天才ホワイトハッカー「Cheena」 かつてのブラックハッカーがネットの救世主になるまで
サイバー犯罪の世界にいた少年が、ネット業界の救世主となるまで。/文・須藤龍也(朝日新聞社編集委員サイバーセキュリティ担当専門記者)
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▶︎「漫画村」運営者の存在を独自の調査で割り出し、明らかにしたのが、チーナだった
▶︎チーナの手法はまさに、ネット時代の新たな諜報活動として、国家の情報機関も採用する「OSINT(オシント)」(Open Source Intelligence)と同じ流れを汲む
▶︎チーナは、「ネットの闇」を暴くホワイトハッカーとして知られるようになった。だが彼自身が、ネットの闇に陥った過去があった
悪いハッカーに対抗する「正義の味方」
3月2日午後、約束の時間から20分遅れで、その男性は現れた。東京・渋谷駅に直結するホテルのラウンジ。筆者はこの原稿を書くにあたり、彼から近況を聞くため1年1カ月ぶりに再会することとなった。
寝起きの時間が日々めちゃくちゃな生活をしていた彼は、以前なら待ち合わせ時間にチャットで「いま起きました」と伝えてきていた。今回もそんな事態に備え、1時間早く待ち合わせ時間を設定していた。
筆者は一人、コーヒーを頼み、ゆっくり本でも読みながら待つ構えでいた。その矢先、20分遅れで彼が目の前に現れたときは、「何が起きた?!」と正直驚いた。
彼は、通称「Cheena」(チーナ)とインターネット上で呼ばれている。今年で24歳。彼のツイッターでは、「虚業家3年目(ウェブ開発・脅威インテリジェンス・海賊版対策)」と自らの仕事を紹介している。フォロワーが1万4000人以上おり、「ホワイトハッカー」として知られる有名人である。
「ハッカー」とは俗に、コンピューターシステムに侵入したり、情報を盗みとったりする悪意を持った人物の総称として今は使われる。ただ本来の意味は、コンピューターについて深い知識を持った人物に対する、尊敬を込めた言葉だった。
だが、コンピューターへの不正侵入が「ハッキング」と呼ばれるようになり、ハッカーも悪意を込めた文脈で使われるようになった。
ホワイトハッカーとは、さながら悪いハッカーに対抗する「正義の味方」だ。チーナは、正義のハッカーを生業にする、日本でも数少ない人物の一人である。
悪いハッカーを際立たせる意味で、あえて「ブラックハッカー」と称することもある。実はチーナもかつて、こちら側で名を馳せていた。それは後半で触れることにする。
PCを操作するCheena
「漫画村」摘発の立役者
身長170センチ、細身の青年であるチーナは、いわゆる「パソコンオタク」のようなイメージとはほど遠い。筆者と最初に出会ったのは彼がまだ19歳のころ。それから4年がたった今、ホテルのラウンジ席に腰掛けたチーナに、筆者は真っ先に聞きたいことがあった。
「今月の売上3桁になるから自分にごほうびあげた」。今年2月のツイッターの投稿には、月の売上げが100万円以上になることを示唆するような記述があった。聞けば個人事業主として仕事をするチーナの、これまでで最高額の売上げだったという。
今回、そんな大口の仕事を誰が依頼したのか。一体、どんな仕事を引き受けたというのだろうか。
「海賊版サイトの運営者を探し出す依頼です」と、チーナは言った。
海賊版サイトとは、オリジナルの動画や漫画、出版物などを違法コピーし、無料で公開しているウェブサイトのことだ。あらゆるコンテンツの海賊版が流通することで、作者や出版社など著作権者の収入が減り、深刻な社会問題となっている。
例えば海賊版漫画による損失は、2020年の1年間で2114億円と試算される(出版業界などで作る一般社団法人ABJ)。動画も相当額の損失が想定される。
依頼者について聞いてみると、ある大手配信事業者のCEO(最高経営責任者)だった。チーナのツイッターに直接、ダイレクトメッセージを送ってきたという。
依頼者がチーナに提示した金額は「時給1万円からのスタート」だった。およそ1カ月の調査に要したのは百数十時間。請求は全て自己申告、つまりは「言い値」だ。
会ったことのない依頼者が、チーナに破格のオファーを提示したのは、彼への全幅の信頼に加え、成果を期待する証しと言える。
それはチーナが筆者に読み上げてくれた、依頼者のメッセージからも読み取ることができた。
「漫画村の運営者の逮捕のご協力に関しては誠にありがとうございました」「Cheena様のご協力がなければ逮捕はされていないか、もしくはおそらく逮捕は大幅に遅れていたと思います」
「漫画村」とはかつて、人気漫画の海賊版を無断で掲載していた国内最大規模のサイトだ。
著作権の専門家で、海賊版対策に詳しい福井健策弁護士曰く「最強最悪の著作権侵害サイト」。2018年4月に閉鎖されるまでの間、5万点以上の漫画や雑誌の海賊版が掲載され、1カ月の訪問者がのべ1億人を超えていた時期もあったとされる。
その被害額は、2017年9月からの半年だけで3200億円という驚きの試算まである(一般社団法人コンテンツ海外流通促進機構)。
当時は運営者はおろか、サイトがどこから発信されているかもわからず、実態が謎に包まれていた。このため政府が海賊版サイトに対し、ネット回線の接続遮断措置(サイトブロッキング)まで検討するきっかけを作ったのが、漫画村だった。
この運営者の存在を独自の調査で割り出し、明らかにしたのが、何を隠そうチーナだった。
チーナは、インターネット上に点在する情報の断片を丹念に集め、漫画村の運営実態に迫っていった。2017年8月、自身のブログで調査結果を公表すると、出版業界や当時、水面下で捜査に着手しようとしていた警察が色めき立った。
そして2年後の2019年9月、運営者とされる男がフィリピンで身柄を拘束され、逮捕された。成田空港で捜査員に囲まれ連行された男の姿は、チーナがブログで公表した画像と同じ、その人物だった。
「漫画村」の画面
犯人の小さなミスを見逃さない
警察当局は、チーナの調査内容に当初から注目していた。ブログの公開から3カ月後、事件の捜査を担った栃木県警の捜査員が接触してきた。チーナは捜査員にUSBメモリーを手渡し、未公開の情報も含め提供した。その見返りは、茶封筒に入った3000円の謝礼だった。
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