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犠牲になるのは若者か、老人か――コロナ死亡率が物語る“現実”|E・トッド

新型コロナのパンデミックは、グローバリズムに対する「最後の審判」だ。私たちは経済の考え方を考え直さなければならない。何が真に「生産的」なのかを。/文・エマニュエル・トッド(歴史人口学者)

使用_トッド04(par Louise)

エマニュエル・トッド氏

“GDP絶対視”から脱却の機会

この度の新型コロナのパンデミックは、何を示唆しているのでしょうか。私は、歴史家、歴史人口学者として“グローバリズムに対する最後の審判”だと捉えます。

ただ、新しい何かが起きたのではなく、このパンデミックが、すでに起きていたことを露見させ、その変化を加速させている、と見るべきでしょう。

まずパンデミックが露わにしたのは、社会の「豊かさ」や「富」を示すはずのGDPなどの「経済統計」がいかに「現実」から乖離しているかです。

現代は“GDP至上主義”の時代。しかし、「付加価値の合計」であるGDPは、比較的最近、使われるようになった指標です。第2次大戦後の経済復興の中で、他国が米国にキャッチアップしていく過程で頻繁に用いられるようになりました。

もちろん、戦後のある時期までは、GDPも、「現実を測る指標」としての意味がありました。ところが、産業構造が変容し、モノよりもサービスの割合が高まるなかで、次第に「現実を測る指標」としてのリアリティを失っていったのです。

モノであれば、鉄の量にしろ、自動車の台数にしろ、水増しする余地は少なく、社会に存在する生産力(=現実)をより忠実に反映します。ところが、サービス分野では「現実」から乖離した過大評価が往々にしてなされてしまうのです。この点は、おそらく日本の読者には、容易に理解してもらえると思います。

例えば、米国ではとにかく裁判が多い。企業活動でも法的手続きが多い。そこで弁護士が手にする膨大な報酬もGDPに含まれます。それに対し、正直な方が多い日本(笑)では、訴訟も弁護士も少ない。その分、日本のGDPは米国より少なく計上されることになります。しかし、一体、どちらの社会が「生産的」と言えるのか。GDPには、こうした倒錯した面があるのです。今回のコロナ禍は“GDP絶対視”から脱却するまたとない機会です。

この点、フランスは、興味深い典型例を示しています。グローバリズムのゲームのルールを忠実に実行してきた国として、フランスのエリートたちは、工業で稼ぐのも、観光業で稼ぐのも、その良し悪しを問うことなく、同じようにGDPに換算できるという態度を30〜40年にもわたって取ってきました。その結果どうなったか。

今回の新型コロナではっきりしたのは、モノの生産に関しては、フランスはもはや“先進国”ではなく“途上国”だということです。フランス人は、人工呼吸器もマスクも医薬品もつくれない自国の現実を突きつけられました。それらは、中国やインドで製造され、国内にはもはや技術や生産基盤がない。国内最後のマスク工場は、2年前に閉鎖されていたのです。

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死は嘘をつかない

「経済統計」は嘘をつきますが、「人口統計」は嘘をつきません。作家エマニュエル・ベルルが述べたように、「死は嘘をつかない」。「人口統計」の操作は困難だからです。

1976年に『最後の転落』を書いて、「今後、10年、20年、もしくは30年以内にソ連は崩壊する」と私が論じたのも、ソ連の乳幼児死亡率の統計を見たからです。それまで低下し続けていた乳幼児死亡率が、71年から74年まで上昇し続け、75年以降は公表されなくなり、“何かある”と気づきました。

今回の新型コロナで注目すべきなのも、各国の死亡率に大きな違いがあることです。

もちろん、気候の影響などさまざまな要因があるので、その点も考慮すべきですが、少なくとも現時点では、全体としてウイルスの毒性はそれほど高くない。ですから、それぞれの死亡率は、「ウイルスの属性」よりも「各国の現実」について多くを物語っている、と捉えるべきです。

