中国にはない「レガシー問題」に引きずられる日本/野口悠紀雄
※本連載は第45回です。最初から読む方はこちら。
「レガシー問題」とは、古いコンピュータシステムが残っているために、新しいシステムに移行できないことです。日本では、いまだにレガシー問題に悩まされています。とくに金融機関において、この問題が深刻です。その意味で、日本は、電気の導入で遅れをとった当時のイギリスと、同じ状態にあります。中国にはレガシー問題はありません。
レガシー問題とは
「リープフロッグとは、更地に建物を建てるようなものだ」と、第10回「中国でリープフロッグが起きたのはなぜか?」で述べました。
古い建築物が残っていると、そこを更地にするために費用がかかります。解体費用だけではありません。人が住み事業が行われていれば、立ち退きのために、厄介な交渉が必要になるでしょう。
実は、コンピュータシステムにおいても、「古いシステムが残って稼働し続けているために、新しいシステムに移行できない」という問題があるのです。
これは「レガシー問題」と呼ばれるものです。
1970年代になって、コンピュータがビジネスでも用いられるようになってきました。この時代の仕組みは、メインフレームコンピュータ(大型コンピュータ)を用いるものでした。これは、組織ごとに閉じた仕組みです。
日本は、この時代において、世界のトップにいました。例えば、1970年代に完成された銀行のオンラインシステムは、世界の最先端を行く仕組みでした。
これは、日本型組織とは相性の良いものだったのです。
ところが、その当時の技術体系にうまく対応しすぎたために、その後に生じたコンピュータシステムの変化に対応することができなかったのです。
つぎはぎで対応してきた
コンピュータに要請される機能はどんどん増えたので、80年代の仕組みそのままで稼働しているわけではなく、その後の要請に対応しています。
ただし、対応するために、全体を一新したのではなく、基本的な仕組みはそのままにして、それを部分的に修正したり、新しい機能を追加するなどの方法で対応しました。つまり、つぎはぎで対応してきたのです。
複雑になりすぎたコンピュータシステムを改善しようとしても、どこかをいじると全体としてどんな影響がでるかが分からず、そのため「怖くて手が出せない」という状態になってしまったからです。そのため、何とか古いシステムを使い続けるという状態が続いてきました。
この結果、「コンピュータシステムの内容が複雑怪奇なものとなり、全体としてどうなっているのか、誰にも捕捉できない」という状態になったのです。
こうしたシステムでは、プログラム言語も、1980年代に使われていたCOBOL(コボル)という言語がそのまま使われています。
プログラム言語は、その後変わったために、いまではCOBOLを理解できるエンジニアは高齢になってしまいました。
そうした人々は、やがて退職していきます。そうすると、現在のコンピュータシステムの中身がどうなっているのかがまったく分からないという事態が生じかねないのです。
つぎはぎで作ったために、異常な入力があった時、反応してシステムが止まってしまうことなどが起こります。
古い世代のエンジニアが2025年頃に退職することから、この問題は、「2025年の崖」と呼ばれています。
これは、2018年に経済産業省の研究会が警告を発したものです。
このレポートのタイトルは「DXレポート」というものです。
「DX」という言葉は、一般には、「デジタル化を進めて、生産性を上げる」という積極的な意味に使われることが多いのですが、「DXレポート」が指摘しているのは、このように、日本が後ろ向きの意味においてきわめて深刻な問題に直面しているということなのです。
このレポートは、日本のデジタル化予算の大部分がレガシーシステムを維持するだけのために取られてしまうと警告しています。
金融機関のシステム障害は恐ろしい
金融システムの大規模な障害は恐ろしいものです。10月1日に、東京証券取引所で異例のシステム障害が発生し、取引が終日停止しました。
東証は、レガシーシステムからの脱却をいち早く行ったことで知られています。
メインフレームとPL/Iというプログラム言語で1980年代に構築した売買システムを刷新し、Linuxをプラットフォームとした派生売買システムを2008年1月から運用しています。
2010年大発会の1月4日には、新売買システム「arrowhead」(アローヘッド)を稼動させました。これはLinuxベースの分散システムで、売買注文処理の高速化を実現したものです。
