国家観なき菅総理の「亡国の改革至上主義」
菅政権が進めようとしている、新自由主義にもとづく国家観なき「構造改革」は日本をさらに分断させる。/文・藤原正彦(作家・数学者)
<この記事のポイント>
●菅首相の主眼が安倍前首相がほとんど手をつけなかった構造改革であることは一目瞭然。ブレーンに竹中平蔵氏を任用していることに不安を感じる
●安倍政権の失政の結果を弱者である地銀や中小企業になすりつけるような構造改革は許されない
●人間社会には効率よりも大切なもの、経済より大切なものがあることを肝に銘じないといけない
藤原氏
安倍政権の経済政策は失敗だ
安倍前首相は義理堅い人なのだろう。2006年に首相の地位を小泉元首相から禅譲されると、「小泉前首相の政策を継承する」と内外に表明した。構造改革を中核に据えたのである。「戦後レジームからの脱却」という素晴しいスローガンもあったが、構造改革を筆頭に掲げるようでは期待できない、と私は早々とこの政権を諦めた。戦後レジームの最大のものは対米従属であるのに、構造改革とは実質的にはアメリカの要求に従うことだからである。実際、病気により1年で首相を退いたこともあり、大したことは何もできなかった。
民主党政権の体たらくの後、2012年に首相として再登場した時も、再び小泉路線踏襲を明確にしたから、当初、「小泉構造改革再現内閣」と揶揄された。ところが安倍氏は、小泉路線から一歩踏み出し「アベノミクス」を高らかに掲げた。大胆な金融政策(日銀が市場に流す資金を大幅に増やすこと)、機動的な財政政策(公共投資を積極的に行ない、GDPや雇用を増やすこと)、そして成長戦略(規制緩和による構造改革)、の「三本の矢」からなるものだった。この3つが揃い踏みしたらかなり期待できそうだった。ところが安倍政権は、恐らく本丸であったであろう構造改革には手をつけず、デフレ不況克服のための鍵である公共投資にも本腰を入れず、金融政策すなわち量的緩和ばかりに熱を上げた。自ら選んだ日銀黒田総裁による「異次元の量的緩和」が始まったのだ。第2次安倍内閣発足の2012年末と、新型コロナ感染拡大前の2019年末を比べると、日経平均はほぼ倍増し、4.2%だった失業率は2.2%と半減した。安倍首相は辞任会見で、アベノミクスには一切触れず「400万人の雇用を生んだ」と胸を張った。しかしながら、株価が上がったのは、日銀や年金など公的マネーが株を買い支えた結果に過ぎない。すでに公的資金は東証一部の8割以上の企業で大株主となっている。総保有額は東証時価総額の12%を占めている。好景気を演出する官製相場なのだ。日銀の大量購入が途切れた時のことは考えたくない。また雇用が増えたのは、非正規雇用がこの7年間に350万人増加したからに過ぎない。そもそも労働者の実質賃金が先進各国で大幅に増えている中、日本はこの間に5%も減っている。黒田総裁が当初から豪語していたインフレターゲット、「2年以内に2%」の物価上昇は、7年たった2019年でも0.6%と達成されていない。政権終盤には安倍氏はインフレターゲットなどはすっかり忘れ、何を血迷ったか景気を冷やす消費増税に走る始末だった。
安倍政権の外交に関しては、対米屈従を正さなかったこと、なかんずく日米地位協定の改定に取り組まなかったことは国民の期待を裏切った。アメリカを占領国のままにしておくこの協定は、同じ敗戦国のドイツとイタリアではとっくに改定されているのだ。これがある限り沖縄は苦汁を呑まされ続け、北方領土は返らない。ただしそれ以外において安倍外交は、国際政治における日本の存在感を高めたうえ、インドとの連帯強化、日英間の経済連携協定で金星をあげるなど見事だった。国防の強化も高く評価すべきと思う。一方で、経済政策には何ら見るべきものがなかった、というより失敗だったのである。
安倍前総理
国家観の見えない菅首相
新しく発足した菅政権は、「安倍路線を踏襲する」と言明した。外交と国防はぜひともそうして欲しいがやや心配だ。菅首相には、安倍氏と異なり、国家観とか理念があるようには見えないからである。2020年6月に朝日新聞が行った、次期首相にふさわしい人物に関する調査で、菅氏は3%にすぎなかった。私を含め国民のほとんどは、菅官房長官を、失言のない、すなわち内容のないことしか言わないスポークスマン、としか見ていなかったのである。彼はしばしば「実務型政治家」と称されるが、これは「国家観がない」の婉曲表現なのだ。コロナは終息せず、世界的不況が忍び寄り、米中摩擦が武力衝突に発展するかの瀬戸際にある今日、国家観のない首相でやっていけるか懸念される。
菅首相自身がその弱点を知っているはずだから、政策の主眼は必然的に経験を積んだ経済となる。安倍氏の果たせなかったアベノミクスを完成させるということになる。その中核が、安倍氏がほとんど手をつけなかった構造改革であることは、経済ブレーンを見れば一目瞭然だ。小泉内閣から安倍内閣に至る20年間にわたり政権の中枢にいて、ありとあらゆる巧言と二枚舌を駆使し、新自由主義の伝道師として日本をミスリードし、日本の富をアメリカに貢いできた、学者でも政治家でも実業家でもない疑惑の人物、竹中平蔵氏を任用したのである。氏の実像については、大宅壮一ノンフィクション賞および新潮ドキュメント賞に輝く、佐々木実著「竹中平蔵 市場と権力」(講談社文庫)に余すことなく描かれている。新政権の経済政策に大いなる不安を感ずるのはそのためだ。菅氏には小泉氏ほどの破壊力はなさそうだが、剛腕に加え、首相に突然這い上がった時に見せた手さばきを見ると人心掌握術にも長けている。安倍氏ではなく小泉氏を継承することになるだろう。
「改革」を掲げる菅総理
小泉竹中構造改革の罪
ここ20年余りに行われた構造改革は新自由主義=市場原理主義=グローバリズムにのっとったものだった。一言で言うと、ヒト・カネ・モノが自由に国境を越えられるようにすることだ。具体的には、国際金融資本や巨大多国籍企業などが世界中を股にかけいっさいの規制なしに利潤を追い求めることを可能にするものである。経済において国境をなくし、市場原理で世界を統一しようとするものだ。これはマルクス主義が、国境をなくし共産主義で世界を統一しようとしたのに酷似している。
これら構造改革には、大店法廃止、郵政民営化、労働者派遣法の改正……などいくつもあった。菅政権が構造改革を続行するなら、これら改革がどんな結果を生んだかを総括することが不可欠である。
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