「肺炎について絶対言うな。旦那にも…」中国政府に口封じされた武漢・中国人女性医師の手記を全文公開する!
3月10日、中国共産党系人民出版社傘下の月刊誌『人物』に、武漢市中心病院救急科主任のアイ・フェン(艾芬)医師のインタビュー記事(文・(尤+共)菁琦/編集・金石)が掲載された。だが、発売と同時に回収され、インターネット掲載記事も2時間後に削除され、転載も禁じられた。しかし義憤を覚えた市民たちが、外国語、絵文字、甲骨文字、金石文字、モールス信号、点字、QRコードを駆使して記事を拡散させた。本稿はその全文の日本語訳である。
武漢市中心病院は、感染源と見られた「華南海鮮市場」の近くにあり、医療関係者の感染が最も多い病院の一つとなった。新型ウイルスの流行拡大にいち早く警鐘を鳴らし、他の7名とともに地元公安当局から「訓戒処分」を受けた眼科の李文亮医師も、武漢市中心病院の勤務医で、その後、自身も感染して新型肺炎で亡くなってしまうが、人工呼吸器を装着した姿と地元警察に無理矢理、署名させられた「訓戒書」は、“武漢で真っ先に告発した医師の悲劇”として世界で大きく報じられた。
李医師が、2019年12月30日、グループチャットで医療関係者と共有し、「訓戒処分」の原因となった画像は、そもそもアイ・フェン医師が流したものだ。原因不明の肺炎患者のウイルス検査報告を入手したアイ・フェン医師が、「SARSコロナウイルス」と書かれた箇所を赤丸で囲み、大学同期の仲間に送信したのが、「警鐘」の発端となったのである。
「本当に悔しい。こうなると初めから分かっていたら、譴責など気にかけずに」と後悔を口にするアイ・フェン医師の告白はあまりに痛ましい。最初に武漢で何が起きたのか?武漢でこれほど感染拡大したのはなぜか?それを知るための貴重な証言である。/文・アイ・フェン(武漢市中心病院救急科主任)
「警鐘」の発端
2019年12月16日、1人の患者が、私たち武漢市中心病院南京路分院の救急科に運び込まれた。原因不明の高熱が続き、各種の治療薬を投与しても効果が現れず、体温も全く下がらなかった。
22日、患者を呼吸器内科に移し、ファイバースコピーで検査し、気管支肺胞洗浄を行い、検体サンプルを外部の検査機関に送ったところ、シーケンシング技術によるハイスループット核酸配列の検査が行われ、「コロナウイルス」との検査結果が口頭で報告された。病床を管理する同僚は、私の耳元で「艾主任、あの医師は『コロナウイルス』と報告しましたよ」と何度も強調した。後に、患者は武漢市の華南海鮮卸売市場で働いていたことが分かった。
12月27日、また1人の患者が南京路分院に運び込まれた。同僚の医師の甥で、40代で何の基礎疾患もないのに、肺が手の施しようのない状態で、血中酸素飽和度は90%しかなかった。他の病院で10日間治療を受けたが、症状は全く好転しなかった。そのため、呼吸器内科の集中治療室に移され、先の患者と同様に、ファイバースコピーで検査と気管支肺胞洗浄を行い、ハイスループット核酸配列の検査に回された。
アイ・フェン医師
赤丸付きのキャプチャ画像
12月30日の昼、同済病院で働く同期生がウィーチャットでキャプチャ画像とともに、「しばらく華南〔海鮮市場〕には近づかない方がいいよ。最近、多くの人が高熱を発している」と知らせてきた。彼は私に「本当かな」とも尋ねてきたため、ちょうどパソコンで診断していたある肺感染症患者のCT検査の11秒ほどの動画を送信し、「午前に救急科に来た患者で、華南海鮮卸売市場で働いていた」とのメモも記した。
