スターは楽し 千葉真一|芝山幹郎
千葉真一
お茶目な火炎放射器
千葉真一を飛行機のなかで見かけたことがある。1990年代の初めごろだったか、バハ・カリフォルニアのロスカボス空港からロサンジェルス行きのアラスカ航空機に乗り込んだところ、機体前部の6席しかないファーストクラスのひとつに、サニー・チバが腰を下ろしていたのだ。おや、という表情を私が浮かべたせいか、千葉真一は眼もとをちょっとゆるめてくれた。それだけの話だが、なぜか記憶に残っている。
いまにして思うと、千葉真一は当時50代前半で、すでに活動の拠点をロサンジェルスに移していたはずだ。そんなに大柄ではなかったが、若々しく、全身から精気を発散させていた。
私は幼いころから千葉真一を見ている。最初に見たのはテレビの〈新・七色仮面〉(1960)で、初代の七色仮面を演じた波島進に比べて顔の面積がずいぶん小さいな、と感じた覚えがある。軽業師のようなアクションに驚かされたのはいうまでもない。元体操選手と知って納得したが、これが彼のデビューになる。
1939年生まれだから、当時の千葉はまだ20歳そこそこだった。60年代の劇場公開作で印象に残っているのは、日本と台湾の合作映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』(1966)だ。
題名が示すとおり、乗物アクションが山盛りの映画で、車やモーターボートや小型飛行機を使った攻防戦が何度も繰り広げられる。千葉はまだ野暮ったいが、人柄のよさが全身から滲み出ていた。表情もお茶目で、仕草に愛嬌があった。監督は深作欣二。61年の〈風来坊探偵〉シリーズではじまった彼との縁は、のちの代表作『仁義なき戦い 広島死闘篇』(1973)へとつながっていく。
そう、大友勝利のことだ。
あれは凄まじかった。私は仰天した。狂犬というか、猛獣というか。初見から50年近く経ったいまでも、あの怪演を思い出すと、体温が少し上がる。
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