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海外セレブが殺到する病院の秘密 長田昭二

温泉や釣りを楽しみ、1日の治療時間は数十分。アメリカや中国からも患者を呼び込む/文・長田昭二(医療ジャーナリスト)

照射室の様子 ©メディポリス国際陽子線治療センター

レジャーを楽しみながらがん治療

午前7時、温泉で有名な地方のホテルの一室で目を覚まし、窓の外の長閑な景色を眺めながら着替えを済ませる。食事処で朝食をとった後、徒歩で向かうのはホテルに隣接するがん治療のための施設だ。指定された10時に受付を済ませ、体温・血圧測定、治療、看護師の問診とスケジュールをこなしていく。そして治療を終え、施設を出るのは1時間後。「今日はどこに観光に行こうか」と考えを巡らせながら、休憩のためにホテルに戻る――。

そんな夢のようながん治療が、国内のみならず、海外からも注目を集めている。お金に余裕があれば、レジャーを楽しみながらがん治療を受けられる時代が到来したのだ。

医学の進歩により近年、がん治療の姿が大きく様変わりをしている。近年のトレンドとなっているのは、治療効果を高めながらも、患者が体に受ける負担を最小限に抑える「低侵襲治療」だ。がん治療と言えば、手術、化学療法、放射線治療が三本柱となっているが、いずれの領域でも低侵襲化が進んでいる。

実は、低侵襲ともっとも親和性が高いのが放射線治療だ。放射線治療は、手術のように体に傷がつくこともなければ、抗がん剤のように重い副作用に苦しむこともない。

放射線での治療中は、台の上に横になってビームを体にあて、何の苦痛を感じることもないまま、照射が終わればすぐに帰宅することができる。つまり、QOL(生活の質)を保ったまま、安全性と確実性の高いがん治療が受けられるのだ。

近年は機器の開発、照射方法の進化が進み、放射線治療は手術や化学療法と並んでがん治療の中核を担うようになってきた。その結果、多くの医療施設で、最新の放射線治療の導入が進んできている。

なかでも、注目を集めているのが「粒子線治療」だ。

今回は、高精度で安全な粒子線治療をおこなうだけでなく、「リゾート」や「世界最先端」などの特色を打ち出すことで、日本全国や海外からも患者を集める(または集めようとしている)2つの粒子線治療施設を訪ねた。両施設とも斬新な取り組みをしているが、そこからは「富裕層向け医療」と「国際展開」の現状も見えてきた。

がんだけを“狙い撃ち”

はじめに「粒子線治療」の概要について説明しよう。

そもそも放射線治療とは、放射線を体の奥深くの腫瘍に照射して、がん細胞を死滅させることを目的とした治療法。その種類は大きく「光子線」と「粒子線」に分けられる。

光子線とは簡単に言ってしまえば光の仲間で、高エネルギーの電磁波の一種。従来の治療や検査で使われてきたエックス線(レントゲン)やガンマ線がこれに該当する。

一方の粒子線は、水素や炭素の原子核といった粒子の放射線。現在「粒子線治療」に使われているのは、陽子線と炭素線の2種類。陽子線による治療は「陽子線治療」、炭素線による治療は、陽子より質量が12倍重いことから「重粒子線治療」と呼ぶことが多い。

陽子線治療も重粒子線治療も基本的な仕組みは変わらないので、ここでは陽子線治療について解説したい。治療では陽子をビームにし、加速器と呼ばれる装置の中で秒速およそ20万キロ(1秒間に地球を約5周する速度)まで加速して、患者のがん組織に照射する。

従来の光子線治療と異なるのは、体内でのビームの通り方だ。

光子線は照射すると、そのまま体を通過していく性質がある。つまり、お腹から照射すると、がんに当たった後も背中までビームが突き抜けることになる。一方の陽子線は、想定した位置、つまりがんの位置で止まるという性質があり、しかもそこで最大線量に達する。他の組織にはほとんどダメージを及ぼすことなく、がんだけを“狙い撃ち”することができるのだ。

