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「トランプ流孤立主義」とは何だったか(1)

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※本連載は第55回です。最初から読む方はこちら。   

 トランプ政権は現状打破志向を特徴とするだけでなく、「リベラルな国際秩序」を傷つけた政権としても理解されます。トランプ流の孤立主義なるものは、いったいどのような発想に支えられていたのか。それは従来の欧州に対する不介入を意味する孤立主義とどのように違うのだろうか、ということを考えてみたいと思います。

 トランプ流の孤立主義に横たわるセンチメントは、過去数十年に米国が潜り抜けてきたいくつかの忘れ難い経験によって定義されています。大統領候補としてのトランプ氏が初めて本格的な外交演説を行ったのが2016年の4月末。トランプ流孤立主義の核となる要素はそこにすでに込められていました。

 それは、主に、「停滞」と「無駄な戦争」に対する忌避感として理解することが可能です。1993年に始まるクリントン政権の8年と、2009年に始まるオバマ政権の8年は、主に国内政治に精力が傾けられ、対外的にはどちらかと言えば状況依存的な対応が模索されました。結果としてみれば、クリントン政権は冷戦が終わったことの意味合いを必ずしも積極的には位置づけなかった一方で米国の影響力を維持しましたし、オバマ政権も帝国の衰退を食い留めつつ現状維持にとどまったと言えます。双方とも、輝かしさこそなかったかもしれませんが、国力を損なうような大きな失敗をしなかった政権でした。それに比して、ブッシュ政権(子)は長期にわたって米国の国力を削ぐような失敗をおかしました。いまでは対テロ戦争の一環として理解されているイラク戦争です。トランプ政権の対外政策観は、過去四半世紀にわたる米国の経験としてのクリントン、オバマ両政権期の停滞と、ブッシュ(子)政権の無駄な戦争に対するアンチテーゼとして生まれてきたということです。

 いまでこそ、トランプ氏に対抗する文脈からブッシュ家とクリントン家は互いに協調的ですが、2001年当時クリントン政権の跡を襲ったブッシュ(子)政権は前政権を完全否定し、エニシング・バット・クリントン(ABC≒クリントンのやったこと以外なら何でもいい)と言われたほどでした。ブッシュ政権は9・11同時多発テロの前から、クリントン政権の「砂を叩くような攻撃」(無価値な標的に対して高価なミサイルを発射する臆病で無駄な攻撃の意)を批判し、抜本的なイラクの体制転換のシナリオを模索していた。彼らの中に生じた新たな孤立主義が、いわゆるネオコン的な世界観に基づく「単独行動主義」です。イラク戦争を推進する過程で、米国の世界観に理解を示そうとしない欧州の同盟国に対する批判が芽生え、米国の単独行動主義が強まる。これが、冷戦後の「リベラルな国際秩序」に対する初めの挑戦でした。米国と同盟国の利益はすでに乖離し始めていたからです。
しかし、著名なネオコン論者のなかにはトランプを批判する者も少なくない。これはどうしてかと言えば、もちろんトランプの非エスタブリッシュメント性がまずあるでしょうが、時代性の違いが挙げられるでしょう。

 2003年時点でのネオコン的世界観においては、民主化の強制によって世界を平和に導くことが是とされた。そのころの「主敵」はイスラム過激主義であり、テロを繰り返す非国家主体を陰に陽に支えている国家群でした。「ならず者国家」というフレーズをご記憶でしょうか。名指しされた北朝鮮及びイランの場合は国そのものがテロリズムに似通った非正規戦的手法を用いており、イラクは実際には9・11を首謀したわけでも何でもなかったわけですが。その後、ロシアの「変質」というよりも米国の対ロ認識の変化によってロシアの脅威がクローズアップされることになりますが、ロシアは客観的に米国に比肩するような国力を持たない中規模国であり、米国の認識としては「いかにしてロシアに勝手なことをさせないか」という上から目線での脅威認識にすぎませんでした(これは両国のあいだに軍事分野での真摯な競争があることを否定するものではありません)。つまり、米国はある意味で余裕のある対外認識を持っていたわけです。当時の「リベラルな国際秩序」にまつわる議論は、いかにして単独行動主義をとる米国を抑制に導くか、そのために多国間協調路線をとるかということが中心であったと記憶しています。
それに引き比べ、2016年大統領選の際の米国は満身創痍の状態でした。対テロ戦争の負の遺産が存在する一方で、中国が台頭している。中国はロシアとは異なり、権威主義体制のまま経済的に繁栄し、超大国化する可能性があります。トランプが候補として発したメッセージのうちもっともインパクトがあったのは、無駄な戦争にかかわらないことであり、過去2~3代の民主・共和両党から輩出した大統領の対外政策を全否定したことでした。

 もちろん、それが向かう先は必ずしも明らかではありませんでした。トランプは明確に内政と国際的なビジネスに関心があった。対中対決路線が政権の途中から明確になったのは、文明的な意味で中国との対決を標榜する人びとや安全保障サイドの人間に引きずられたところが大きいでしょう。いずれにしても、トランプ政権を担った人々からすると、2000年代までの対外認識は時代錯誤としか映らなかった。そこで、政権は軍事的な手の広げすぎを改めつつ経済権益を確保する方向へと舵を切ります。

 それはしかし、かつてのネオコン論者がやってきたことを否定する効果を持っていました。トランプに対するネオコンからの批判の一部はこうした時代性の違いによるものであると私は理解しています。

 現実には、トランプ政権は様々な要素を抱えた政権でした。トランプは、壮大な「文明の衝突」的世界観を持つ人々や、共和党の安全保障を中心とした「新冷戦派」と組んだため、彼自身のビジネス中心の考え方は曲げられていきます。とはいえ、大統領の認識を反映してか、その後の経緯を見ても言うほどの果実は得ずに中国と第一次合意をしており、足して二で割る利益に基づく交渉、決定的決裂を避けようとする態度なども垣間見えます。

 仮に2000年代に共和党政権を支えていた人々が2016年に対テロ戦争の負の遺産を受け継ぐところからスタートした場合、違う発想をとっていたかどうかは極めて微妙ではないでしょうか。次回は、引き続きこの問題を追いかけます。

★次週に続く。

■三浦瑠麗(みうら・るり)
1980年神奈川県生まれ。国際政治学者。東京大学農学部卒業、東京大学大学院法学政治学研究科修了。東京大学政策ビジョン研究センター講師を経て、現在は山猫総合研究所代表。著書に『日本に絶望している人のための政治入門』『あなたに伝えたい政治の話』(文春新書)、『シビリアンの戦争』(岩波書店)、『21世紀の戦争と平和』(新潮社)などがある。