赤坂太郎「岸田vs.安倍『大宏池会』の暗闘」
麻生と岸田が目論む名門派閥の再興。安倍のイラつきは日々高まる。/文・赤坂太郎
「財政と中国」が2022年のキーワード
昨年12月7日18時すぎ、首相の岸田文雄は丸紅会長の国分文也と東京・銀座の日本料理店「新ばし金田中」で向き合っていた。近隣が火事騒ぎで騒然とする中、会食は1時間余りに及んだ。岸田は米国が主導する国際的な石油備蓄の放出に呼応し、国家備蓄の初の放出に踏み切った経緯を説明。国家備蓄の数日分を入札で売却することも選択肢と伝え、国分の協力を求めた。国分は「財政赤字の米国、アジア危機後のシンガポール、赴任先はいつも大変でした」と、みずからの駐在経験を交えつつ国際情勢の見通しを語った。
国分の話を熱心に聞きながら、岸田は「財政と中国、重要ですね」と応じ、「岸田ノート」にメモをしたためた。
2022年の政局を占うのは「財政と中国」という2つのキーワードだ。この2つの要素が、自民党内に分断と波乱を巻き起こすことが予見される。
国分との会食に先立ち、岸田は党本部で開かれた財政健全化推進本部に出席した。挨拶では「財政は国の信頼の礎。コロナ対策と中長期的な財政健全化は決して矛盾はしない」と強調。年明けにも基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化をめざす財政健全化目標年度の議論を行うと表明した。同本部の最高顧問には前財務相で副総裁の麻生太郎が就いた。
一方で、自民党内には国債の無制限発行を可能とする現代貨幣理論(MMT)が勢いを増している。MMT推進派で自民党参院議員の西田昌司が本部長を務める財政政策検討本部も同日午後に党本部で会合を開き、最高顧問に元首相の安倍晋三、顧問に政調会長の高市早苗を据えた。
財政政策をめぐり、つい最近まで盟友とされた麻生と安倍がそれぞれ「財政再建」と「積極財政」という真逆の政策を唱える議連の顧問に就くという異例の事態。麻生は財政健全化推進本部の挨拶で「安倍だ、麻生だ、と面白く書かれてマスコミの餌食になるのは避けなければいけない」と笑いを誘ったが、その底流には麻生・岸田がめざす「大宏池会」構想と、それを警戒する安倍との確執が透けて見える。
カット・所ゆきよし
岸田の思惑が麻生と合致
かつて宏池会に所属していた麻生は岸田派と合流する「大宏池会」構想を捨ててはいない。その下地づくりのため、幹事長の茂木敏充にも声をかけ、AKBならぬ「A(麻生)K(岸田)M(茂木)」の3人が党内基盤の要になっている。竹下派から衣替えした茂木派(平成研究会)は、かつての最大派閥「経世会」が前身で、1955年の保守合同の前の自由党吉田茂派を起源とする。麻生は茂木との関係を強く意識する一方、ポスト岸田を狙う茂木も麻生と岸田の協力で「首相の椅子」に近づけるとの皮算用がある。
AKMは11月だけでも3回会談し、同月22日には東京・紀尾井町のホテルニューオータニの日本料理店「千羽鶴」で官房長官の松野博一も交えて4者会談を行った。この店は岸田がきな臭い話をするときによく利用する。
新政権発足後、岸田と安倍との距離は大きく開いた。安倍本人だけでなく、安倍が寵愛する政調会長の高市も岸田と個別会談したのは10月7日の1回だけしか確認されていない。
安倍は首相在任中、後継候補に岸田の名前を繰り返し挙げてきた。ところが一昨年9月の総裁選では岸田の支援要請を受け入れず、安倍は官房長官だった菅義偉を支援した。結果、菅が377票、岸田は89票で致命的な敗北だった。昨年の9月の総裁選でも安倍は1回目の投票で岸田を支持せず、高市を推した。岸田派内には「安倍に踊らされているお人好し」と岸田に烙印を押す声が広がった。
その屈辱を、岸田は忘れなかった。総裁選で勝利してから、岸田は衆院選の選挙区調整や比例名簿順位、閣僚や党人事など節目、節目で安倍の意見を聞く姿勢を見せながらも、実際は無視という姿勢に転じた。そして長期政権の足掛かりを得るため、最大派閥の安倍派に対抗できる新たな政治勢力の結集を模索し始めた。そんな岸田の思惑は、麻生が温めてきた大宏池会構想と合致する。
12月3日19時すぎ、またもやニューオータニの「千羽鶴」。岸田は岸田派事務総長で元厚労相の根本匠、同派に所属していた元衆院議員の大西宏幸、左藤章と約2時間会食した。先の衆院選で大阪維新の会に完敗した大西、左藤をねぎらい、再起の言葉をかけた岸田は、外相に自ら同派座長の林芳正を起用したことにも触れ、「おれが媚中派と言われるのは不本意だ。林は中国に行くとは一言も言っていない」と、安倍をはじめとする保守派からの批判に反論した。
この席での懸案は、官房副長官の木原誠二の女性スキャンダルだった。官邸は『週刊新潮』が情報収集していることを察知。「岸田政権の重要政策は実質的に木原がすべて決めている」(岸田周辺)というその木原が飛んだ場合、政権にとって壊滅的なダメージとなる。ダメージを最小化するための善後策についても話し合われた。
だが、この席で最も多くの時間を割いた話題は、大宏池会構想に向けた再結集の意義だった。岸田は2000年の加藤の乱を振り返り「もう負け戦はできない。分断から協調だ」と語った。
実は大宏池会構想が動く兆しを見せたのは約5年前にさかのぼる。2016年秋、麻生が側近を通じて密かに岸田に派閥の合流を持ち掛け、岸田も前向きに検討した。合流後は「麻生・岸田派」として派閥会長には麻生、総裁候補は岸田と棲み分ける案だった。ただ、岸田派の名誉会長だった元幹事長の古賀誠とは関係が悪い麻生は、岸田に古賀との関係を断ち切ることを条件としていた。だが、古賀との関係維持を重視した岸田はこれを受け入れず、立ち消えになったとみられていた。
それでも麻生はずっと岸田に「大宏池会の火を消すなよ」と釘を刺していた。岸田も麻生派事務総長の棚橋泰文や谷垣グループ代表世話人の遠藤利明と連携をとりながら、構想実現に向けて古賀との「縁切り」を模索していた。
一昨年10月、岸田は古賀との関係をついに断ち切った。古賀が宏池会のパーティーに初めて姿を見せなかったのだ。岸田は「分断から協調へ」というフレーズで加藤の乱以来、分裂してきた宏池会の再結集を表明し、昨年の総裁選の布石にもなった。
ただ、首相となった岸田が派閥から離れるなか、宏池会の運営を誰に託すのか。岸田は麻生が難色を示したものの、派閥ナンバー2の林芳正を外相に起用して派内の波乱要因を除去し、再結集後の「会長」ポストに自ら就く可能性を残した。
冷え込む安倍との関係
これに安倍は神経を尖らす。
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