藤原正彦 内モンゴルが危ない 古風堂々18
文・藤原正彦(作家・数学者)
モンゴル草原はゴビ砂漠で南北に二分され、北は外モンゴル、南は内モンゴルと呼ばれる。17世紀末にはともに清国の支配下となったが、外モンゴルはソ連の衛星国ながら1924年にモンゴル人民共和国として独立した。冷戦終了後には現在の民主主義国、モンゴル国となった。
一方の内モンゴルは、中国に隣接するという不運のため、茨の道を歩むこととなった。満州国成立時には東半分が満州国に吸収され、終戦まで13年間ほど日本の支配下となった。戦後は米英ソによるヤルタ協定により、内モンゴルは中国領とされ、やがて自治区となった。自治区とは名ばかりで、文化大革命時には150万モンゴル人の約4人に1人が逮捕され、その半数ほどが拷問を受けたり殺害されるというジェノサイドまで経験した。大量の漢人入植のため、モンゴル人は今や内モンゴル人口の17%と少数派になってしまった。
内モンゴルは満州国に吸収されるずっと以前から、日本と深い関係があった。1902年頃、日本軍部は、迫り来る日露戦争ではロシアの兵員や武器弾薬輸送の大動脈、シベリア鉄道の爆破が不可欠と考えた。諜報を受け持つ福島安正少将は、爆破するなら線路より復旧に月日のかかる鉄橋と考え、鉄橋へのルートは清国から内モンゴルを北上、と結論した。ラマ僧やモンゴル人隊商に化けた爆破隊が無事に内モンゴルを通過するには、親ロシアの内モンゴルに親日の一角を築くことが重要である。清国の皇族であり大臣でもある粛親王が親日反露のうえ、妹が内モンゴルで有力なカラチン国王に嫁いでいることに福島は着目した。
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