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“ネットカフェ難民”への宿泊所提供に反発する人たちと対話するために|三浦瑠麗

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※本連載は第23回です。最初から読む方はこちら。

 先週は、日本における反米主義や憲法9条をめぐる争い以外の対立は、公共の利益のための議論を離れ、村社会的でウェットな社会常識や、個人的好悪感情と個別利益をめぐる争いに引きずり込まれがちだということを取り上げました。

 そもそも政治は利害対立と人間関係をめぐる対立をイデオロギー的な対立になぞらえた人工的なしつらえであって、思想性は二の次である、といってしまえばいささかシニカルにすぎるでしょうか。価値観をめぐる勝ち負けと、人間の集団間の勝ち負けが混同されているのも頻繁に目にします。

 相手を論破できるという想定の下に説得を試みる人たちもいますが、相手の主張が気に入らなかったとしても、その下衆さを明るみに出すところまでしかできないのであり、知的な優越性が常に社会で支持されるわけでもありません。

 政治が有権者を必要とする営みであるからには、論敵との戦いにおいては、自分の正しさを言い募るだけでなく、観客から支持を勝ち取らねば意味がないということです。選挙はさほど頻繁に訪れませんから、政治家は世論調査などの傾向値を見ることで勝ち負けを判断します。しかし、少なくとも日本ではこの観客たちの大部分は、社会常識などのウェットでエモーショナルな部分によって審判を下し、その他は元々の好悪感情や個別利益をめぐって判断するのです。

 であるからこそ、政治家やメディアが建前の民意ばかりに忖度してしまい、本音や意見の可変性を考慮に入れずに解釈してしまうリスクは頭に入れておかなければなりません。調査と言っても、表立っての回答は往々にして偽善的であったり、軽い気持ちからの回答であったりするし、仮に道徳観として内面化されているものでも、それは時を超えて変化しうるもので、究極的には自己利益によって塗り替えられるものでもあるからです。

 弊社の日本人価値観調査2019では、夫婦別姓を許容するかどうかについて、個人の間では賛成する多数意見と反対する少数意見の対立が見られました。体罰の可否をめぐっても、とりわけ世代間で意識が分かれます。しかし、これらの価値観が答えた当人にとって「絶対」なものであるのかどうかは、よくよく考えなければなりません。

 価値観は「思い込み」である可能性が十分にあるのです。とりわけ、歴史的に発展が遅かった女性や児童の権利に関する考え方は、時代によって変遷してきています。体罰に関する感じ方も、世代による違いだけでなく、同じ人間が徐々に許容しない方向に変わってきているということです。20年前には、女が男より前を歩くなんて! と言っていた人が、ある別のイデオロギーから、女性の防衛大臣を格好いいと拍手で迎えることもある。

 自分が間違っていない側に立っていると思える環境で、価値観を徐々にスムーズに切り替えることさえできれば、人びとは思い込みを変えることができます。人びとは間違いを指摘されるよりも、自分たちが認めてやったのだ、と思う方が、すんなりと価値観の変化を受け入れられるからです。これは、もっと闘争路線を取るべきだと考える人の意見を妨げるものではありません。人びとがどうやって価値観を変えるのかについては、価値観の定食メニュー化による分断が進んだ米国よりも、日本の経験の方が学びになる部分もあるということです。

 社会進化の中で必要なのは、弱者に対する手当が必ずしも他の多くの人びとの懐を痛ませて行うものではないということを理解してもらうこと。日本の人びとは、全員平等に耐える、のであれば比較的柔軟に困難に対応しますが、ちょっとでも平等でないとなると反対する傾向にあるからです。

 例えば、新型コロナウイルス禍の最中に、休校中であるにも関わらず登校しなければいけない子たちがいます。自粛する余裕のない家庭、人びとの自粛生活を支えている医療業界や流通その他必須の生活インフラを維持する労働に携わる共働き家庭の子どもたちです。あるいは、学校側が積極的に登校を働きかけているネグレクト家庭の子どももいます。その子どもたちに対して、学校の先生がある程度の指導を施したり、給食を出すことが不当であるとはまったく思われません。しかし、ほぼすべての学校で、休校期間中はお弁当を持参してくださいと言われてしまう。

 また、ネットカフェ難民とも言われる人たちが、ネットカフェの休業により行き場を失ったときに、宿泊所を都が提供することになりましたが、これに対しても、本来は自己責任だから自業自得であったはずとの言説がネットで見られます。

 人道の見地はもとより、行政の支援には、回りまわって社会の基礎的な安定を維持することに繋がるという利点があります。その感覚を持てない人々は、不公平だからだめだと反発しがちです。興味深いことに、高額所得者よりも所得税をほぼ負担していない人の方から、そうした不満が出てくるのです。そもそも多数のフリーライダーの存在を想定して税金を納めてきた高額納税者とは異なり、ある程度自立はしているが、社会に恩恵を提供する側ではない人の方が、フリーライダー化する人が増えることによる食い合いを警戒するのでしょう。不法移民を警戒し差別する層が米国の労働者層に多かったように、ゼロサムで捉えてしまうと、貧困へ向けた競争がかえって促進されてしまうのです。

 そうだとすると、論点の設定の仕方が非常に重要になるということが分かります。まず、改革を通すためには、パイが十分にあることをあらかじめ示さなくてはなりません。人道的な理由からする目的だけでなく、資源が無駄になっていることを示す。そして、最終的には改革が自己利益に繋がるという考えを持ってもらうことです。余裕のない国民は、弱者支援の拡大をなかなか受け入れません。あるいは、この方がより簡単ですが、国が大局的見地に立ち、国民にいちいち聞かずにやるべきことはやればいい。世論は、聴くだけではなく、リードできるものなのです。

 人間は「わがこと化」せずに、原則を信ずるには至らないのでしょう。子どもをもったことで児童虐待のニュースを正視できなくなるように、衝撃が与える深さはわがこと化の度合いにより違うからです。次週は、女性に関わる価値観の変化を追いかけます。

★次週に続く。

■三浦瑠麗(みうら・るり)
1980年神奈川県生まれ。国際政治学者。東京大学農学部卒業、東京大学大学院法学政治学研究科修了。東京大学政策ビジョン研究センター講師を経て、現在は山猫総合研究所代表。著書に『日本に絶望している人のための政治入門』『あなたに伝えたい政治の話』(文春新書)、『シビリアンの戦争』(岩波書店)、『21世紀の戦争と平和』(新潮社)などがある。
※本連載は、毎週月曜日に配信します。


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