このウイルスは、まず“世界の工場”たる中国で“製造”され、グローバル化を担うエリートたちによって各地に運ばれ、イタリア北部、ドイツ南部、フランス東部、ベルギー、ロンドンといったグローバル化の先進地域を襲い、最後に、その中心地たるニューヨークに到達しました。

人口10万人あたりの死者数(5月15日時点)は、ベルギー「77.4」、スペイン「58.0」、イタリア「51.5」、英国「50.0」、フランス「40.4」、米国「25.7」であるのに対し、ドイツはわずか「9.5」です。日本や韓国はさらに低く、いずれも「0.5」程度です。

グローバル化の深度と死亡率

「個人主義的」で「女性の地位が高い」国(私の専門の家族構造で見れば、英米のような「絶対主義核家族」や仏のような「平等主義核家族」)で、死亡率が高く、「権威主義的」で「女性の地位が低い」国(日独韓のような「直系家族」)で、死亡率が低くなっています。これには、グローバル化の度合が大きく関わっていると考えられます。

死亡率の低い後者のグループでは、グローバル化の下でも、暗黙の“保護主義的傾向”が作用し、産業空洞化に一定の歯止めがかかって、国内の生産基盤と医療資源がある程度、維持されました。そのために、被害の拡大を防げたのです。

他方、死亡率の高い前者のグループでは、GDPばかりにこだわり、生活に必要不可欠な生産基盤すら手放して産業空洞化が起こり、いざという時に、自分たちの生活すら守れなかったのです。

この意味で、新型コロナは“グローバリズムの知的な敗北”を宣告した、と言えるでしょう。

フランス国内にも、同じような地域差が見られます。

最新著『21世紀のフランスの階級闘争』で示したことですが、現在、フランスは、(ベルギーやドイツに近い)北東部を始めとする“グローバル化の嵐の中のフランス”と南西部を始めとする“シェルターで保護されたフランス”に大きく二分され、産業空洞化、移民問題、要するに「グローバル化による危機」は、前者でより深刻化しています。今回の新型コロナの死亡率にも、まったく同じ傾向が見られるのです。

新型コロナが露わにした“グローバル化の不都合な真実”は、仏独の死亡率の違い(「40.4」と「9.5」)に鮮明に現れています。

欧州では、EUとユーロ創設という形で「グローバリズム」が貫徹されました。とくにユーロがフランスの国内産業を破壊したのです。対照的にドイツは“単独通貨マルクよりもはるかに安いユーロ”によって、EU域内貿易でも、EU域外貿易でも恩恵を受け、巨額の貿易黒字を積み上げました。

独フライブルクにある親EUの欧州政治センターの研究でも、1999年のユーロ導入以来、フランスは、GDP換算で3591億ユーロ(約42兆円)の損失を被り、ドイツは、1893憶ユーロ(約22兆円)の利益を得た、と推計されています。

ユーロは、主にフランスの政治家たちが中心となって考案したものですが、“フランスの政治家が犯した史上最悪の失敗”と言って過言ではありません。

私はマクロン大統領に極めて批判的ですが、今日のフランスの惨状は、ミッテラン、シラク、サルコジ、オランドといった歴代政権の政策の帰結です。したがって、若者よりもグローバル化の恩恵を受け、彼らを大統領に選んできた私を含む高齢者の世代に重い責任があります。

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嘘をつくしかない無力な政府

こうして自国産業が壊滅し、ウイルスの防御手段が何も残されていないフランスには、「ロックダウン(都市封鎖)」しか選択肢がありませんでした。その結果、貧困層は都市の狭い住居に閉じ籠もるほかなく、ブルジョワは田舎の別荘に逃げていきました。17世紀にペストが流行した時とまったく同じ光景が繰り返されたのです。

新型コロナは、高齢者の死亡率が高く、明日(5月16日)69歳となる私自身も“高リスク”ではあるので、妻と娘を連れてブルターニュの小さな別荘に“避難”しました。移動禁止令でパリが封鎖されるわずか30分前のことです。

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