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朝ドラ「カムカム家」の戸籍 名作ドラマがより楽しくなる驚きの事実 遠藤正敬

NHK朝ドラで戸籍が大写しに! 名作ドラマがより楽しくなる驚きの事実。/文・遠藤正敬(政治学者)

カムカム放送中のある“事件”

平日の午前8時台といえば? と問われて、NHK朝の「連続テレビ小説」(以下、「朝ドラ」)を連想する人は少なくないであろう。さかのぼれば「おはなはん」(1966)や「おしん」(1983)といった国民的人気作品を生み出した時間帯であり、近年も「あまちゃん」(2013)や「あさが来た」(2015)などのヒットが記憶に新しい。

今期の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」(以下「カムカム」)は異色の話題作といえる。安子・るい・ひなたという3代のヒロインが、大正から令和に至る激動の100年を生きる物語であり、その展開において家制度、戦争、民主化、高度経済成長……と日本の近現代史を貫く数々のテーマが盛り込まれている。そしてタイトルにあるように、3代のヒロインを結ぶ縦糸となるのが、ラジオ創成期から続くラジオ英語講座である。

筆者は戸籍制度をめぐる「日本人」のあり方を歴史的に研究している物好きであるが、テレビドラマなどは何年もまともに観ていない。

そんな筆者がなぜ「カムカム」に興味を覚えたかというと、放送中のある“事件”を知ったからである。

るいはトランペッターの大月錠一郎と結ばれるが、第56話(2022年1月20日放送)では錠一郎の、さらに第60話(同1月26日放送)では夫婦の戸籍謄本が画面に登場したというのである。

これの何が“事件”なのか?

そのゆえんは、テレビや映画で戸籍が開示される場面というのはそうあるものではないからである。戸籍は「日本人」の身分証明となる公文書で、結婚、養子縁組、離婚、帰化などが記録されており、いわばプライバシーの塊だ。とりわけ人権意識の高まった昨今にあって、たとえフィクションにせよ、戸籍をみだりに衆目にさらすことは慎むべきであるという倫理観が製作者にもはたらいてしかるべきである。

戸籍は1976年まで公開制であったため、結婚相手の履歴など、身許調査の格好の手段として利用された。そんな“取扱い注意”の戸籍がなぜ朝ドラに登場したのか?

かくして“戸籍の虫”の触角をくすぐられた筆者は重い腰を上げ、NHKオンデマンドで「カムカム」を安子・るい編を中心に一気見した。以下、戸籍という視点を通じてこの朝ドラから浮かび上がってくるものを綴ってみる。

血のつながらない「家族」

ざっとあらすじを紹介しよう。

岡山で和菓子屋を営むたちばな家の長女・安子(1925年生まれ)は雉真きじま繊維社長の長男・稔と結婚し、1944年に長女るいを産む。稔が戦死すると、安子は雉真家を出て大阪で和菓子売りをしながらるいを育てるも、やがて雉真家に呼び戻される。

だが、るいはとある誤解から安子に裏切られたものと恨み、安子に“I hate you.”と言い放って拒絶する。これに絶大なショックを受けた安子はるいを捨て、懇意となっていた進駐軍将校のロバートと米国へ行ってしまう。

高校卒業後に雉真家を出て大阪で暮らし始めたるいは、大月錠一郎と結婚し、京都で回転焼き屋を営む。1965年に長女・ひなたが生まれ、成長したひなたは時代劇好きが昂じて映画撮影所に就職する――。

さて、問題の錠一郎である。彼は戦災孤児であり、安子と稔が通っていた岡山のジャズ喫茶のマスター・柳沢定一に引き取られた。錠一郎が最初に定一に出会った時、名前を聞かれて「ジョウイチロウ」とだけ答え、「苗字は?」の問いには黙り込む。そこで定一が大きな満月をみて「大月」という苗字を付けてやった。姓が異なるので、錠一郎は定一の「事実上の養子」である。

るいも大阪生活では、子のいない気のいい夫婦が営むクリーニング屋に住み込みで雇われ、娘同然に可愛がられた。錠一郎が2人にるいとの結婚を願い出た時は、夫が「娘をよろしくお願いします」と頭を下げている。こうした血の繋がらない「家族」は珍しくはないのである。

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るい役の深津絵里

戸籍を新たに作るには

小説、映画、マンガなどにおいて主人公が孤児であるという設定は和洋を問わず割と多い。『赤毛のアン』『オリバー・ツイスト』『家なき子』『ハリー・ポッター』等々。主人公が貧困や差別といった逆境を乗り越えていくという“上昇”と、不遇の幼少期と打って変わって人生の成功を収めるという“逆転”の物語を描く上で、孤児というのはおあつらえ向きの設定だからであろう。

