クイズ「私は誰でしょう?」小さな大物
【ヒント】
「おしん」や「やすらぎの刻」に出演。日本を代表する名脇役といえば?
皆さん、分かりましたか? 答えは……
◆平泉成
ひらいずみ・せい 1944年6月2日生まれ 俳優
Photograph by Hideki Sugiyama
社会人1年目で、「学歴の壁」が歴然とあるのを知った。
「高卒の自分はページボーイで、大卒の人と同じポジションではない。このままずっとこの仕事をしていくんだろうかと疑問に思いました」
1964年、大映京都第4期のフレッシュフェイスに選ばれ、俳優に。
「“若さは馬鹿さ”でね。当時はスターを目指して体を鍛えていて、三隅研次監督に『そんな体じゃ、百姓の役にも使えんわい。阿呆か』と叱られて。今考えればその通りでした。どんな役でもやるようになったのは、子どもが産まれてから。俳優として生きる腕を持たないといけないと覚悟を決めたんです」
平成に元号が変わる約1年前に占い師の勧めで「平泉征」から「平泉成」に改名。元号ブームで一躍注目を集めた。いまや日本の映画、ドラマに欠かせない存在だ。
「イチかバチかで父親の反対を押し切って俳優になったものの、才能はなかったね。でも、スターになれなかったから今がある、かもね」
愛知県岡崎市出身。「母は助産師で、私は7人兄弟の末っ子。よく畑の仕事などを手伝いました」(本人中央、右隣が母)
「年に数回、小学校の運動場でやる野外映画が娯楽でした。スクリーンが風でペラペラとはためいていたね」(本人中央)
「中学生の頃は野球を。ポジションというほどのものはなくて。学校が終わると野山を駆け回っていました」(本人右)
地元の商業高校に進学。「これは本宮山に行ったときの写真です。当時は特に夢もなくて、ブラブラ遊んでいました」
岡崎商業高校にて(本人右)
高校時代は陸上部に所属。「三段跳びで、県大会の予選に受かるか落ちるか。いい選手ではなかったです(笑)」(本人左)
高校卒業後の1年は名古屋都ホテルでページボーイを。「研修で学んだことはいまだにはっきり覚えています」(本人中央)
「俳優に憧れ、市川雷蔵さん(故人)を紹介してもらいました。ふんどし姿は珍しいでしょう?」(本人左端、市川氏は左から4人目)
ニューフェイスの頃
市川雷蔵氏と。「とても面倒見がいい人で、よく新劇を見るための切符とお小遣いを手渡してくれました」(本人右)
映画「大魔神怒る」(1966年)で。「時代劇の多い大映よりも、現代劇の日活に入りたかったなぁと羨んでいました」
初舞台は「私の可愛いシャワー室」(1970年)。「東京に来て自分が田舎者だと自覚しました」(右から2番目が本人)
趣味は南米の縦笛、ケーナ作り。「これまで作ったのは1000本以上。昔から竹とんぼや竹籠を作っていたので、わけないです」
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