経産官僚が去った菅政権で息を吹き返した外務官僚|森功
★前回はこちら。
※本連載は第16回です。最初から読む方はこちら。
菅義偉政権で霞が関支配がどう変わるのか――。主要官庁が固唾を呑んでいる官僚人事は、予想された通り、まず安倍政権下で権勢を振るってきた経産省出身の官邸官僚たちが官邸を去った。なぜか首相補佐官兼政務秘書官だった今井尚哉だけは内閣官房参与という肩書を残しているが、コロナ対策を担ってきた経産省経済産業政策局長の新原浩朗や事務秘書官だった佐伯耕三はご用済みとなった。
そんな権力構造の変化のなか、今井をはじめとした経産官邸官僚たちに外交の場を奪われてきた外務省が、新政権で息を吹き返している。外交音痴と揶揄される菅首相だけに、外務省としてはむしろやりやすい。必然的に存在感が増すのは頷けるところではあるが、人事配置にもその傾向が出ている。
まず注目されたのは、新首相の最も信頼の厚い外交官である北米局長の市川恵一だ。1989年に東大法学部を卒業して外務省入りした54歳。もとはといえば、2012年12月に菅が官房長官に就任したとき官房長官秘書官となり、菅の信頼を得た。18年7月米国公使に昇進する。
菅は昨年4月に改元を記者会見して“令和オジサン”と評判を呼び、その勢いに乗って黄金週間にホワイトハウスデビューした。その米国初訪問のときの段取りをしたのが市川にほかならない。ある外務省関係者によればこうだ。
「在米日本大使館の市川チームがマイク・ペンス副大統領をはじめ、ホワイトハウスの主要閣僚たちとの面談のアポ取りをし、菅さんの外交デビューを演出したのです。それで菅さんはますます市川を気に入ったのでしょう」
市川は今年7月に省内の最年少局長として北米局長に抜擢されたばかりだ。実はそれも菅人事だといわれている。安倍政権におけるこれまでの対米外交では、政務秘書官の今井が「独立行政法人日本貿易振興機構」(JETRO)のニューヨーク事務所を使って米国情報を収集し、国家安全保障局長の北村滋のポンペイオ国務長官ルートで根回ししてきた。一方、菅政権では従来のように在米大使館が中心となり、対米外交を担いそうだ。首相就任後のトランプとの電話会談はもとより、米国との折衝に市川は欠かせない。外務省は、外交の不得意な菅のおかげで主導権を取り戻した、といったところだ。
また注目された首相の政務・事務秘書官について菅は、それまでの6人から1人増やして7人に増員した。今井の務めてきた政務秘書官ポストには、菅の懐刀である首相補佐官の和泉洋人の兼務説もあったが、それは見送って菅事務所の新田章文を起用。またコロナ対策で事務担当の首相秘書官に厚労省から1人増員して6人とした。その6人のうち外務省の高羽陽、財務省の大沢元一、経産省の門松貴、警察省の遠藤剛という4人が、官房長官秘書官からの持ちあがりで首相秘書官に就いているのである。ちなみに防衛省の増田和夫は安倍首相秘書官からの続投となっているが、弾道ミサイル防衛システム「イージス・アショア」撤退の後始末があるせいかもしれない。
厚労省だけは8月まで官房長官秘書官を務めてきた岡本利久を外し、第二次安倍政権発足当初に官房長官秘書官だった鹿沼均を起用している。その理由についてある官邸関係者はこう指摘した。
「岡本秘書官は一連のコロナ対策で菅官房長官の方針に助言してきたが、どうもそれが菅さんの気に障ったようです。それで菅さんが気心の知れた前の秘書官である鹿沼に替えたのでしょう。他の秘書官の顔ぶれを見てもみな菅さんのイエスマンばかり。菅さんは一度バツをつけると徹底的に嫌う傾向がある。だから、残るのは菅さんの意に沿った意見を言う人に限られるわけです」
一方、外務省の菅に対する気の配り様は徹底してきた。
「官房長官秘書官は2年単位で交代します。市川は菅さんの意向により、秘書官から総合外交政策局総務課長というエリートポストに就いています。このときの外交政策局長が現事務次官の秋葉剛男ですが、市川に代わり、河邊賢裕が官房長官秘書官に就任。その河邊も同じように、その後、総合外交政策局総務課長になり、その後任秘書官が高羽でした。
そうして外務省は菅官房長官秘書官に次々とエース級を送り込んできた。彼らはすっかり菅さんを篭絡し、菅さんも手放せなくなったのです。河邊は昨年9月の人事で大臣官房参事官になり、実は今度の首相秘書官就任も検討されたが、他の持ちあがり秘書官たちと歩調を合わせるために高羽を据えたのかもしれない」(同前・官邸関係者)
安倍政権時代、今井にしてやられてきた外務省としては忸怩たる思いが募ってきた。だが、新たな首相に交代し、いわゆる“菅印”の布陣を配している。目下のところ、ひと安心といったところだろうか。この先、市川、河邊、高羽の3人が対米外交を支えていくことになりそうだという。
もっとも、周知のように大統領選の行方次第で対米外交の状況は激変する。これまで事務次官として官邸官僚たちと渡り合ってきた秋葉も来年には交代する。また、今井と同じく、外務省からアジア外交の主導権を奪ってきた菅側近の和泉は、新政権になってますますパワーを増している。むろん和泉には外務省も神経を使う。新宰相は外交の実績が皆無だけに、波乱要因は多く、危うさを孕む。
(第16回 文中敬称略)
★第17回を読む。
■森功(もり・いさお)
1961年福岡県生まれ。岡山大学文学部卒。出版社勤務を経て、2003年フリーランスのノンフィクション作家に転身。08年に「ヤメ検――司法に巣喰う生態系の研究」で、09年に「同和と銀行――三菱東京UFJの闇」で、2年連続「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞。18年『悪だくみ 「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞を受賞。他の著書に『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』、『なぜ院長は「逃亡犯」にされたのか 見捨てられた原発直下「双葉病院」恐怖の7日間』、『平成経済事件の怪物たち』、『腐った翼 JAL65年の浮沈』、『総理の影 菅義偉の正体』、『日本の暗黒事件』、『高倉健 七つの顔を隠し続けた男』、『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』、『官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪』など多数。