ただし、「孤児」とひと口にいっても、まったく生みの親を知らぬ場合と、幼くして親と死別ないし離別した場合とでは、境遇がまた異なってくる。右記の作品の主人公はいずれも後者に属する。

錠一郎はどちらなのか? 画面に映し出された彼の戸籍をみると、出生年月日は「昭和15年12月25日」とあるが、父母欄(「父」が「夫」となっているミスあり)はともに「不詳」となっている。ならば一体、誰が出生届を出したのか?

無戸籍の戦災孤児が生まれるのは、戦時下の混乱の中で出生届が出されないまま親と死別したというパターンによることが多い。

錠一郎が戦災孤児になった経緯は劇中で語られないが、察するに空襲が原因であろう。1945年6月29日に岡山市は米軍による大規模な空襲に見舞われ、1700人を超える犠牲者が出た(安子の母と祖母も揃って亡くなる)。とはいえ、錠一郎は1940年12月生まれであれば1945年6月時点で満4歳、今の学年でいえば幼稚園・保育園の「年中」にあたる。その年齢で父母の名を知らないというのは考えにくい。あるいは両親を失ったショックで記憶喪失にという可能性もなくはないが、それならば生年月日は覚えているのがむしろ不思議である。

そこで彼の戸籍をみると、「戸籍事項」(この戸籍がいかなる経緯で編製されたか)の欄には「昭和24年2月14日附許可の裁判により就籍」と記載されてある。「就籍」というのは、「日本人」でありながら戸籍をもたない者について戸籍を創設する手続きである。現行戸籍法(1948年施行)によれば、就籍するには家庭裁判所の審判を経なければならない。

未成年者が就籍を許可された場合、就籍の届出は後見人が行わなくてはならないので、錠一郎の場合、親代わりの定一が届け出たのであろう。氏名については就籍する者がそれまで名乗っていた通称を用いるのが慣例なので、定一が付けた「大月錠一郎」が戸籍名となったわけである。「錠一郎」の中に「定一」の名が隠れているところがミソである。

相関図

「カムカムエヴリバディ」人物相関図

戸籍は日本人だけのもの

肝心なのは、就籍の権利は「日本人」に限定されている点である。そもそも戸籍は「国民登録」であり、そこに記載されるのは「日本人」のみである(1898年戸籍法に明記)。外国人や無国籍者は就籍を申請する以前に、日本国籍を取得しなければ戸籍創設の資格はない。就籍は「帰化」とは異なるのである。

したがって錠一郎が就籍するには自分が「日本人」の子であることを出生証明書や母子手帳、あるいは証言によって証明しなくてはならない。だが、生みの親もわからぬとなるとそれは難儀を極める。事実上の「日本人」でありながら「中国帰国者」や「フィリピン残留日本人2世」が就籍に困苦を強いられるのもそのためである。錠一郎が例の歌よろしく「♪カム、カム、コセキ~」と歌い上げて就籍を望んでも、法の壁が厳然と彼の前に立ちはだかる。戸籍のない者が戸籍を作るというのは存外に困難な作業なのである。

もっとも、錠一郎には戦災孤児であるという特別な条件があった。これにより、就籍よりもはるかに簡単に戸籍をつくる道が開ける。それは戸籍法上の「棄児」と認定されることである。

1872年(干支が壬申みずのえさる)に全国統一の戸籍として編製された壬申戸籍の時代から、父母の知れない捨て子については発見後に戸籍を与え、「日本人」として処遇するという原則が出来ていた。

現行戸籍法においても、父母不明の子が国内で発見された場合、発見者または発見の連絡を受けた警察官は24時間以内にこれを市町村長に報告する義務があり、市町村長は棄児に氏名を与え、戸籍を編製する定めとなっている(第57条)。

その際に市町村長は発見年月日、発見場所、推定される生年月日、性別、届出人氏名などを記録した「棄児発見調書」を作成し、この調書をもって「出生届」とみなすとされている。棄児の本籍はその戸籍を創設した市町村役場の住所となる。

