ブラックマヨネーズ・吉田敬 コロナで得たもの|特別寄稿「私とコロナの日々」
新型コロナウイルスは、世界の景色を一変させてしまいました。文藝春秋にゆかりのある執筆陣が、コロナ禍の日々をどう過ごしてきたかを綴ります。今回の筆者は、ブラックマヨネーズの吉田敬氏です。
大泣きした日
僕達ブラックマヨネーズは、2003年頃から関西で忙しくなりだし、2005年のM-1優勝をきっかけに、翌年からは東京でもたくさんお仕事をいただき、おかげ様で現在でも多くのお仕事を頂戴しております。
本当に、ありがたい話です。
しかし、ここ数年、特にここ2年程、僕は休む事ばかりを考えていました。小杉はそんな事考えてないと思いますが、僕は長期休暇が取れたらいいなとまで思っていました。
なぜそう思っていたか。
それは、息子の成長をとことん見逃し続けていたからです。
僕には6歳の息子がいるのですが、とにかく産まれてからもあまり会う事ができずにいました。全国色々な所で泊まりの仕事もあるし、たまに家に帰れてもその時間にはもう息子は寝てしまっているので、息子のほっぺたにそっとキスをして、息子のほっぺたを湿らす事ぐらいしかできませんでした。
そんな暮らしをずっとしていたので、ある時ハイハイさえろくにできてなかった息子が急にリビングで歩き出したのを見て僕は驚き、
「おい! コイツ今歩いたぞ!」
と妻に向かって叫ぶと、
「え? もう結構前から歩けるよ」
と返されたり、ある時は普通のコップに入ったジュースを息子が飲もうとした時、僕が怒り口調で、
「おい! ストローのついたいつもの水筒に入れたるからちょっと待て! こぼすぞ!」
と注意したものの妻に、
「え? もうこの子普通のコップで飲めるよ?」
と言われたりしていました。
そして一番胸にこたえたのは2年前、息子が幼稚園の年中の時、夜7時ぐらいのいい感じの時間に帰宅する事ができたのですが、やたらと息子が僕に甘えてくるんです。
「高い高いやってー。もっとやってー。次は肩車やってー。このまま外へ出て月見に行こうぜー」
など、止まらなかった。
いつも、たまに一緒に居れる時はよく絡もうとしてくれるのですが、この日は特に凄かった。
そして夜9時過ぎに息子が寝た後、妻に「今日アイツ抱っこしてくれとか肩車してとか凄く言ってきたなぁ」と僕が嬉しそうに話しかけると、妻は少ししんみりしたトーンで教えてくれました。
「今日幼稚園、父親参観の日やってん……。敬クンは仕事で無理なんわかってたから私が行ってんけど、皆はお父さん来てはってお母さんは私だけやった。だけどあの子優しかったよ。親子対抗でイス取りゲームがあってんけど、あの子メッチャ私を守ろうとしてくれてた。でも負けたけどね……。そして負けた親は胸に、「×」が書かれたシールを貼ってまた何回かゲームに参加するんやけど、あの子、その「×」のシール俺の胸に貼るわって言って、私から取り上げて自分の胸に貼ってくれてん。ああ男の子やな、頼もしいなと思ってたけど、やっぱり寂しかったんかなぁ……」と。
僕は思わず「ちょっと向こう行ってくれ。ごめんやけど」と言って妻に離れてもらって、少し飲んでいたものの大泣きをしてしまった。
人間はそう単純ではない
この人生は良くない。
実は以前から仕事ばかりではなく、もっと自分や家族との時間も取るべきだと思っていたのに……。
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