見出し画像

カゴメ「トマトの会社が愛される理由」ニッポンの100年企業⑥ 樽谷哲也

ロイヤルユーザーを増やそう!/文・樽谷哲也(ノンフィクション作家)

日本にトマトを根づかせた会社

ふた月ほどの間、試みに、会う人ごとに、あなたがいちばん好きな野菜は何ですか、と一つ覚えに訊ねてみた。予想しなかったことなのだが、8割以上がトマトと答えた。また、この4月から始まった女優の石原さとみが司会を務めるNHK総合の情報番組「あしたが変わるトリセツショー」第1回の放送で、タキイ種苗の調査結果として、子どもが好きな野菜は10年連続でトマトが1位であると知った。トマトが日本の人びとの暮らしにこれほど深く根づいているとは思いもよらなかった。

日本にトマトを根づかせた会社、それがカゴメなのである。しかも、糖度と酸味、水分などのバランスが日本人の好みに合うよう、遺伝子組み換えをせずに交配によってのみ独自に品種改良を重ねてきた。世界中にトマトの品種が1万超あるうち、約7500種をカゴメで保有すると聞く。影響はトマトにとどまらない。

初めての技術系出身社長、山口聡は、数字を諳んじて一例を挙げた。

「直近の統計では、日本国内の緑黄色野菜の年間消費量は約337万トンです。カゴメが供給させていただいている生トマト、それからトマトケチャップや野菜ジュースなどの加工食品に使っているものも含めた野菜がおよそ合計60万4000トンですので、17.9%を占めていることになります」

さらっと聞き流してしまいそうになるが、私たちの摂る緑黄色野菜の2割近くをカゴメが供給しているのである。主力製品のトマトケチャップ、トマトジュース、野菜果実ミックスジュースではいずれも6割を超えて国内トップシェアを誇る。

「家庭用とともに業務用も大きなお客さんで、ホールトマトをはじめ、冷凍したじゃが芋やパプリカ、ズッキーニ、ナスなども、日本のレストラン、飲食店でお使いいただいています。それから、コンビニエンスストアさんでご販売いただいている総菜のスパゲッティのソースにもカゴメの野菜は使われています。私自身も商品開発を担当してきましたので、強い思い入れがある製品ですね」

東北大学農学部で食糧化学を専攻し、食品成分の研究を積み重ねた経験がカゴメを志望する動機となった。静岡に生まれ育ち、カゴメは隣県の愛知が発祥であると知っていたこと、子どものころからトマトケチャップやソース、トマトジュースなどがいつも家庭にあったことも、企業イメージを身近なものとした。1983年の入社後、工場の製造ラインや品質管理、マーケティングなど、一通りの部署を経ながら、とくに商品開発に長く携わってきた。語り口から温和な人物であると伝わってくる。

イタリアンレストランチェーンでもカゴメの加工食品が使われている。

「たとえば赤や白のインゲン豆を当社のイタリアの工場で加工製造して日本に持ってきて、スープの具材にお使いいただいています。当社の名前はメニューなどに一切出ませんので、召し上がっているみなさんはカゴメの食材が使われていることはおわかりにならないことと思います」

自覚する以上に、私たちはカゴメの野菜をふんだんに飲んだり食べたりしているのだと知った。もうひとつ気づいたのは、同席する広報担当者が「山口さん……」と呼びかけていることである。相手がたとえ社長であっても「さん」付けで呼び合う会社は、概して組織の風通しがいい。

画像1

山口聡社長
カゴメの沿革
1899年 創業者の蟹江一太郎、トマトなど西洋野菜の栽培に着手
1903年 トマトソース(今のトマトピューレー)製造を始める
1906年 東海市にトマトソース工場建設
1908年 トマトケチャップ、ウスターソースの製造開始
1917年 カゴメ印を商標登録
1933年 トマトジュース発売
1949年 東京、大阪へ進出
1959年 トマトペースト発売
1963年 社名を「カゴメ株式会社」と改称
1964年 チリソース、トマトソース発売
1966年 世界で初めてプラスチックチューブ入りのケチャップ発売
1967年 台湾カゴメ設立
1974年 サンフランシスコに事務所開設
1983年 ブランドマークをKAGOMEに変更する
1990年 カリフォルニア州に工場完成
1995年 初の野菜果実ミックスジュース「野菜生活100」発売
2002年 トマトジュースをリニューアル
2007年 ポルトガルのトマト加工事業に進出
2014年 株主数20万人突破
2019年 カゴメ野菜生活ファーム富士見開園