戦災孤児の戸籍

錠一郎が就籍を許可された1949年頃はまだ戦災孤児が全国に溢れかえっていた時期である。大半は救護院などの保護施設に入れられたが、街頭での靴磨きなどによって自活したり、泥棒で飢えをしのぐ孤児も少なくなかった。政府は孤児たちに就学や就職の道を開くにはまず戸籍を与え、「日本国民」として地位を確定した上で保護するのが先決と考えた。そこで便宜的に講じたのが、彼らを戸籍法上の「棄児」とみなし、戸籍を簡便に創設させるという方法であった。そのような“みなし棄児”の戸籍創設は1946~48年の時期が最も多かったとみられる。中には米兵と日本人女性の間に生まれた混血児も少なくなかった。

つまり血統は度外視され(当時の国籍法は父系血統主義で、父が日本人でなければ子は日本国籍とはならない)、何歳までを「棄児」とみなすかについても法的な定義はない。問題は錠一郎が定一に保護された時は小学生なみの年齢に達していた点である。このようなだいぶ成長した孤児については、法務府(現法務省)は「棄児」として扱うことを容認しつつも、将来への影響を考慮してなるべく就籍の手続きをとらせるようにと1950年に通達していた。「棄児」として戸籍が創設された記録が戸籍に残ることで本人に心の傷を負わせることを危惧したのである(就籍の場合でも父母欄が空欄であることには変わりないが)。錠一郎の就籍もこのケースに相当するものと考えられる。となると彼の生年月日も推定である。

あるいは戸籍が焼失したという理由で、その再製を申し出て戸籍をつくるという手もあった。松本清張の『砂の器』では、大阪大空襲で大量の戸籍が焼失したのを幸いに主人公が赤の他人の「長男」だと偽って戸籍の再製を申請し、全くの別人に生まれ変わるという重要なエピソードがある。

岡山市でも空襲で多くの戸籍が焼失したであろうから、錠一郎に戸籍を与えるなら定一が「焼失した」戸籍の再製を申し立ててもよかった。その場合、生年月日や父母名や本籍は適当に記入すればよかろう。

いずれにしても、「日本人」としての血筋も定かでない錠一郎役に、髪形も含めて無国籍風の容貌であるオダギリジョーを起用したのは配役の妙といえようか。

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るいの夫を演じたオダギリジョー

「入籍」してこその「家族」?

第60話の冒頭では、入籍後の「夫婦」の戸籍謄本をるいと錠一郎がにこやかに眺めながら歩く場面がある。ここで強風に戸籍が吹き飛ばされたりしたらと心配になるが、よほど嬉しかったのであろう。

画面に映し出された2人の戸籍は、「大月錠一郎」の氏名が筆頭にある。それまでは父母もなく錠一郎ただ1人しか記載されていなかった戸籍であるが、ナレーション曰く「るいは『大月るい』となり、錠一郎の戸籍に初めて家族が加わりました」。戸籍という紙の上に一緒に名前が載ってこその「家族」であるというのは守旧的思考といわざるを得ない。育ての親となった定一は錠一郎にとってかけがえのない「家族」であったはずである。そこは、孤児として育ったという錠一郎の不遇を強調したい意図からとみるべきか。

錠一郎は周囲に戦災孤児であることを知られていたり、親の名がない戸籍をるいに見せたりと、孤児という生い立ちを隠し立てすることはなかった。

そんな錠一郎でも、結婚については夫唱婦随を是としている場面がある。錠一郎がるいにプロポーズする際、それまで「サッチモちゃん」(「ニッチモサッチモ」の方ではなく、ルイ・アームストロングの愛称「サッチモ」から)と呼んでいたのを「るい」に改め、るいにも自分をもう「大月さん」と呼ぶのはやめてと頼むが、そこで出た言葉が「だって、るいもいずれ『大月さん』になるんだよ」。出世や名誉などに無頓着で浮世離れした感のある錠一郎でも、結婚したら妻が夫の姓に変わるのが当たり前という価値観は持ち合わせているわけである。

視聴者は、安子に捨てられたるいの姓がどうなったのか? という疑問を抱いたかもしれない。安子がロバートと正式に婚姻していたとしても、外国人は戸籍がないので安子の姓は変わらない。

安子が日本人と再婚したならば高確率で夫の姓に変えるであろうが、そもそも母が再婚しても、子の姓は変わらない。再婚相手と養子縁組しない限り、るいの姓は「雉真」のままである。

もっとも、るいにしても雉真の家に縛られることを嫌った。るいは幼少時のケガにより額に大きな傷跡が残り、それを不憫に思った父方の祖父・千吉が費用は出すから傷跡を目立たなくする手術を受けるように何度も勧めたが、るいは頑なに断った。これ以上、雉真家の世話になれば、一生自分はこの家に束縛されるとの懸念からである。何より自分を捨てた母への恨みを抱えていた彼女には「雉真」の姓に未練はなかったに違いない。

