「恨まない」は私のポリシーであり本質だと気づいた話
私には、自分のあれこれより、気になってしまう人がいる。
それは、ある意味ではいいことであるかもしれないけど、…踏み込みすぎる、というところでは、悪いことになる。
自分と相手の境界が曖昧になる。
そんな人のことを好きでいたいのに、思い悩みすぎるから、距離を置かざるを得なくなる。
「好き」という気持ちは同じなはずなのに、熱量を変えないといけなくなる。
近づいても遠ざかっても「悲しくなる」
これが、私の長年の悩みだったりします。
この性質で私は度々、人間関係をリセットしてしまう。
今はとりあえず期間を決めず連絡を止める、までに留まってますが、昔は連絡先を消したり、絶縁したりしてました…
本日は、そういった人との距離感で悩みまくった結果、たどり着いた、スタンスのお話。
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離れないで縁を繋ぎ続けられる人を、私は作れるのだろうか。
答えは、多分、…かなり、限られる。
…私が大きな「挫折」を経験して思ったのは、
・本当の意味で「独り」では生きていけないこと。
以前の記事、『本当のひとりは「一人」になれない』を参照してもらうと、いいかもしれません。
・「一人」でいられる環境と、上手く付き合って、必要に応じて、人と共に動けるようになること。
・とにかく、何がなんでも面白くないことが起こっても、不都合が生まれても、「恨まない」こと。
それは、強い感情に支配されて「復讐」をしないということ。
私は、自分のためにも、人を選ばなきゃなりません。
誰もに対して、「いい人」にはもう、なれないんです。…「都合のいい人」になるわけにはいかないんです。
それは、私自身を「粗末」にすることにも繋がるから。
…その行動が生む、「最悪」を私は知ってしまったから。
その「最悪」とは…私が、私ではない「何か」になって、その結果、「私」として生きる意味がわからなくなる、ということです。
でも、それは、私の幸せを本当の意味で、願ってくれている人たちに対して、とっても失礼なことをしているんだと気づきました。
だから私、こう考えることにしました。
悲しいけど、この性質こそ「私」なのだ、と。
「私」が「私」でいるためには、これを変えてはならないのだと。
これを貫くようになってから、不思議と生きるのが楽になりました。
その代わり、私生活はどうしようもないものに、なってしまいました。…昔の私を「好き」でいた人で現状を知ったうえで、まだ「好き」と言える人は、なかなかいないと思いますが、
今の私であっても「好き」と言ってくれるなら、きっと、可能な限り「私」を受け止めてくれた人、なんだろうな、と
今は会うことに繋げるのが難しいので、隠している、元々の活動名義に「私」が戻ったとしても、
この人となら、ずっと関わり続けていけるんだろうな、お互いいい距離感でいられるのではないかと思えるのです。
この「恨まない」というポリシーは、物事を私の中に取り込む前に、フィルターのような、役割をしてくれる気がしています。
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「私」が「私」のままで、生きるために
「恨まない」を貫きます。
とはいえ、傷つきやすさは異常なので、ちょっとした刺激ですぐに逃亡や硬直をキメそうなんですが、
必要以上に、傷つきたくないし、傷つけたくない
ただ穏やかに、生きたいだけなので、ご理解いただけると嬉しいです。
なんて、言う奴のこと、
「分かって」もらえるんですかね?
…かなり不安ですが、そういうスタンスで、
これから、生きるようにしたいなって思います。
・・・
このnoteでは、私の経験を通して、なんとなく掴んできた、自分の心をラクにする『好きを大切にする』生き方を、話しています。
ゆるゆると発信を続けていくので、読んでみようかな、と言う方は、よければ、フォローしてもらえたら嬉しいです。
そんなわけで、本日はここまでです。
ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。