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河瀨直美監督が語る五輪映画「コロナ禍と人類の一歩を描きたい」

news zeroメインキャスターの有働さんが“時代を作った人たち”の本音に迫る対談企画「有働由美子のマイフェアパーソン」。今回のゲストは映画監督の河瀨直美さんです。「私の父は何者?」自分の生いたちに苦しんだ10代から、新作映画、東京五輪への思いを語ります。

<この記事のポイント>
●「特別養子縁組という制度をもっと知ってほしい」という思いも、河瀨監督の最新作『朝が来る』を撮る原動力の一つだった
●河瀨組が大切にするのは現場のリアリティ。演者には最低でも1週間前に役積みのために現場で暮らす時間を確保してもらっている
●これからも関わった人全てが「これは自分の作品だ」と誇りを持てるものを作りたい

田植えと農業

有働 年明けに「news zero」でお会いして以来ですね。もしコロナ騒ぎが無かったら、河瀨さんは今ごろ東京五輪公式映画監督として記録映画の編集で大わらわだったと思いますが、あの時からは全く想像できない展開になりました。この間、どんなふうに過ごされていましたか?

河瀨 高校生の息子と、奈良でトマトやキュウリなどの夏野菜を植えました。自粛生活のおかげで丁寧に世話ができたから、もうグングン育って(笑)。緊急事態宣言が明けた6月には、ソーシャルディスタンスを保ちながら田植えもしました。

有働 エーッ。監督が田植えを? 今年から始めたんですか。

河瀨 3・11の後から毎年やっているんですよ。休耕になっている田んぼを借りて近所の人たちと一緒に。

有働 いったい、どうして農業を始めることに?

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有働アナ

河瀨 東日本大震災があったとき、自分たちがいろいろなものに依存していることに改めて気づかされ、自分の掌に乗る範囲のものは、自分で作ろうと思ったんです。息子は当時、小学2年生。お金を出せば100円ぐらいで買えるものでも、実際に苗から実に育つまでのスピードはこれくらいかかるんやで、ということを一緒に体験したいと思って。

有働 息子さんとじっくり畑仕事をする時間が取れたのは、もしかして人生で初めてじゃないですか?

河瀨 そうですね。息子と毎日、毎食一緒に家で過ごせたことは、私にとってすごく豊かな時間でした。出産して『殯の森』(2007年)を撮るまでは、子どもを抱っこして仕事場に連れていくほど四六時中一緒にいたんですけど、2歳からは保育園に入れたので、それ以降はなかなか。よく素直にここまで成長してくれたなと思います。もう、私なんかよりずっと大人(笑)。家の近くに1周800メートルあるグラウンドがあるんですけと、息子と一緒に走ると、もう私より早いし。

有働 さすが、元バスケ部キャプテン。高校時代に国体に出場しているだけありますね。51歳で高校生と走れるのはすごい。

河瀨 走ったよ~。ライバル心が芽生えて、新しいスニーカーを買いました。最初は1周5分以上かかっていましたが、自粛期間中で1分縮め、今では4分台で走れます(笑)。

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河瀨監督 Photographed by LESLIE KEE

コロナ禍だからこそ映画祭を

有働 河瀨さんは奈良で生まれ育ち、奈良を拠点として作品を撮り続けています。9月には河瀨さんがエグゼクティブディレクターを務める「なら国際映画祭」が開催されましたね。

河瀨 今年初めて東大寺の大仏殿にレッドカーペットを敷いてオープニングセレモニーに先がけて参拝させていただき、オンライン配信を行いました。各地でお祭りが中止になったり、カンヌ国際映画祭が通常通りの開催を見送ったりする中、悩みに悩みましたが、こんな時だからこそ、奈良から、映画の光を届けたいと思ったんです。

有働 河瀨さんの思いに賛同した、さまざまなジャンルの人々が参加されていましたね。IOCのトーマス・バッハ会長までメッセージを寄せていました。

河瀨 奈良にいながら、世界中の人々と繋がり合える可能性が広がったことは発見でしたね。これまで以上に奈良をベースに創作活動に没頭できるんじゃないか、と思いました。インターネットを始めとして様々な技術が向上し、私たちはものすごいスピード感の中で人と交流できるようになったけれど、人と人との関係性はトマトを育てるのと同じで、種から実がなるように、早めることのできない時間が確実にかかる。だから、やはり丁寧に作る時間をかけたほうが、きっと深く、遠くに届くものが作れるはずなんです。

有働 「深く、遠く」というのはどんな意味で?

河瀨 歴史に刻まれる、という意味です。東大寺の大仏さまは、聖武天皇が、天然痘が流行し100万人を超える死者が出ていたときに、国を鎮めようと建立されたものです。聖武天皇の詔(みことのり)には「朕は薄徳の身である」と自ら記して、一方的な命令によって大仏を造るのではなく、賛同する人々を集めて、共に喜びを分かち合うために造るという思いが述べられています。現代に置き換えても、時の権力者がそんな思想を持って民に語りかけることはなかなか難しいこと。一人ひとりの思いが集まって出来たものだからこそ、大仏さまは時の権力者に壊されることなく、千年の時を超えて残ったのだと思います。

延期の一報を聞いて

有働 3月に東京五輪の延期が決まった時は、どこにいましたか。

河瀨 取材のため東京にいました。人々がウイルスに過敏になり、あらゆるイベントが自粛になっていく空気に居心地の悪さを感じながらも、延期が決まってからの3日間は、関係者たちがどう動いたかを取材しました。その後家に帰ったら、奈良はすごく穏やかでした。こんなにも首都と地方は空気が違うのかと思うほど。

有働 五輪延期の一報に触れたときは、どう思いましたか。

河瀨 延期は国内だけで決められませんから、IOCはもちろん、放映権を持つ人たちの考えやスポンサーなど、決まるまではいろんな機関のいろんな思惑が見え隠れしていました。それでも、一つの答えを出さなければいけない。日本人はいろいろなところにネゴシエーションしてから公表するので、決定してからメディアに出るまでの時差も目の当たりにしました。

有働 いまは記録映画の撮影はどうされているんですか。

河瀨 撮影はできないですよ。アスリートの人たちも現在はほとんど取材を受けていませんし。リモートでIOC関係者から話を聞いたり、アフリカの難民選手団の団長にネット環境のあるところまで移動していただいて、今の思いを聞いたり。いずれも現地にいるカメラマンにアングルを伝えて撮影してもらったものを送ってもらっています。

有働 当初思い描いていた映画とは全く違うものになりそうですね。

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河瀨 別物ですね。オリンピックが延期されたのは史上初なので、公式映画としてだけじゃなく、人類がこの局面において、どういう一歩を踏み出したのかを記録するものになればと思っています。

オリンピックがなぜ始まったのかというところまでさかのぼって、近代五輪を作ったピエール・ド・クーベルタンのことも調べました。現在のバッハ会長は、フェンシングのゴールドメダリストなのでアスリートへの理解もありますし、一方でIOCという組織の人でもあるから、その葛藤は入れたいですね。個人的な意見ですけど、IOCと五輪のシステムは転機を迎えていると思います。

有働 それはどうして?

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