西洋野菜の栽培に挑む

愛知県の小さな農家に長男として生まれた佐野市太郎(1875─1971)は、18歳のとき、大農家へ養子に行ったのを機に、蟹江一太郎と改名した。名古屋の陸軍連隊で日清戦争の兵役に就いて除隊するとき、上官より、これからの日本人は大根や芋だけでなく西洋野菜を食べるようになるはずなので栽培してみてはどうか、と勧められる。米農家が軒並み貧苦に喘いでいることを身をもって知る一太郎は心を大きく動かされる。愛知県東海市の養家に帰ると、早速、西洋野菜の研究を始めた。日本ではまだほとんど栽培が試みられたことのないトマトなど、自宅の脇にさまざまな西洋野菜の種をいた。1899(明治32)年に初めてトマトの発芽が見られた。社長の山口は、「その芽が出た年を私どもの創業年としています」と話した。したがって、ことしで創業124年目である。

「折にふれて考えるんですが、トマトを食べる習慣がない時代の日本で、その西洋野菜を最初に栽培して売ろうとした蟹江一太郎さんは相当なチャレンジャー精神の持ち主で、本当にすごい人だったと思うんです」

だが、まだ物珍しいトマトは敬遠される。食してみても、青くさくてっぱく、なじみのない代物で、さっぱり売れなかった。語りながら、山口がなお「やっぱりすごい人だったと思うんです」と強調するのは、一太郎が日本人の味覚に合うようなトマトの品種を研究する一方で、売れないトマトをどうにかして手に取られるようにと商品化に勤しんだ努力と探求心を敬愛するからである。

一太郎は、西洋ではトマトが生のままではなく、ソースなどに加工して使われていると知り、西洋式のホテルで一瓶分けてもらった。豊作であったのに売れずに残ったトマトを自宅の納屋に持ち込んで山積みにし、舶来のトマトソースを参考に、皮をむいてみたり、つぶしてみたり、さらに、鍋で煮詰めたり、し網で裏ごししたりと、ひたすら試行を重ねてゆく。ほどよく煮詰まって、うまみが引き立っても、黒ずんでしまい、瓶詰めにすると見栄えがよくない。鉄鍋を使うのが原因かと考え、ホーロー鍋で煮詰めたところ、赤みを残したものができた。やがて、農業の傍ら、蟹江家総出で試作品づくりに日夜励んでいった。

1903年、一太郎は商品として成り立つトマトソースの製造に成功する。これが今日のトマトピューレーである。3年後には自宅裏に工場を建設し、トマトソースの本格的な生産体制を整え、本腰を入れて乗り出す。トマトソースの支持が拡大していくことに安住せず、1908年にはトマトケチャップ、ウスターソースの製造も開始する。明治から大正へと世の移り変わる時代、コロッケやカツレツなどの洋食が日本で広まるにつれ、まずウスターソースという、かつての日本になかった絶妙の調味料に一気に火がついた。文明開化の勢いに乗って家庭料理の洋風化が進むと、トマトケチャップの需要も急速に伸びていった。

一太郎は、1914(大正3)年、共同出資により、資本金3000円で愛知トマトソース製造を設立する。

商標登録をしたのも1917年と早い。西洋野菜の栽培を勧めた兵役時代の上官への感謝から、旧陸軍の徽章きしょうである星形の「五芒星ごぼうせい」を登録しようと考えたが認められず、2つの三角形を上下逆に重ね合わせた「六芒星」を商標とした。これがトマトを収穫するときに用いる竹編みかごの目に似ており、カゴメ印と呼ばれるようになった。のちの1963年、社名をカゴメと定めている。

商品名を「カゴメケチャップ」と正式に決めたのは1930年ごろと社内の資料に残る。工場の新設や増資、改組改称などで会社を大きくしながら、1933(昭和8)年、満を持してトマトジュースの発売に踏み切る。長く缶入りで売られていたが、減塩や無塩といった健康志向の高まりに合わせたモデルチェンジをつづけ、また、パッケージやデザインをより消費者本位に改めることにも創意工夫を凝らしてきた。

画像2

発売当初のトマトジュース缶

ここから先は

4,303字 / 1画像
noteで展開する「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了します。同じ記事は、新サービス「文藝春秋 電子版」でお読みいただけます。新規登録なら「月あたり450円」から。詳しくはこちら→ https://bunshun.jp/bungeishunju

文藝春秋digital

¥900 / 月

月刊誌『文藝春秋』の特集記事を中心に配信。月額900円。(「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了します。今後は、新規登録なら「…