久しぶりが言えなかった【エッセイ】
大学を卒業して、就職を機にまた地元に帰ってきた。
それと同時に、父に任せていた通信費の支払いを自分で支払っていくことになった。支払い変更のため、家から一番近い支店に足を向けた。
綺麗なお姉さんに要件を聞かれ、待っている間に必要な個人情報を用紙に書いた。案内されて、席に着いた目の前には、なんだか見覚えのあるようなないような顔がいた。
彼は、落ち着きがあり、ゆっくりと丁寧に対応してくれて、ここも長いのかなと思ったが、変更操作を綺麗なお姉さんに訊いているのを見て、まだ新人なのかと感じた。
対応している間、彼の手や顔を失礼ながらガン見していたと思う。だって、あと少しで分かりそうなんだもの。
そのとき、小学校の頃の記憶が蘇った。図書室で笑い合って、テストの点数で対決し合ったあの頃を。そして、彼の夢が小説家だったことも。頭の良かった彼に私は対抗心を抱いていたから、彼のことをある程度はっきりと覚えていた。しかし、当時付けていた眼鏡がない。でも、面影はある気がする。
ああ、分からなくなってきた。
中学校の頃のバスケットボール部の大会の記憶が蘇った。中学がバラバラになったものの大会で見かけ、眼鏡をせず、キャプテンとして活躍する彼の姿を見て、「ガリ勉もバスケ部なんだ」と驚いたのを思い出した。中学の頃よりも大人びてはいるものの、確実に似ている。いや、もう、これは本人なのではないか?
徐々に確信に変わりつつあった。
しかし、肝心のネームプレートがお辞儀しきって見えない。
ああ、名前さえ分かれば……!
私は、ネームプレートを睨みつけた。
結局、彼には「もしかして、K小ですか?」とも聞けずに、お礼を言って、席を立った。
目を見て、「ありがとうございました」という彼の表情は、私にもしかして気付いているんじゃないか?とも思えたが、自意識過剰かもしれないとそのまま店を出た。
家に帰ると、父が「あそこ、同級生が働いてるぞ」と言った。
私は直ぐに父に訊いた。
「K小?」
「そう」
「K中?」
「そう」
「男子?」
「そう」
今日貰ってきた控えを見れば分かるだろうと言った父に従い、私は封を開いた。対応してくれた彼の苗字が書いてあった。読めなかった。
自室の本棚にある小学校の卒業アルバムを引っ張り出し、同じ苗字を探した。
あった。
しっかりと面影の残った彼の顔だった。苗字の読み方を検索した。懐かしい響きだった。
本当に彼だった。
タラレバが脳裏を駆け巡った。
どうして、あのとき、「久しぶり」って言えなかったんだろう。
小学校の時、あんなに仲がよかったはずなのに。
臆病な自分を恨んだ。
思い返せば、今までそういうことばかりだった。
小学校の頃から、クラスが変われば、仲良く過ごした一年が嘘かのように、廊下ですれ違ってもまるで他人様な振舞いだった。でも、別に、本当に他人様だと思っていたわけではない。自分から声を掛けるのが怖かった。
人付き合いが苦手で、昼休みは先生の手伝いをしているか、図書室にいるかというような小学生で、「私たち、友達だよね?」と当たり前に言う周りの女子が羨ましかった。
私には、その言葉に対して「うん」と返ってくる自信も持ち合わせていなかったし、確認のために、不安を取り除くために訊く勇気さえなかった。
私なんかが声を掛けても大丈夫だろうか。今、声を掛けても気を遣わせるだけじゃないだろうか。
不安を理由に、自分から声を掛けることはなかった。
なんてもったいないことをしてきたのだろうと、自分の人生を少し責めた。けど、その時のちっぽけな私にとっては、大きなことでそれが精いっぱいだったんだと思った。小さいながらに悩んでいた幼き自分を撫でてやった。
本当は、声を掛けたかった。
どんなに時間が経っていたとしても、顔を合わせた瞬間、あの頃を一緒に懐かしみたかった。
廊下で最近どう?って話したかった。
不安を言い訳に想像上の脅威から逃げてきた。
脅威から逃げる代償として、これまでの交流の軌跡を絶った。
手を離したのは紛れもない自分自身だ。
これまでも関係を潰してきたのは他でもない自分自身だ。
今でも、怖くないわけではない。
でも、もう、後悔したくない。
だから、臆病も全部抱えて、今度会ったときは、絶対に言わないと言ってやるのだ。
「久しぶり!」って。
そして、あの頃から変わった私を彼に見せてやる。