2015年9月には新「arrowhead」に移行。2019年11月には、さらに新しいシステムに移行しています。
それでもこうした事故が起きてしまうのです。
ましてや、メインフレームを部分的につぎはぎで修理していったシステムでは、いつ何が起きるか分かりません。
このことは、とくに金融機関の勘定系システムで大きな問題となっていました。
もともとのシステムが稼働したのは、1970年代のことでした。各行ごとに専門のITベンダーがついて、独自のシステムを構築したのです。
1990年代の後半に金融危機が起こり、金融機関の大規模な再編成が行われました。ところが、それまでのシステムは、各行ごとにバラバラのものであったため、これを統合するのは、きわめて難しい問題になったのです。
その結果、つぎはぎシステムの問題が現実化してしまったのです。
もっとも深刻だったのが、みずほ銀行のケースです。
統合銀行の営業開始の当日(2002年4月1日)に大規模なシステム障害が発生。ATMが使えないなどの混乱した状態が1ヶ月以上も続きました。
さらに、東日本大震災から4日後の2011年3月15日にも障害が発生しました。すべての障害が解消したのは、3月30日のことでした。
みずほのコンピュータシステムは、2019年の7月になってやっと新しいシステムに移行しました。合併してから実に20年近くの年月が経っていました。
IT化に対応できない
問題は、1990年頃から、情報システムが大型コンピュータから分散化されたITに移行していった過程で、日本の組織がうまく対応することができなかったことです。
なぜ対応できなかったのでしょうか? この問題については、日本型組織の問題として、後の回で議論したいと思います。
原理的に考えれば対応できない問題ではないのですが、そのためには、経営者が問題の本質を的確に捉えていることが必要であり、さらに、決断とリーダーシップが必要です。
アメリカでは、こうした人々が経営者であると考えられています。経営者とは、専門的な職業であると考えられているのです。
危機に陥ったIBMを救うために、ルイス・ガースナーが全く畑違いの企業であるナビスコからIBMのCEOに招かれてIBMを再建したことは、よく知られています。
ところが、日本の場合には、経営者は経営を行う専門家ではなく、その組織の中で出世の階段を最後まで登ってきた人なのです。
したがって、デジタル化について理解がある経営者はごく少数です。本来であれば、デジタル化に関する知識は、専門家としての経営者にとって必須の知識のはずです。しかし、日本では、必ずしも必要なこととは考えられていないのです。
これは、深刻な問題です。
日本は19世紀のイギリスと同じだが、中国は経験していない
第2次産業革命が起きたとき、イギリスが立ち後れたことを述べました。イギリス社会は、蒸気機関やガス灯などの技術に社会が対応してしまっていたために、第2次産業革命の主要な技術であった電気に対応できなかったのです。
これと同じようなことが、いまの日本で起きています。コンピュータのレガシーシステムを引きずっているのです。
ところが、中国は、メインフレームコンピュータの時代をまったく経験していません。その当時の中国は社会主義経済であり、コンピュータの利用などおよそ考えられないような状態だったからです。
本連載の第3回において、「中国におけるITの進歩が著しいのは固定電話を経験していないからだ」と言いました。
確かにそれもあるのですが、メインフレームコンピュータの時代を経験していないことの意味は、これよりずっと大きいと言えるかもしれません。
(連載第45回)
★第46回を読む。
■野口悠紀雄(のぐち・ゆきお)
1940年、東京に生まれる。 1963年、東京大学工学部卒業。 1964年、大蔵省入省。 1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。 一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、 スタンフォード大学客員教授などを経て、 2005年4月より早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。 2011年4月より 早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問。一橋大学名誉教授。2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。著書多数。