砂川文次×小泉悠 超マニアック戦争論 「火力調整会議が荒れるんです」「ロシアの尖兵中隊って強いな」
「火力調整会議が荒れるんです」「ロシアの尖兵中隊って強いな」/砂川文次(作家)×小泉悠(東京大学先端科学技術研究センター専任講師)
砂川氏(左)と小泉氏(右)
「戦争自体をありのままに描写したい」
小泉 砂川さんが書かれた『小隊』を読んだ時、ロシアが北海道に攻めてくるという設定にすごく驚きました。作品が文芸誌(「文學界」)に掲載されたのは一昨年の夏ですが、私も当時はロシアが侵略戦争を始めるとは考えもしませんでしたし。
もちろん米ソ冷戦時代には、ソ連軍の日本侵攻モノは非常にポピュラーな架空戦記のジャンルとして確立されていました。小林源文さんの『バトルオーバー北海道』(1989年)などが代表的な作品ですね。
砂川 小林源文さんは私も読んでいました。新潟から上陸したソ連軍が東京を目指す『レイド・オン・トーキョー』が好きでしたね。
小泉 それが冷戦終結の後になると、ロシアが架空戦記のテーマになることは少なくなりました。日ロが軍事衝突を起こすとは考えにくくなったからです。砂川さんはなぜ冷戦後の現代にロシアと戦う小説をお書きになったのですか。
砂川 そもそもの『小隊』執筆の動機は、文芸における戦争の描かれ方にありました。戦後直後は別にして、現在いわゆる純文学と呼ばれる領域で描かれるのは、比喩としての戦争という印象があって、逆にエンタメにおける戦争は作品を面白くするためのスパイスとして扱われていることが多いのかなと。その中で自分は中道的というか、戦争自体にスポットを当てて、ありのままを描写してみたいと思ったんです。
小泉 どこの軍隊でもよかった?
砂川 対象の選定にあたっては、私が自衛隊在職時、北海道に駐屯した経験があるということが大きかったです。また、自衛隊の訓練で採用されていた「敵」の戦法は、主に旧ソ連を想定したものがベースだった。ある程度の土地勘もあり、ロシア軍の北海道侵攻なら書けるかなと考えてぶっこんでみた感じですね。
小泉 ぶっこみましたよね(笑)。『小隊』を読むと初っ端から「F70」「COP」などディープすぎる専門用語が、注釈も無しに押し寄せてきて驚きました。一般読者には絶対にわからない単語だらけで、意図的に牽制しているかのような印象がありました。特に戦闘シーンはあまりにリアルで……。私も職業柄、長年ロシア軍をウォッチしてきましたが、「いやあ、全然わかっていなかったな」と反省したところもありましたし、同時に「ロシアの尖兵中隊ってやっぱり強いな!」と、軍事オタクとしての満足感もあった。非常に豊かな作品だと感じました。
砂川 ありがとうございます。
対戦車ヘリ操縦士の気質
小泉 ただ、気になったところもあります。作品に登場する東部軍管区のロシア軍部隊は、規模・配置・展開・戦術を含めて異様なほど緻密でリアルなのですが、日本に攻めてくる「第59独立自動車化狙撃旅団」のみ、架空の部隊となっています。さらに言えば、この架空のロシアの部隊はT−90戦車で進撃してくるのですが、現実の東部軍管区にT−90は配備されていません。これには何か意図が?
砂川 答え方が難しいですね。実は、軍隊の戦術や戦法はかなり概念化されていて、具体名を伴った戦力が設定されていないんです。そうなると、個別の兵器や部隊の名称こそ、書き手の想像力が発揮できる、唯一の場所になる。そう思ったんですよね。
小泉 砂川さんは自衛隊在職時、対戦車ヘリコプター「AH−1Sコブラ」のパイロットだったと伺いました。元陸将で軍事研究家の山口昇さんという方がいらっしゃいますが、彼も対戦車ヘリの操縦士でしたよね。
砂川 そうですね。同じコブラのパイロットです。
小泉 山口さんは元イギリス陸軍大将であるルパート・スミスの著書『軍事力の効用』の日本語版を監修されるなど、“陸自の頭脳派”とされています。山口さんに限らず、対戦車ヘリの方々は頭脳派のイメージが強いのですが、特有の気質を生み出す土壌があるのでしょうか。
砂川 ありますね! わかりやすい例が「火力調整会議」でしょうか。正面の敵を破砕するために、敵を攻撃する火力をどのように配当するかを決めるものです。ここからはマニアックな話になりますが、火力と言っても色々あって、例えば方面火力と、師・旅団の裁量で配当できる直協、直接火力に分かれている。
T-90戦車
荒れる「火力調整会議」
小泉 方面火力は、方面隊が持っている口径の大きな榴弾砲が代表的ですね。「203(ミリ自走榴弾砲)」とか。直接火力は、第一線で使用する迫撃砲などがあります。
砂川 この火力調整会議が、かなり荒れるんですよ(苦笑)。自衛隊も一枚岩ではありませんから。方面と師・旅団での対立はもちろん、方面火力の中でも、航空火力と地上火力が対立しています。「うちの火力をこう使え!」と各々が主張して、会議が紛糾する。対戦車ヘリは希少な火力になるので、各要求を踏まえ、限られたリソースをいかに上手く使うかに心を砕くのです。
小泉 それはリアルな話ですねえ。やっぱり対戦車ヘリって、砲兵の延長なんですね。
砂川 そういう気質、矜持を持っている操縦士は多かったですね。
小泉 軍事史の本を読んでいると、砲兵というのはギルドみたいな特殊な集団だったとよく指摘されているんです。まず大砲というテクノロジーを使って戦うわけだし、その大砲の弾がどこに落ちるのかは完全に数学の問題だし。