その日の午後4時、同僚がカルテを見せに来た。「SARSコロナウイルス、緑膿菌、46種口腔・気道常在菌」と書かれていた。私は何度も読み、「SARSコロナウイルスは1本鎖プラス鎖RNAウイルス。このウイルスの主な感染は近距離の飛沫感染で、患者の気道分泌物に接触することにより明確な感染性を帯び、多くの臓器系に及ぶ特殊な肺炎を引き起こす。SARS型肺炎」と注記されていることを確認した。
新型コロナウイルス
私は驚きのあまり全身に冷や汗が出た。あの患者は呼吸器内科に入院しているので、私のもとにも病状報告は回ってくるはずだ。しかし、それでも念を入れて、すぐに情報を共有するために病院の公共衛生科と感染管理科に直接電話をした。
その時、呼吸器内科の主任医師がドアの前を通ったので、なかに呼び入れて「私たち〔救急科〕を受診した患者があなたのところ〔呼吸器内科〕に入院している。見て、これが見つかった」とカルテを見せた。彼はSARS治療の経験者だったので、すぐさま「これは大変だ」と言った。私も事の重大さを再認識した。
その後、同期生にも、このカルテを送信した。「SARSコロナウイルス、緑膿菌、46種口腔・気道常在菌」という箇所を赤い丸で囲んだ。救急科の医師グループにもウィーチャットの画像共有アプリで発信し、皆に注意を喚起した。
その夜、私が赤丸を付けたカルテのキャプチャ画像が、さまざまなウィーチャット・グループに溢れるようになった。李文亮医師がグループ内に発信したのもそれだった。
私は「もしかすると面倒なことになるかも」と感じた。
午後10時20分、病院を通じて武漢市衛生健康委員会の通知が送られてきた。「市民のパニックを避けるために、肺炎について勝手に外部に情報を公表してはならない。もし万一、そのような情報を勝手に出してパニックを引き起こしたら、責任を追及する」という内容だった。
私は恐くなった。すぐにこの通知も同期生に転送した。
約1時間後、病院からまた通知が送られてきた。再度、情報を勝手に外部に出すなと強調していた。
当局の「口封じ」
1月1日、午後11時46分、病院の監察課〔共産党規律検査委員会の行政監察担当部門〕の課長から「翌朝、出頭せよ」という指示が送られてきた。その晩、私は心配で一睡もできなかった。寝返りをうちながらいろいろ考え込まされた。だが、すべての物事には両面がある。たとえ悪影響をもたらしても、武漢の医療従事者に注意を喚起するのは悪いことではないと自分に言い聞かせた。
翌朝8時すぎ、勤務交代の引き継ぎも済んでいないうちに、「出頭せよ」との催促の電話が鳴った。そして「約談」〔法的手続きによらない譴責、訓戒、警告〕を受け、私は前代未聞の厳しい譴責を受けた。
「我々は会議に出席しても頭が上がらない。ある主任が我々の病院の艾とかいう医師を批判したからだ。専門家として、武漢市中心病院救急科主任として、無原則に組織の規律を無視し、デマを流し、揉め事を引き起こすのはなぜだ?」
彼女の発言の一言一句そのままである。幹部はさらにこう指示した。
「戻ったら、救急科200人以上のスタッフ全員にデマを流すなと言え。ウィーチャットやショートメールじゃだめだ。直接話すか、電話で伝えろ。だが肺炎については絶対に言うな。自分の旦那にも言うな……」
私は唖然としてしまった。単に勤務上の怠慢を叱責されたのではない。武漢市の輝かしい発展が私一人によって頓挫したかのような譴責だった。私は絶望に陥った。
私はただまじめに仕事をするだけの人間だ。規則を遵守し、道理に従ってきた。どのようなまちがいを犯したというのだろうか?あのカルテを見て、病院に報告し、同期生や同僚との間で病状について意見交換をしたが、患者のプライバシーは一切漏らさなかった。医師の間で症例に関して議論しただけだった。