るいの戸籍の父母欄をみると、「父 亡 雉真稔」「母 安子」とあり、安子は生きているようにみえるが、その消息は執筆時点では分からない。一般的には、外国に住む日本人が亡くなった場合、現地の日本大使館に死亡届が出されていれば、本籍地の役所へと転送されて、日本での戸籍から除籍されることになる。しかし死亡届が出ていないと戸籍はそのままだ。

ちなみに稔の死亡は終戦後に届いた戦死公報によって知らされる。この戦死公報は、本人の死体が確認されずとも部隊が全滅するなどして、死亡した可能性が高いという推定の下に作成されることもしばしばある。よって、戦死公報が出されたものの、実は生きていた当人がひょっこり復員して、家族を驚かせるという事例も珍しくなかった。残念ながら稔にそんな奇跡は起こらなかった。

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ひなた役の川栄李奈

結婚は家のためなのか

安子が主役の時代は明治民法(1898~1947)に基づく家制度が生きていた時代でもある。そこでは、家族は家の統率者たる戸主の監督下に置かれ、個人の自由よりも家の幸福が第一とされた。

雉真家は、戸主の千吉が1代で一流企業に築き上げた雉真繊維を経営する家である。いきおい一家には「雉真」の家名を背負っているという共同意識が生まれる。野球に明け暮れている能天気な2男の勇でさえ、安子が稔と交際し始めた時、「兄さんはいずれ雉真の社長になる人や。アンコ屋の娘なんか釣り合うもんか」と咎めたほどである。もっとも、これは安子に恋心を抱いていた勇の方便かもしれないが。

家制度の下では、結婚するにも戸主の同意が必要であった。家の永続と繁栄を願う戸主にとって、家族の結婚もそのための手段でしかなかった。稔に一流銀行頭取の娘との結婚を迫る千吉が「結婚は家同士でするもんじゃ」「いま進めている縁談は雉真のため、ひいてはお国のためになるんじゃ」と勇に語る場面がある。ここからも家の繁栄は国の繁栄につながるものという当時の価値観がみてとれる。この流れでは安子と稔の“身分違いの恋”は実を結ばずに終わるかと思いきや、安子の人柄に魅かれて稔との結婚を許した千吉は案外ものわかりのいい父親のように映る。

だが、稔の死後に安子がるいを連れておはぎ売りを始めると、千吉は「長男の嫁とその幼い娘を外で働かせているとなると雉真の面子に関わる」とそれをたしなめる。これも「長男の嫁」という立場が戦後になってもいかに家に縛られるものであり続けたかを物語る場面である。

さらに千吉は跡取りとなる勇に安子との結婚を促す。未亡人が夫の兄弟と再婚する慣習は「もらい婚」とか「レビラト婚」などと呼ばれ、和洋を問わず珍しいことではない。かの『ハムレット』でも、ハムレットの父である国王が亡くなると、その弟クローディアス(実は兄を毒殺)が即位し、前王妃ガートルードはクローディアスと再婚する。これがハムレットの復讐の導火線となる。だが、稔への思いから安子は勇からの求婚に首をタテに振らなかった。

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安子役の上白石萌音

「家族」のかたちと戸籍

るいと錠一郎がゴールインしたことの意味は何か。とかく日本社会は、能力や人格よりも家柄や血筋が個人の評価を左右するところが大きかった。

今日でも結婚は“家同士の結婚”という側面が強い。結婚式場には「〇〇家」とあるのを見かけるし、結婚相手次第では親族が反対の声を上げもする。その点、るいにはもはや反対する親はなく、「家名」にこだわる口うるさい祖母も他界していた。

るいと錠一郎の結婚に見出せるのは、結婚は出自など関係なく個人同士の恋愛の成就であるべしという「多様性の尊重」のメッセージである。その反面で、結婚して「家族」になった証しとしてあえて「入籍」が強調されたのは戸籍を基軸とする旧来の「家族」像が現代もまだ根強いという風潮も窺わせる。

今日、日本のような「同氏の家族」を単位とする戸籍制度は世界に類をみない。韓国には日本の家制度に類似した戸籍制度(ただし夫婦は別姓)があったが、それも2008年に廃止となった。

本来ならば「カムカム・コセキ」と声を張り上げなくとも幸せに生きていける社会こそが理想的なのであるが。

文藝春秋2022年5月号|朝ドラ「カムカム家」の戸籍

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