吉田類「酒はコロナか溜息か」酒場の嘆き節
悪者にされた「心の憂さの捨てどころ」。我々は何を失ったのか?。/文・吉田類(酒場詩人)
吉田さん
「酒場イコール密」はお酒に失礼
コロナの感染拡大を防ぐために、密を避ける必要があるのはわかります。しかし最近、お酒そのものがコロナ禍の元凶の如く目の敵にされている。これは筋が違います。
「密」と「酒」は、区別して考えなければいけません。「酒場イコール密」と決めつけて、お酒を呑むこと自体を悪とするのは、お酒に対して失礼な話です。日本人には飲酒のマナーが定着していないから、呑ませたら大騒ぎになって感染防止もへったくれもなくなるという理屈でしょうが、そんな決めつけはよくない。それは酒呑み以前に、人としてのマナーの問題ですからね。
お酒自体が悪いというなら、世界の歴史はどうなるのか。ワインやビールは紀元前からあります。日本が誇る日本酒も、稲作と同じ古い歴史をもっています。
緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が出されるたび、日本中の居酒屋さんが、びくびくしながら限られた時間内で営業を続けています。きちんと感染対策をしている店では、クラスターはほぼ起きていません。それなのに政府からは、卸業者や金融機関を使って飲食店を締め上げよう、なんていう話まで出てくる。悲しくなります。
お酒の生産者も、追い詰められています。大手の酒造メーカーはスーパーやコンビニにも販路があるため、まだ家呑み需要に対応できている面があります。しかし小さな酒蔵は、飲食店に卸せないと商品がだぶついてしまうのです。
僕たちはコロナで何を失ったのか、見つめ直したほうがいいと思います。
閑散とする浅草の飲食店街
呑むことが一番の応援
『酒場放浪記』(BS-TBS)で以前に訪れたお店が閉店したと聞くと、とても寂しくなります。僕らは、できる範囲でお酒を呑んで消費するという応援しかできません。
東日本大震災や熊本地震のあと、僕は「我々酒呑みにできる応援は、酒を呑むこと」を合言葉にチャリティイベントを開き、被災地のお酒のPRや、酒蔵を支援する活動をしました。コロナ禍のいまも、日本の酒場文化を絶やさないために、一人ひとりができる小さな支援を続ければいいと思います。世の中にお酒があるのとないのとでは、えらい違いですよ。
戦乱の時代もありましたが、縄文時代には1万年も平和な時代を過ごしてきたのが日本列島です。自然と共存する知恵は、僕たちの魂が記憶しているはずです。コロナ禍のいまこそ、日本人が培ってきた知恵と優しさを思い起こして、みんなで助け合いたいものです。
『酒場放浪記』の収録も、以前のようにはいきません。去年の春は「今日はお家(うち)呑み」と題して、各地からお取り寄せした肴でお酒を呑みつつ、かつて訪れた酒場や蔵元とオンラインで繋いで放送しました。
最近はお店のロケを復活させて、緊急事態宣言が解除になった合間を縫って撮り貯めしています。以前は1日に2軒ずつ回っていましたが、コロナ以後は1軒のみ。開店前に収録し、感染防止にもじゅうぶん気を配ります。お店の方とは距離を取り、僕以外のスタッフはみんなマスクをつけたままです。
貸し切りで撮影しますから、ほかのお客さんと「カンパ~イ!」ができません。お店の雰囲気は、本当は常連さんも含めて醸されるので、それをお伝え出来ないのが残念です。元通りの撮影は、しばらくは難しいかもしれませんね。
『酒場放浪記』は平成15(2003)年9月に開始し、今年2月に放送1000回を迎えました。6月には、全日本テレビ番組製作社連盟(ATP)が主催する「第37回ATP賞」の特別賞をいただきました。制作チームに対する権威のある賞で、愚直な番組作りが授賞の理由だそうです。
僕自身、不器用にしか生きられないし、いい恰好をしようとも自分を繕おうとも思いません。そんなところが共感してもらえて、みんながいろんな意味で助けてくれるんでしょうね。本音の生き方しか知らないことが、番組が受け入れられた理由にも繋がるんだと思っています。
「家呑み」の楽しみに目覚める
僕は、好きな山に登っていい景色を眺めながら美味い酒を呑んで、人知れず人生を送れればいいや、と考えて生きてきました。それが酒縁によっていろいろな人に出会えたのは、想像もしていないことでした。仕事と遊びの区別がないまま、好きなように呑んで生きることをよしとさせてもらったのですから、ラッキーな人生なんでしょう。自由に一生懸命に遊ぶのは、単純な放蕩という意味ではありませんけどね。
コロナ禍で、僕自身のお酒との付き合い方も変わってきました。酒場に行けなくなって、家呑みばかり。そこで初めてお取り寄せをしてみたところ、新発見の連続でした。日本って、こんなに食文化が豊かなのかと改めて気付かされたんです。
酒場では、そのお店のメニューに限定されますが、自宅で取り寄せをすれば、お酒も肴も組み合わせは自由自在。この酒はこんな味で、この肴に合わせると美味いと、自分で試している様子を、最近はユーチューブで発信しています。
僕はずっと旅人(たびにん)で、人生のほぼ8割は旅で過ごしてきました。ところが旅ができない生活が2年も続き、人生が変わりました。庭作りという趣味を見つけたんです。八王子のアトリエにある狭い庭ですが、土からすべて自分で手を入れました。直線で区切った木枠のようなフランス風の庭ではなく、自然な印象のイングリッシュガーデンを参考にしています。そこへ、京都にある坪庭のような発想を取り入れました。
僕の生まれ故郷は高知県仁淀川町で、清流・仁淀川の上流です。その景色に見立てて、ジオラマのようなものも作りました。仁淀川の河原の石を拾ってきて並べ、ちょっと起伏を持たせて奥行きと遠近感を出しました。そのうち沈下橋や水車小屋もつけ加えて、遊ぼうと思っています。
もともと自然が好きだから、自分なりの共存のアイデアを投影してみたいんです。箱庭のようですが、実験の場なので常に工事中です。といっても大げさなものではなく、美味しい酒を呑むために眺める景色を作り出そうとしているだけです。
最初は、ブドウを育ててワインを作ろうと考えたんです。でもブドウは病気が多くて、実らせるのが難しい。それよりも、つまみの生(な)る木がいいと考えて、オリーブとピスタチオを植えました。自分で育てたつまみで呑むお酒は、もっと美味しくなるだろうと。花も好きになって、ラベンダーやバラも植えました。「白雪姫」というドイツのバラや、華麗なマドモアゼルみたいなフランスのバラ。「酒とバラの日々」ですよ(笑)。
それに、庭の向こうに広がる夕焼けが、とんでもなく美しい。山側の空が、とても品のいいピンクから紅色を経て、悪魔が口を開けたような真っ赤に染まるんです。これもまた、酒のつまみに最高です。夜の借景が、またいいんですね。八王子の夜景をストレートに見るよりも、木の隙間を通して見るのが綺麗です。物の間を抜けて向こう側の景色を愛でるのは、京都の作庭師の思想です。
自宅の庭から眺める八王子
定着の人生もまた善きかな
僕は女の子がいる店には昔から興味がありません。若い頃は、異性への思いで悩んだこともありましたが、年を取ると卒業できます。というか、別の視点で女性と付き合えるようになります。年を取るのはいいことだなと思いますね。惑わされるものが少なくなります。お酒を楽しむには、いい酒器と美味しい肴、それに雰囲気だけでじゅうぶんです。
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