赤坂太郎

赤坂太郎<政界インサイドレポート> 台風が狂わせた安倍の「解散」シナリオ

東京・赤坂は政界の奥座敷と呼ばれる。昼は永田町にいる政治家たちは、夜になると料亭が立ち並ぶ赤坂へと流れてくる。そこで垣間見えるのは、政治家たちの裏の顔だ。敏腕政治記者が表には出てこない政界裏情報を匿名で執筆する文藝春秋の名物コーナー。

被災地への対応に追われて思わぬ誤算。そして都内では不気味な蠢きが……

「天皇陛下、バンザーイ!」

 10月22日、天皇陛下が国の内外に即位を宣明する即位礼正殿の儀。180カ国を超える各国要人を前に、首相の安倍晋三はいつになく緊張した表情で、万歳三唱の音頭を取った。関東甲信、東北を広く襲った台風19号の甚大な被害に対応するため、即位礼正殿の儀や饗宴の儀での自らの所作を覚える時間の捻出さえままならなかった安倍。「間違えてはならぬ」というプレッシャーが緊張の背景にあった。

 安倍は台風被害への対応に追われていた。7時間を超える国会での予算委員会を終えた後に災害対策本部会議を開き、合間を見つけて被災地の視察を重ねた。千葉で大規模停電を引き起こした台風15号被害で指摘された初動対応の遅れを取り戻そうとするかのようだった。政権内には「台風19号に対応しているおかげで、15号のミスが消えた」と何とも皮肉な安堵が広がっていたが、台風19号は安倍の2つのシナリオを狂わせた。

 1つ目は衆院解散だ。

 政府は台風19号被害を特定非常災害に指定。1995年の阪神大震災によって設けられた特別措置法で、被災者は運転免許証の有効期間の延長などの特例措置を受けられる。台風19号が6例目だが、なかでも安倍の脳裏に強く残るのは2016年4月に起こった熊本地震だ。この年の6月、安倍は通常国会閉会に合わせた記者会見で「衆院解散について私の頭の中をよぎったことを否定しない」と述べ、参院選とのダブル選挙を検討していたことを認めた上で、熊本地震を理由に衆院解散を見送ったことを明かした。

 台風被害の復旧は長期化が予想される上、地域が限定的だった熊本地震に比べて被害範囲が広い。同じく特定非常災害に指定した災害が起きた今、衆院を解散していいものか?――安倍にはこんな思いが浮かんだのは間違いない。台風が列島を襲う直前まで、年内もしくは年明けの通常国会冒頭での衆院解散について安倍の「頭の中をよぎった」ことは確実だったからだ。

「解散があろうがなかろうが、秋には解散風を吹かせる」

 参院選が終わった直後の7月下旬、安倍周辺は会食でこう語った。野党第一党の立憲民主党は金欠に悩む。金庫をすっからかんにさせ、さらに追い込むには、フェイクであっても解散風を吹かせる、というわけだ。

 一方、安倍周辺は親指を立てながら「ただ、『これ』は本当に解散するかもしれない」とも語り、これ(安倍)が解散する可能性を示唆した。参院選は自公で過半数を占めたが、与党に加えて日本維新の会などの「改憲勢力」は、憲法改正発議に必要な3分の2を4議席、割り込んだ。

「参院にいる野党の数人がこちら側に来てくれればいい。ただ、その数名が動くための大義名分として『これ』は憲法改正を掲げて早々に衆院を解散するかもしれない」

憲法改正から逃げられない

 その言葉通り、秋口には解散風が吹き荒れた。発信源の1つは安倍自身。与党幹部との会食で「あいさつと解散は急に来るもの」と語ったかと思えば、「12月に解散して勝ったこともある」とも語った。早期の解散案に、実力者たちも前向きだった。官房長官の菅義偉が「早期解散ならば年内しかない」と言えば、副総理兼財務相の麻生太郎も「来年度予算案を仕上げて、年明け解散すればいい」。日頃から反目しあう2人が言う時期は微妙に異なってはいるが、本命視されてきた「来夏の五輪後の解散」や「新年度予算が成立した直後の来春の解散」よりも早い解散という点では一致している。