砂川 だから、理詰めで考える人が多いのでしょうね。
小泉 自衛隊の人を見ていると、それぞれの所属先によって気質が違うように見えるんですよね。潜水艦乗りはロシアの潜水艦乗りにシンパシーがあるし、対潜哨戒機のP3C乗りは、韓国のP3C乗りに共感を抱いている感じがします。
逆に、同じ対潜水艦部隊でも、船と航空ではバチバチのライバル意識があると聞きます。水雷屋さん(魚雷や機雷を運用する職種)が、哨戒機乗りに向かって、「あいつら、どうせ家に帰ったらビール飲めんだろ!」と嘲っていたり。
砂川 ハハハ。
小泉 日本の純文学が戦争や軍隊を緻密に描けないのは、そういうリアリティをわかっていないからじゃないんですかね。まあ、火力調整会議なんて元自衛官でもない限り、誰もわからないと思いますが。
砂川 もう一つ、自衛隊のリアルを挙げるなら、第一線の部隊の人間って、国際情勢とか、あんまり難しいことは考えていないんですよ。ロシアがどうだとか、北朝鮮がどうだとかは興味がない。私も「次の休みは何するかな」ってことが、隊員生活において一番重要でした。
小泉 皆さん、いい意味で「職業人」なんだと思います。
砂川 精神よりも肉体が重要といいますか。どこの国でも似たようなところがあると思います。幹部候補生学校時代に、韓国の陸軍士官学校まで研修に行ったことがありました。研修では、互いがどういった訓練をしているかをプレゼンするのですが、自衛隊の100キロ行軍のスライドが出てきた時、向こうの士官候補生たちが明らかに「あーっ!」みたいな顔をしたんですよね(笑)。
小泉 ほう。
砂川 日本の陸自と同じように、韓国の陸軍も訓練に100キロ行軍を取り入れているらしくて。国家や民族の垣根を越えた、肉体としての共感みたいなものがありました。
P3C
本物の軍人はグダグダ喋らない
小泉 よくわかります。モスクワ駐在の陸自武官と飲んだことがあるのですが、「この前、ロシア軍の工兵の演習を見に行ったんですけど、やっぱり日本と一緒なんですよ!」って、すごく嬉しそうに話すんですよね。「基本爆破があって、戦闘爆破があって……」みたいな。
砂川 職種の魂が出てしまう。
小泉 爆弾の扱い方、飛行機の飛ばし方……軍人はそれぞれの手触りの中で戦争や軍事のことを考えている。国家がどうだとか崇高な理念を語るのは、三島由紀夫的な世界観だと思うんです。文学の中の軍人は喋り過ぎなんですよ。「本物の軍人ってこんなことをグダグダ言わないよな」と思っていました。
砂川 自衛隊を辞めた今だから言えるのですが、ナショナリスティックな感情で中国やロシアを敵視する隊員は一定数いました。だからこそ、国同士の軍事レベルの交流はすごく価値があると思います。韓国研修は日韓関係が悪化した際に一時中止されてしまったのですが、卒業生としては寂しかったですね。
小泉 軍事レベルでの交流が出来ていれば、どこかの国と戦争が起きても、少なくとも兵隊同士は憎みあわずに済む。ある種の矜持をもって相手に向き合えるかもしれませんね。ただ、ロシアとウクライナもかつて軍事交流を盛んにおこなっていましたが、現在の戦争では現場レベルで強烈な憎悪が渦巻いている。非常に残念なところです。
砂川 『小隊』が話題になってから、軍事関連のお仕事をいただくことが増えました。先日は航空専門誌『航空ファン』から取材を受けたのですが、バックナンバーの表紙に「ハインド(ミル24)」の写真が大きく使われていて驚きました。今回の侵攻でウクライナ軍に撃墜されている映像が話題になった、ロシアの攻撃ヘリコプターです。
小泉 旧ソ連諸国の標準装備ですよね。
砂川 攻撃の他に、人も乗せて移動することが出来る。上陸部隊を空から火力で支援しつつ、歩兵を送り込むという発想です。
小泉 そうそう。戦闘と輸送の役割を同時に担っているのが、ハインドの面白いところです。設計は輸送ヘリの「ミル8」をベースにして、胴体の中央部に兵士をのせるキャビンを残しているので、最大で8名の歩兵を収容できる。目的地に着いたら、横のドアをパカッと開けて歩兵が降りてくるんですね。
攻撃ヘリコプター・ハインド
兵器に見るロシアのドクトリン
砂川 ハインドについては、ずっと不思議に思っていたことがあります。もし私がハインドの操縦士だったら、操縦と射撃に加えて、後部から兵士を降ろすタスクまで担うということですよね。西側の軍隊では、兵士を輸送するヘリには、護衛するヘリがつくことになっている。兵士が地上に降りている間は、もう片方が援護する形になります。ロシアの場合はそれを一機でやろうとするから、パイロットは相当気を使うことになる。ハインドの設計思想がどうなっているのか、ずっと疑問でした。
小泉 ロシア軍って、輸送ヘリを妙に重武装させたがるんですよ。彼らとしては、兵士を降ろす前に可能な限り敵を叩いておきたいのでしょうね。もしくは、武装ヘリがついていない状況でも何らかのミッションを果たせるようにしたい。新型のミル8AMTShも重武装なので、ロシアの軍事ドクトリンとしては、そういう設計に何らかのメリットを感じているのでしょう。
砂川 やはり国ごとに戦法の違いが出るのでしょうね。
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