『な』にも気にしなきゃいいのに〜細かいとこのお話〜

 バスとかの公共の乗り物内で、咳払いをされるのがちょっと嫌。正確には『咳だ咳払いだするときに手とかで抑えない』のがかなり嫌、混んでる車内の真横でされようものなら取り返しのつかない誤嚥しろとすら思うほどに。
 咳をするのは仕方なしとしても、多少なりの配慮は出来るはずなのにしない。なんならマスクしてりゃ抑えず咳き込んでもいいと思っているのが実に腹立たしい。男性だろうと女性だろうと気に障るのには変わりない、思い返すだけでもカチンとくる。

 …が、まぁ気にしなきゃいい話でもある。人間万人が万人善性の生き物ではない。日常ですれ違うだけでも恐らく3割くらいは他人を不快にさせるしか能がなく、金輪際会わなくなって微塵も困らない人間と遭遇してしまっているだろう。だが、そんなのは気にしなきゃいい。そんな生き方してればどこかで報復くらって知らぬ間にくたばっているからだ。
 ただまぁ、「気にしなきゃいい」で済むならイヤ〜な気持ちを引きずることなんてまずないんだけど。

 これに限らず細かいことを思い出しては引きずり、引きずってはヤな気持ちに陥ることがよくある。思考の無駄なことこの上ない。
 今日の会話のあの選択肢は間違いだった、あの時あの反応はおかしかった、今日はあれをああすればこうならなかった、そもそもああしなければ、こうしていれば……などと先立たぬ後悔の見本市の醜さときたら。故に、常に余計なことを考えていないと心が壊れてしまう。

わぁいちょうちょだ!!!!!

 ……失礼。書いていてちょっとヤバかったので小暴れさせていただいた。定期的に設けているのだ、発作に対するショック療法のお時間を。

 気にしなきゃいい、気にしなきゃいいとは常に思ってはいる。道行く人は自分の顔なんぞ覚えてないし、店だって認識としては客Aくらいのもので、今日の雑談内容なんて誰も覚えていないし、覚えていたとて大ざっぱな概要だけ。自分がどこで、何をし、どう動いたかなんてことは誰も覚えちゃいない。もし何か間違った行動をしたとて、それが人を傷つけるような大問題でもなきゃだ〜れも気にはしない。そう、気にはしないはずなのだ。
 それが理解できない。理解したとて、思考に固定できないで今に至っている。

 いつかこの文章も、あれが違うこれが違うと思い返すのだろうな……それも近いうちに。