臨床医師として、患者が重大なウイルスに感染しているのを発見して、別の医師から尋ねられ、これについて口を閉ざしていいのか?知らせるのは医師の本能と言うべきだ。私はいかなる過ちを犯したというのか?私は医師として、一人の人間として、やるべきことをしただけだ。他の誰かが同じ立場になれば、きっと同じようにしただろう。
譴責されたとき、私は胸がいっぱいになった。
「これは私がしたことで、他の人は関係がありません。いっそ私を逮捕・投獄してください。このような状態では、もう仕事は続けられません。しばらく休ませてください」
だが、幹部は受けつけず、「今はお前を見定めているのだ」と言った。
その夜のことは、はっきり記憶している。帰宅し、ドアを開けて部屋に入り、夫に「もし、私に何かあったら、しっかりと子供を育ててね」と言った。2番目の子はまだ小さく1歳数カ月だった。譴責されたことは言わなかったので、夫は何のことか分からなかっただろう。
“警笛”を最初に提供した
1月20日、鐘南山博士〔国家衛生健康委員会専門家グループ長で感染症研究の第一人者〕が「ヒト―ヒト感染」を発表してから、ようやく夫に打ち明けた。それまでは、家族にさえ、人が多いところを避け、出かけるときはマスクをつけるようにと注意するのが精一杯だった。
私も訓戒を受けた8人の医師の1人ではないか、と多くの人が心配してくれたが、実はそうではなかった。後日、親友から「君は“警笛”を吹いたのですか?」とたずねられたが、私は「いいえ、警笛を吹いてはいません。警笛を最初に提供しただけです」と答えた。
警鐘を鳴らした8名の医師が譴責されたニュース画像
それでも、私は「約談」で大きな衝撃を受けた。心身ともに打ちのめされた。むりやり元気を奮い起こして一所懸命に仕事に打ちこんだが、質問されると、いつも答に窮した。
私にできたことは、まず救急科の200名以上の医療関係者に予防の注意を喚起することだった。1月1日から一人一人に予防を強化させた。全員にマスク、帽子を着用させ、手洗い消毒を徹底させた。ある日、勤務交代のときに男性看護師がマスクをしていなかったので、「マスクをしないなら、もう仕事にこなくていい」と、その場で叱責した。
救急科で感染予防を徹底
1月9日、退勤するとき、受付にいた患者が、皆がいるところで咳き込んでいるのを目撃した。来院患者にもマスクを配るよう、その日のうちに要請した。このような状況では経費節約などしてはならなかった。
しかし、まだ「ヒト―ヒト感染」について外部には知らせなかった。ただ内部だけでマスク着用など感染予防を強調しただけで、それは矛盾していた。
その時期、私は気がふさぎ、本当に辛かった。
ある医師が白衣の上に防護服を着用すべきだと提案したが、院内の会議で「だめだ。外から見られたらパニックを引き起こす」と却下された。そのため、私は救急科全員に白衣の下に防護服を着させた。本来全くおかしなことだが、仕方なかった。
私たちは、状況を見守るだけで、ただ手をこまねいているだけだった。患者は増え続け、感染エリアは拡大するばかりだった。最初は海鮮卸売市場の付近から発生したのだろうが、その後、感染がさらなる感染を招き、その範囲は拡大していった。
多くは家庭内の感染だった。初期に判明した7人の症例には、息子に食事を届けたときに感染した母親がいた。患者に注射をうった診療所の経営者も感染した。皆、重症だった。それで私は「ヒト―ヒト感染」が起きていると確信した。もし、そうでないとすれば、1月1日に海鮮市場はすでに閉鎖されたのに、なぜ患者が増え続けているのか?
