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小説「観月 KANGETSU」#42 麻生幾
第42話
合同捜査(2)
★前回の話はこちら
※本連載は第42話です。最初から読む方はこちら。
正木はそれには応えず、じっと熊坂を見据えていた。
「それだけじゃない。つい1週間ほど前の9月30日、あなたは、真田和彦と会っている。それもこの大分で──」
目を見開いた涼は思わず唾を飲み込んだ。
「真田さんとはどのようなお知り合いですか?」
萩原が語気強く訊いた。
熊坂は顔を上げて萩原を見つめた。
だが口を開こうとはしなかった。
「この3週間、あなたは真田さんとどのようなお話をされたのか教えてください」
その言葉は穏やかだったが、萩原の口調は問答無用の雰囲気があった。
「我々は、当初、あなたが真田さんを殺害したのではないか、と疑いました。しかし、それは物理的に無理だと分かった」
萩原がさらに続けた。
「ただ、真田さんが誰に殺されたかという謎は、あなたと真田さんとの頻繁な会話と密接に結びついている、我々はそう判断しています」
萩原は身を乗り出した。
「真田さんは、さぞかし無念であったでしょう。彼の奥さんの悲しみようも尋常ではありません」
その時だった。
熊坂が突然、ガクンと項垂れた。
「あなたは、真田さんの妻、恭子さんもよくご存じですね?」
萩原が急いで言った。
俯いたままの熊坂の口がゆっくりと開いた。
「奴は、自分の妻を守った。しかしわしはできんかった」
「何ですって? もう一度、言ってください」
萩原が尋ねた。
「わしは……自分の妻を……守れんかった……」
熊坂は消え入るような声で言った。
「守れなかった? 何から守れなかったんです?」
萩原が問いかけた。
だが熊坂の口は閉じられた。
涼は、熊坂のその姿を見て、さっきまでのまだぼんやりとした推察が、核心に近いという思いを強くした。
熊坂は、逆恨みする田辺が狙うべきは自分であったのに、妻を殺(や)られてしまった自分を責めているのだ。
*
厳しい表情で会議室に足を踏み入れた警視庁の2人は、コの字型の長机の反対側に座る正木と涼をしばらく黙って見据えた。
「いつもあのように?」
真っ先に口を開いたのは萩原だった。
「ええ」
正木が素っ気なく応えた。
萩原が大きく息を吐き出した。
「提案があります」
萩原が言った。
正木は黙って頷いた。
「お互い、手の内を明かしませんか?」
萩原が正木と涼の表情を見比べながら続けた。
「所詮(しょせん)、組織どうしでは羽織袴(はおりはかま)を着て、みたいな対応しかできないでしょうから、せめて我々とあなた方とだけでも、合同捜査、というのはいかがでしょうか?」
涼は内心、その提案に小躍りしたい気分だった。
さきほど、萩原が熊坂に問いただした、電話に関する事実など、知るべき話がさらに手に入る可能性がある、と思ったからだ。
熊坂久美殺害事件と、真田和彦の事件とがどう絡むかはわからない。
しかし、萩原の言葉にあった“特に、あなたの奥さんが殺された直後からはさらに頻度を増して、しかも長時間──”という部分と、さらに真田和彦が殺害される6日前の9月30日、大分で会っているということなどは、非常に気になった。
恐らく正木も同じことを考えているはずだ、と涼は思った。
だが、正木へちらっと視線を向けると、予想外の表情をしていた。
正木は平然とした表情で萩原を見つめている──。
「今、仰ったんは、この場でだけのことですか? それとも、どちらかの捜査が継続しちょら常に、ちゅう意味ですか?」
正木が冷静な口調で訊いた。
「もちろん後者です。東京に戻ってもすべて情報提供します。ですのでそちらからもお願いします」
そう言って萩原は背筋を伸ばした。
「関連するかどうかわからずとも、すべて、ですか?」
正木が念を押した。
「はい。こちらも願います」
萩原が力強く頷いた。
「我々を信頼して頂けますね?」
正木が無表情のまま訊いた。
(続く)
★第43話を読む。
■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。
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