 NHKと読売新聞は解散に向けた選挙態勢を敷いた。そんな中、安倍に最も近い記者が作った安倍の取材メモが出回っている、との情報が永田町を駆け巡った。しかも「野党が臨時国会で国民投票法を審議しないのであれば、通常国会冒頭で解散する」――と安倍が語っているとの解説つきだ。メモの存在すらも真偽不明の怪情報にすぎないが、永田町関係者の間では「安倍の本音」だと受け止められた。

 実際、野党は安倍主導の改憲論議の進展を牽制するため、今年の通常国会でも積極審議には応じなかった。7月の参院選で「憲法改正を議論するかしないかも争点だ」と掲げて勝ったことを誇る安倍とすれば「野党は参院選に表れた『憲法改正論議を進めよ』との民意を無視している」と衆院解散への大義ができるという論法だ。

 安倍が憲法改正から逃げられないことは自明である。日本会議のような保守系応援団への配慮ではなく、東京・富ケ谷の自宅でともに暮らす母・洋子の存在がある。

「あなたは『もう1回、総理になる』と言った時、私に約束したわね。お父様が成し遂げられなかった憲法改正を果たすって。あなた、まだ、約束を守っていないじゃない」

 洋子が安倍にことあるごとにこう注文をつけていることは、安倍家の事情を知る者の間ではよく知られている。「お父様」とは、洋子の父親である元首相の岸信介のことだ。祖父・岸の存在は、安倍の政権運営の支えである。安倍が成立させた特定秘密保護法は、岸が1957年にダレス米国務長官の要求に応じて制定に意欲を示した秘密保護法制に似る。2014年に憲法解釈を変更した集団的自衛権の行使容認は、日米両国の双務性を高めたかった岸の執念の具現化ともいえる。そして何より岸の悲願は憲法改正だった。洋子に言われずとも安倍は祖父の悲願の重さを痛いほど感じている。改憲の難しさを自覚しながらも、外側からは洋子のプレッシャーが、内側からは自らに内面化された岸の怨念が、安倍を突き動かしてきた。

 安倍は14年には消費増税先送りを大義に、17年には消費増税の使途変更を大義に、衆院を解散した。ただ、いずれもが最終ゴールである憲法改正のための「手段としての解散」でしかなかった。しかし歴代最長政権の名誉をかけて行う次の解散は、憲法改正を見据えた「目的としての解散」となる。

 年内もしくは通常国会冒頭の年明けに解散し、これまでと同じように野党に圧勝すれば、7月の東京五輪までの通常国会のうち多くの期間を憲法改正の論議で突っ走ることができる。そうすれば、五輪後の臨時国会もしくは21年通常国会での改憲発議、そして党総裁の任期満了を迎える21年秋までの憲法改正も現実味を帯びる。

 だが、台風19号の列島襲来で、解散風は急速に収まった。安倍に近い首相官邸幹部は「台風被害で少なくとも年内解散はできない」と言い切る。通常国会冒頭で、台風被害のための補正予算を成立させた直後の解散は理論的には可能で、立憲民主党と国民民主党の両党は水面下で候補者調整を進めているが、与党内では早期の解散機運は消えつつある。

公明との亀裂

 台風で狂った安倍のシナリオのもう1つは、「ポスト安倍」レースに向けた自らの存在感の誇示だった。

 天皇陛下の即位を祝うパレードが台風の被災地に配慮して11月10日に延期されたが、この日、安倍は自民党政調会長の岸田文雄とゴルフをする予定を入れていた。だが、皇室行事のさなかにゴルフなど難しい。

 2人のゴルフが台風で中止になるのは2度目。1度目は8月だった。安倍のほか、森喜朗や小泉純一郎、麻生ら歴代の首相が、日本財団会長の笹川陽平の別荘に集まり、宴会やゴルフをする恒例行事がこの時期にある。岸田は昨年、宴会には招かれたがゴルフには招待されなかった。安倍は今年、岸田のゴルフ参加を求め、岸田も20年ぶりにセットを買い替え、久しぶりに練習に励んだ。

「私の次は石破茂以外なら誰でもいい。あえて言えば岸田がいい」――そう考える安倍が岸田とコースを一緒に回れば、「後継の本命は、やはり岸田か」との見方がおのずと広がる。安倍には永田町で観測気球を上げる狙いがあった。さらには党内最大派閥の細田派を実質上率いる安倍が、後継指名のための「数の力」を保持していることを改めて印象づける意味もあった。

 だが、西日本を襲った台風10号で中止に。8月のリベンジにしたかった11月のゴルフもまた、中止になった。

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