私は絶えずこう考えた。あの時、あのように譴責を受けずに、この経緯について穏やかに話し合い、呼吸器内科の専門家との意見交換もできていたならば、状況は少しはましになっていたかもしれない。少なくとも、私は院内でコミュニケーションをもっとよくとれたはずである。もし、1月1日の時点で皆が危機意識を持てたならば、あのような悲劇は起きなかっただろう。
1月3日、南京路分院の泌尿器外科で、ベテラン主任医師の功績を振り返る会が開かれ、医師たちが集まった。参加した43歳の胡衛峰医師は、今は危篤状態で、集中治療を受けている。8日午後、南京路分院の第22棟で、江学慶主任医師が武漢市の甲状腺・乳腺疾患の患者の快復を祝う会を開いた。
11日の朝、救急科の緊急治療室の胡紫薇看護師が感染したという報告を受けた。おそらく彼女は中心病院で感染した看護師の第1号だった。私はすぐに医務課の課長に電話で報告し、院内で緊急会議が開かれた。だが、報告書の「両肺下葉の感染、ウイルス性肺炎?」というタイトルは「両肺に感染が散在」に変えるように指示された。
1月16日、週の締めくくりの会で、ある副院長が「皆にはちゃんとした医学常識が必要だ。ベテラン医師はこんなことでやたらにパニックを引き起こしてはいかん」と発言した。別の幹部は「ヒト―ヒト感染などない。防げるし、治せるし、コントロールもできる」とまで言った。
その翌日、江学慶医師は入院し、10日後、体外式膜型人工肺〔ECMO〕での治療を開始するに至った〔その後、死去〕。
仲の良かった同僚の死
中心病院がこれほど大きな代償を払ったのは、まさに医療スタッフに情報が適切に公開されなかったからである。実状を見れば歴然としている。救急科や呼吸器内科はそれほどひどくない。私たちが予防を喚起したからである。それに病気に罹るとすぐに休ませ、治療に専念させた。
しかし、他の診療科は深刻だった。例えば李文亮は眼科で、江学慶は甲状腺・乳腺科だった。江学慶は本当にすばらしい医師で、その医療技術は卓越し、私たちの病院で「中国医師賞」を受賞した2人の中の1人だった。しかも私のご近所で、私は40数階、彼は30数階に暮らしていた。ふだんは超多忙で、打ち合わせや病院のイベントのときしか顔を合わせなかったけれど、仲が良かった。彼はワーカホリックで、常に手術室か外来の診察室につめていた。
彼に向かって「江主任、気をつけて、マスクを着けてください」とアドバイスする者はいなかった。彼も注意する余裕もエネルギーもなかった。同僚に「大丈夫さ。たかが肺炎だろう」という態度だった。
もし、医師たちに適切に注意喚起がなされていたら、あのようにならなかったかもしれない。当事者の私としては、本当に悔しい。こうなると初めから分かっていたら、譴責など気にかけず、「“おれ様〔老子(ラオズ)〕”は」と、お構いなしにあちこち注意を喚起しただろう〔これを契機に「おれ様はお構いなしにあちこち言ってやるぞ」が流行語になった〕。
李文亮とは同じ病院で働いていたが、亡くなる前まで彼のことは知らなかった。4000人以上が勤務しており、いつも超多忙だから。彼が亡くなる夜、ICU〔集中治療室〕の主任医師から救急科に、李医師を助けるためAEDを借りたいという電話がかかってきた。私は非常に驚いた。彼に関するいきさつは詳しく知らないが、彼の病状と訓戒を受けたことによる憂鬱な心理的状況は無関係だろうか?疑念を抱かざるを得ない。訓戒されるということがどういうことか、私自身が身を以て経験したからである。
その後の状況は、李医師の正しさを実証した。彼の気持ちは分かる。きっと私と同じだろう。感激したり、喜んだりせず、むしろ悔しくてたまらないだろう。ずっと続けて大声で注意すればよかった、聞かれたらきちんと答えるべきだった、と。私は何度も何度も考えている。もし、時間を後戻りさせられれば、と。
1月23日に武漢市が封鎖される前夜、政府の関係部門に勤める知人から電話があり、救急科の患者の本当の状況について尋ねられた。
(私)「個人を代表しているのですか?それとも政府を代表しているのですか?」
(彼)「個人です」
(私)「それなら、私も個人として真実を話しましょう。1月21日、救急科は1523名の患者を診察しました。通常の最も多いときの3倍です。その中で発熱している患者は655名です」
この時期、救急科の状況を体験した者は、それを生涯忘れないだろう。自分の人生観が根底からひっくり返されたはずだ。
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