの
でもあります。
(すみません価値というものが流動性と普遍性を併せ持つというそもそも論について、「写真の価値」という観点で言うと、写真(記録)という「機能的価値」は普遍的なものですが、それに価値を見出すのは人の「感情」、つまり流動的なものなのです。はいややこしい、だから黙れ←こらっ)

しかし、完全な芸術作品なわけでもなく、
写真は「あった事」を、「瞬間」を、
「記録」したものに過ぎない。
感情が介在しない写真は、
ただの「写真という物質」に過ぎなくなる。

しかし、なぜここまで写真が
世界に浸透しているかというと

ヒトが
「感情を持っていて、
伝えることを優先して存在する生命体」
であるからです。

もっと言えば、
「ヒトは感情と高度な認知能力を持ち、
文化を形成し共有する社会的な生命体」
だから、です。

「は??イミフ」
って思われるはずですが、
ちょっとずつこのシリーズで
お話していきます。
(もう誰向けやねーん。
自分で書いといて何ですが、
離脱者多そう〜〜〜!)

がんばって楽しくいこう。

そしてデザインと同じく
写真がもつ「表現的意味」と
「商業的意味」についても
追々書かねばと思います。

┊︎別に目新しいもんでもない


もうあたりまえっちゃー
当たり前のことしか書きませんが
書かんと、言わんと伝わらんのと
自分のアウトプットのために
皆さまお付き合いください。

しかしもう1000文字超えちゃったので
一旦お開き、また次回。

家族写真の話もしたいなぁ〜〜!
ひっひっひww(怖)

「こども写真教室」の件
「子育て応援」の件
「おやこフォト」の件
「9月スタート月例撮影会」の件
「まややリニューアル」の件
「小難しい読み物」など
いろんなテーマで書いていきますので

noteなまややも、よろしくお願いします。

ではまた!🌈


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