自分がとれるリスクって何だろう
リスクをとれない者は、何も得ることができない。好きなアーティストもこう歌っている。
まず時間は有り余ってる。足りないという感覚はなくなった。生きるために「費やしてる」
もっとちゃんと社会の中で生きてると思いたい。
ただその時間の中でも、学ぶことと知らない世界に触れることと、欲を言うなら癒やしと、エンタメ(推し事含む)は欲しいときに得られる状態であってほしい。
「スキ」を選び取る自由がほしいから、お金も得られるようになりたい。だから今苦労しておきたい。その気持ちはある。
挑戦もわりとできる。でも引き返せない他の人との手続きが絡むものは、責任を取り切れる状態とは思えないので現状は積極的に考えてない。
身体は、動きたい気持ちに逆らわれたら対処ができないので向上させつつ現状以下にならないように…外に自由に移動して戻ってきてができるようになるのが当面の目標。狙い定めて準備して、外出支援があれば外でひとり活動するのは、ヘアドネの時に自信ついた。
あと今、自分が「教える」ことで知識をもらいっぱなしにしないのが必要だと思ってる。どうやらこの部分はどうにもテイカー気味。多分、他人から貴方に渡したところで何も返ってこないじゃん、って思われてると思う。「伝わるように伝える」もっとも不得意な項目。伝え方下手すぎて教えることが「指図」になっている自覚もある…。
相手が必要なものを返す、渡すってどうしたらいいんだろう…今出ていくお金はなるだけ絞りたいところ…お金以外で今の自分から何なら人に渡せる?
たとえなにか渡しても、おそらく相手の価値観では有益じゃないんだろうから、もらったものを返せている自覚がない。なんなら「押し付け」ととられてるかも。
自分から発せられるもの、生まれるもの、自分が用いているあれやこれ…人や環境など外からもらったものに価値は感じるけど、自分の身体とか思想とか創作には価値が自覚できない。
幸い先日、髪を寄付することで誰かのためになれる、ということは理解できたが、自分の元から離れたからこそそう思えている節がある。
自分と紐付いている間は、なぜか価値を感じれない。だからなんというか、渡すこと、与えること、リスクもそうかわからないけど、「これに貴方の為になる価値がありますか?」ってなってしまう気がする。
もちろん何気なく渡したら、喜んでもらったりとかはする。ただそうならないと「価値があるんだ」って私は実感できてないのかもしれない。
自分のとれるリスクに「価値」を付与できるようになりたい。誰かにとって有益でありたい。