私の「今の状況」は、あなたの「今」には多分必要ない…
けど、なんとなく頭に浮かんだので書いてみる…
今回のお話は今の私のスタンスに至った、
それこそものの考え方がガラッと変わってから、
思うようになったことです。
それは、
人は人の人生を生きているんだから、
私は私の人生を生きればいい。
ということ。
湧き上がる悲しみとか苦しみとかも、
本当の意味では私にしかわからないのだから、
自分でどうにか処理できるのならば、
誰かに今の私の胸の内を話す必要もないし、
知られる必要もない。知る必要も他人にはない。
…ここに書くのは、今の私が思いつく、
漠然とした記憶のかけらですから、その中を覗こうとしないでもらえたら嬉しいです。
もし見えてしまっても、知らないふりをしていてください。
頭に湧き上がった言葉をただ文章にしているだけですが、少々不思議な考え方に触れてみたいという方がもしいてくださったら嬉しいです。
正直、はっきりと生きる意識がひっくり返ったときのことは覚えていません。
ただ、きっと、こんなに心配や迷惑をかけるくらいなら消えてしまえればいいのに…
そう願ったことは、なんとなく覚えています。
ずっとずっと昔に通ってた塾の先生にあるときふとこう嘆いたら、本気で叱られました。その人は先生でしたが私の幼馴染のお母さんでもありました。
当然ですよね、自分の子と同年代の子が命を粗末にするような発言をしたんですから。
粗末にする発言だとわかってて、少し前の私は願ってしまったんですね。自分の命をなんだと思ってるんでしょうね、私自身。
…よくわかってないです。
以前の私なら、不安定になると知り合いに話を聞いてもらいたがるところがありましたが、それがなくなりました。というより、それよりも私にとって楽な解決方法を見つけてしまいました。
それにより、わたしはありとあらゆるところで、ひっそり片思いしてればいいや、というちょっと変な境地に達してしまった気がします。
私が誰かを好きなのも、嫌いなのも、
誰かが私を好きなのも、嫌いなのも、
それでいい。
…ただ私はそれを受け止め、相手を恨まなければ
それでいい。自分の中の好きや嫌いも否定しないで好き以外をぶつけないようにすればいい。
私が幸せと感じることができれば、私の幸せを願ってくれる人もそれなりに幸せなはずだ、と半ば強引なのですけど、そんな感じ。
はたからみれば、とっても寂しい人間に見えると思います。
…私のもう半分はそんな私のことを多分ひどく憐れんでいるような、そんな気もします。
でも今の自分のこと、自分が可哀想と認定したら、この決断をした自分のこと、否定することになるんですよね。
…こう無理矢理にでも思おうとした私だって、それなりに必死だったんだと思うので。そうでなければ、今の私はなかった。…それが全てだと思います。
過去を本当の意味でなかったことに出来ない以上、私は今のわたしで生きることを許されるようにしないといけないんですよね。
だからどんなに弱い存在でも、なんとか生きなきゃならない。だって、死を選ぶことも迷惑になることがわかっているから。
同じ迷惑をかけるなら、生きておこう。もしこれから先、その迷惑をかけた人たちに恩として返せるときが来たら、その時は、返せる分だけちゃんと返そう…と、
結論出すのを未来の私に託してしまいました。だから、その日が訪れるまではなんとか、世界の片隅で小さくても弱くても生きなきゃなって、思うんですよ。
せめて、私は、両親をきちっと弔ってから、自分の死に関しては、向き合えばいいかな、って
そんなふうに考えたら、私は、かつての私を知ってる人が知ったらびっくりするほど、弱くなりました。
自分がこんなにも脆いなんて、死ぬほど認めたくなかったのに、認めざるを得ません。
だって、現実問題できないことだらけですから。
人並みにできるのは、歌うことと動画や音楽を楽しむことと、こんなふうに情報機器を扱えるぐらい。…これぐらいの能力だけど、迷惑かけながらでも、なんとか自分の力を使って生きていかなきゃな…って思ってます。
だから今は、できることだけをとことん追求して、生き方を探してます。
自分の幸せと世の中の幸せが少しでも重なる場所や働き方を、この発信活動を通じて見つけていきたいっていう小さな野望があります。
自分のこと喋るのって億劫とかではなくて、苦手だった、ということを少し前に、気づいたわけなんですが、…知りたいと思ってくれてた人もいままでにもいたにはいたんですよ。
でも、なんかいろんなことが多分ありすぎて、単純に頭の中から、いろんなことが消えてるんですよね。すごく断片的。中身がないから語ることができないんです。
昔からなんか、自分の思い出に感情が残らないようで、
でも世の中的には事実しかなくて、私の見た聞いた事実を話すと、聞いた人が唖然とする、ということが多すぎて。
そこで人が私の境遇に触れて、感情を露わにするから、
あ、普段の私から裏側の私は、上手く隠せているんだなって。
…じゃあ、裏側を知られないなら、話す必要もないし話したところで仕方ないね、って。
わたしでさえ、わたしのことがわからない。
これにつきるんですが、自分の野望のためには、
わからなかったわたしのことも、分析していかないと、多分駄目なんだろうなって。
そんなことを思って音声での発信をしてみるか、という考えにいたりました。
で、自分の生き方を通して、誰かの生き方を少しだけ軽くする事が出来ればいいのにな、なんて、そんな私になれたら、私でも堂々と生きていていいんだ、なんて思えるようになるかな、なんて思ってみたりしてます。
このnoteでは、私の経験を通して、なんとなく掴んできた、自分の心をラクにする『好きを大切にする』生き方を、話しています。
ゆるゆると発信を続けていくので、読んでみようかな、と言う方は、よければ、フォローしてもらえたら嬉しいです。
そんなわけで、本日はここまでです。
ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。
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