従来の放射線治療が目指す「低侵襲」を、さらに進化させたのが陽子線治療だと言えるだろう。

360度から照射が可能

現在、陽子線治療は多くのがん治療に用いられており、以前は先進医療(治療にかかる費用は全額自己負担だが、治療に関連する検査などは健康保険で認められる特例的な混合診療)だったが、最近では陽子線治療そのものが保険で承認されるがんも増えてきた。それぞれの一覧は、次のようなものとなる。

【保険診療で受けられるがん】
頭頸部腫瘍(口腔、咽喉頭の扁平上皮がんを除く)、前立腺がん、骨軟部腫瘍(脊索腫、軟骨肉腫、骨肉腫など)、小児がん(限局性の固形悪性腫瘍に限る)、肝がん(手術不可で長径4センチ以上のがんに限る)、肝内胆管がん、膵がん(局所進行がんに限る)、大腸がん(術後の再発がんに限る)

【先進医療として受けられるがん】
脳脊髄腫瘍、肺がん、転移性肺がん(3カ所以下)、肝がん(右記の保険適用外のもの)、転移性肝がん(3カ所以下)、腎がん、食道がん、縦隔腫瘍(悪性)、胆管がん、限局性転移がん(リンパ節を含む)

陽子線治療が適さないのは、胃がん、大腸がん(右記の保険適用のものを除く)、複数のリンパ節に転移のあるがん、そして血液のがんなどである。

実際の治療の様子はどのようなものなのか。陽子線治療では「回転ガントリー」と呼ばれる照射室があり、患者はベッドに寝たままで、360度どの方向からでも正確な照射を受けることが可能だ。10〜30分程度横になっているだけで照射は終了するが、その間、痛みや熱さなどの苦痛を感じることは全くない。そして、どのがんにも共通することだが、1日1回の照射を、数回から数十回かけて繰り返していく必要がある。

2022年10月末時点で、国内に粒子線治療施設は25カ所(重粒子線:6カ所、陽子線:18カ所、重粒子と陽子線の両方:1カ所)存在している。

日本の粒子線治療施設(2022年10月末現在)

もちろん自宅の近くに粒子線治療施設があれば通院も可能だが、現状の数を見ると、必ずしも十分に整備されているわけでもない。遠距離を時間をかけて通う不便さを想像すると、現地に一定期間滞在して治療を受けるという選択肢も出てくる。そして出来るならば、快適な施設でくつろぎながら治療を受けるのが理想的ではないだろうか。

そんな考えから生まれた「世界初のリゾート型がん治療専門施設」を訪ねて、鹿児島県指宿市に向かった。

メディポリス国際陽子線治療センター ©文藝春秋

鹿児島県薩摩半島の南端に位置する指宿市。砂浜に横たわって砂をかけてもらい、温泉の熱で体を温める「砂蒸し温泉」で知られる、古くからの観光地だ。

旅館やホテルが立ち並ぶ市街地を抜け、車で20分ほど丘陵地帯をのぼっていくと見えてくるのが、メディポリス国際陽子線治療センターだ。北は鹿児島湾を隔てて桜島を、南は九州最大の湖・池田湖を隔てて開聞岳を望むこの場所は、もともとは年金福祉還元事業として全国に13カ所つくられた「グリーンピア」の一つだった。グリーンピアは公的年金流用問題を受けて2002年に運営停止。後に県と指宿市からの強い要請を受けて、鹿児島市に本店を置くバイオ企業「株式会社新日本科学」が、103万坪に及ぶ広大な土地とホテルの建物を買い取り、国内で8番目、九州では初の粒子線治療専門施設として、2011年に開設した。

「うちはオープン当初から“リゾートとがん治療の融合”をテーマに掲げているんです」

こう語るのは、同センター長の荻野尚氏だ。

「ここは鹿児島空港から車で2時間弱、鹿児島の市街地からでも1時間以上かかります。はっきり言って交通が不便な場所ですが、観光地としての知名度が高い。それを利用しない手はないだろうと思いました。陽子線治療を受ける患者さんは、基本的に元気で日常生活を送れるし、治療に伴う苦痛もない。何より1日あたりの治療に伴う拘束時間は、照射前後の準備や着替えなどを入れてもせいぜい1時間程度。つまり、残りの23時間は全て自由時間になるのです。ならば、その時間を有意義に過ごしてもらうべきだろうと。都市部の施設ではできない、観光地ならではの展開を打ち出していこうと考えました」

