コロナワクチン 日本医師会が提唱する「個別接種」という危険な賭け
急浮上した「個別接種」で「現場」は混乱している。/文・辰濃哲郎(ノンフィクション作家)
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▶︎コロナワクチン接種プログラムの混乱に拍車をかけているのが、日本医師会の主導する「個別接種」だ
▶︎平井卓也デジタル改革相が打ち出した「マイナンバーの活用」はあまりに唐突で、地方自治体が反発した
▶︎日医の提唱する個別接種が成功すれば、「日本モデル」として世界に誇れるシステムにはなり得るが……
地方自治体の苛立ち
私たちの日常を取り戻すための切り札とも言える、新型コロナウイルスのワクチン接種が始まった。先行する医療従事者と並行して、4月からは高齢者への接種に取りかかる。だが、肝心のワクチンの供給が滞りがちで、自治体の接種計画に影響が出ている。おまけに個人の接種記録にマイナンバーを使う案が浮上したり、ワクチン1バイアル(小瓶)当たりの接種回数が、日本の注射器では所定の6回分を確保できないこと。さらにはシリンジ(注射器の筒)が入手困難に陥るなど、接種プログラムが迷走し、地方自治体の混乱が続く。
それに拍車をかけたのが、日本医師会(日医)の主導する「個別接種」だ。会場での集団接種とは別に、かかりつけの診療所などで接種をするというのだ。個人の安心につながる一方で、手続きの煩雑さや、ワクチンを小分け移送する際の温度管理などの難題を地方自治体に突き付けることになる。世界的にも例を見ないスキームの成否が判明するのは、接種が本格化した先のことになりそうだ。
地方自治体の最も大きな苛立ちは、ワクチンがいつ届くかの見通しが立たないことだ。現時点で唯一、日本で承認されている米ファイザー社製のワクチンは、年内に約1億4400万回分(約7200万人分)が輸入される手はずになっている。
ところが、生産工場のあるEUの域外輸出管理策によって、発送のたびに承認が必要となった。2月12日と21日、3月1日に計約70万人分が届いたが、約500万人とも想定される医療関係者らへの接種分さえも確保できていない。
24日には、河野太郎行政改革相が高齢者への接種を4月12日から開始すると表明した。だが、供給量が見込めないので、あくまで「トライアル」という限定的な形でのスタートだ。高齢者への接種を賄う分は6月末までに確保できる見通しではあるが、いつ、どの自治体にどれほど供給できるかは見通せない。
このままでいくと、一般の国民が接種を受けられるのは早くて秋口、供給量によっては年を越す可能性すらある。
東京都内の区のワクチン担当者は「大臣の会見を聞いて、我々が予定していたシミュレーションは成立しないということが見えた。これでは接種券を送る時期も見通せない」と途方に暮れる。ある政令指定都市の担当者は「お店を広げても品物がないのと同じ。予約の枠が少なければクレームにつながり、それを受けるのは私たち。もう愚痴はこぼさないと決めた」と、半ばやけっぱちだ。
全世界でワクチン獲得競争が激しさを増し、発展途上国への供給も滞るいま、日本だけ優先してほしいとは、なかなか言えない事情は分かる。だが、そのしわ寄せは接種の主体となる自治体に覆いかぶさる。
五輪に間に合うのか?
唐突な平井大臣の提言
国内での接種プログラムの構築にも紆余曲折があった。例えば接種記録の方法だ。昨年12月18日に開かれた厚生労働省による自治体向けの説明会では、接種記録は「予防接種台帳で情報管理」と指示された。
ところが、年明けに平井卓也デジタル改革相が会見で、突然「マイナンバーの活用」を打ち出した。
住民票はないが実際に居住している人や、接種券をなくしてしまった住民にとっては、マイナンバー活用は利便性が高い。だが、厚労省とのすり合わせもできていない平井大臣の発言は、あまりに唐突だった。河野大臣も一時は追従したが、すでに予防接種台帳をもとにしたシステム構築を進めている自治体からの反発もあり、撤回された。
続く混乱は、1バイアル当たりの接種回数である。日本で流通している注射器では、先端に残るワクチン量が多いため6回分を確保できない。同省予防接種室の担当者によると、元々5回分だったのが、昨年12月にファイザー社から6回分に変更するとの連絡があったという。そのときに気付くべきだが、厚労省が「6回分から5回分に見直す」と明かしたのは2月に入ってからだ。このままでは1箱当たり195バイアル、1170回分の予定が、975回分に目減りしてしまうことになる。
希釈用のシリンジも不足している。ワクチンのバイアルに、希釈用の生理食塩水を入れる際に使うのだが、自治体が準備することになっている。だが、どのメーカーも在庫が不足していて、入手が困難になっている。当面、国が備蓄しているものを当てる予定だ。
後手に回る河野大臣
医師会・中川会長の周到さ
そして、国を挙げてのプロジェクトを根底からひっくり返したのが、ワクチンの「個別接種」だ。
もともと厚労省は、海外からのニュースで見られるように、設営した会場で次々と接種を行う集団接種を想定していた。地方自治体ごとに体育館、集会所、大型病院など大規模施設で実施する方式だ。
ファイザー社製ワクチンは、マイナス75℃の超低温で各自治体に送られる。温度管理が厳しく衝撃にも弱いため、ディープフリーザーと呼ばれる超低温冷凍庫が置かれる基本型接種施設で保管される。当初は、それ以上の小分けはできないとされていた。
この方針に初めて変更を加えたのが、1月8日付の厚労省の通知だ。「連携型接種施設に移送する」との説明が加わった、小分け配送容認への方針転換だ。予防接種室によると、小さな自治体ではワクチンの箱の最小単位である195バイアルを、一つの会場で使い切るのは難しい。そのため小分け配送の問い合わせが相次ぎ、これを受けて、ファイザー社とも協議したうえで認めたという。
だが、この時点で想定していたのは、大型の医療施設など3カ所程度の小分けだったという。
立憲民主党の西村智奈美議員が、厚労省から提出させた自治体向けのQ&Aに、こんな記述がある。
〈数十か所といった多数の医療機関への移送はできません〉
つまり、この時点ではかかりつけ医など多くの診療所への小分けは想定していないということだ。
ところが、この方針が揺らいでいく。
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