一家でトップスイートに

治療期間はがん種によって異なる。一番短いのが転移性肺がんや転移性肝がんの「8回(2週間)」で、最も長いのは原発性肺がんの「35回(7週間)」。さすがに7週間となると、治療以外の時間の過ごし方が重要になってくるだろう。

メディポリス国際陽子線治療センターに隣接するホテルは、1つの建物に3つのホテルが入る珍しい造りだ。1つ目は患者専用の「HOTELフリージア」、2つ目は一般向けで比較的リーズナブルな「指宿ベイヒルズHOTEL&SPA」、そして3つ目は高級ホテルの「別邸 天降る丘」となっている。

フリージアには患者用の特別宿泊プランが設定されているが、どのホテルに泊まるかは自由だ。家族と一緒にベイヒルズに泊まっても構わないし、天降る丘で贅沢な療養生活を送ってもいい。好きなホテルに泊まり、そこから毎日、徒歩1分もかからないセンターに通院する。

宿泊サイトで確認すると、1泊1人あたりの宿泊費の平均価格帯は、ベイヒルズで1万〜1万7000円程度、天降る丘は4万円台(フリージアの患者専用特別宿泊プランは、朝食付きで6800円)となっている。さすがに4万円台の部屋に連泊して治療を受ける人は多くはないというが、それでも中国から一家で来日し、トップスイートに泊まって治療を受けた富豪もいたという。

「実は治療施設にも19床の入院ベッドはあるのですが、入院施設であるため、生活面で様々な制限が加わります。せっかく指宿で治療を受けてもらうのだから、リゾート感覚を味わってほしいというのが、私たちの思いです」(荻野氏、以下同)

ホテルには「美肌の湯」として有名な指宿温泉が湧き、展望大浴場からは桜島を眺めることもできる。他にもスポーツジムや図書室も完備している。

食事は自家菜園でとれた新鮮野菜のほか、鹿児島名産の牛肉や豚肉を取り入れたメニューが並ぶ。取材に訪れた日のランチでは「ステーキ丼」が出されたという。

「季節の食材や行事食などが人気です。長期滞在されることを考えると、食事に飽きずに過ごしてもらいたい。そのあたりはホテルと治療施設の考えがマッチしています」

至れり尽くせりだが、別の場所に滞在する患者もいるという。

「この施設は山の上にあるので、街中に出るのも一苦労です。1週間くらいは隣接するホテルに宿泊されて、治療に慣れたところで指宿市内のマンションを借りたり、市内の高級ホテルに移る方もいらっしゃいます。そうして空き時間に、レンタカーで自由に観光されている。センターが休みの日の夜などに、町の飲食店で患者さんとばったり出くわすこともありますよ(笑)」

印象に残る患者について質問すると、荻野センター長は「ヨットですね」と微笑んだ。

「日本人の患者さんですが、自身が所有するヨットを持ってきて、毎日の治療が終わると海に出て練習していました。治療期間が終わる少し前に、県内のヨットレースの大会に出場して優勝した。がんの治療とヨットレースの優勝という、2つの実績を引っ提げて帰って行かれました」

他にもゴルフや海釣りを楽しむなど、アクティブに活動する患者が多い。こうなるとレジャーと治療、どちらが主たる目的なのかが判然としないが、そんながん治療が可能だということに驚かされる。

ロシア、スペインからも……

「現在、世界には115〜6の粒子線治療施設があると言われますが、リゾート滞在型のがん治療施設はここだけ。鹿児島県内の患者さんは全体の半数で、あとは県外からやって来ます。海外からだと中国が圧倒的に多く、他にも韓国、シンガポール、ロシア、スペインなど。外国からの患者さんは多い時で年間30人ほどでした」

最も多い中国人患者に対応できるよう、同センターには中国語を話せるスタッフが3人、うち1人は中国での医師免許を持ち、1人は放射線技師として働いている。英語に対応できるスタッフも多いという。

ただ新型コロナの影響で、ここ数年は海外からの患者が激減した。

「うちも打撃を受けたので、はやくコロナ禍が明けてくれるといいのですが……」

荻野氏のため息は深い。

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