【KO強盗事件#2】新宿2丁目に消えた3500万円|伝説の刑事「マル秘事件簿」
警視庁捜査一課のエースとして、様々な重大事件を解決に導き、数々の警視総監賞を受賞した“伝説の刑事”と呼ばれる男がいる。
大峯泰廣、72歳――。
容疑者を自白に導く取り調べ術に長けた大峯は、数々の事件で特異な犯罪者たちと対峙してきた。「ロス事件(三浦和義事件)」「トリカブト保険金殺人事件」「宮崎勤事件」「地下鉄サリン事件」……。
老境に入りつつある伝説の刑事は今、自らが対峙した数々の事件、そして犯人たちに思いを馳せている。そして、これまで語ってこなかった事件の記憶をゆっくりと語り始めた。/構成・赤石晋一郎(ジャーナリスト)
■取調室の攻防
上野署の取調室は2階フロアの一角にある。
朝からの取調べ。机と椅子だけの殺風景な部屋に入ってきたのは、無骨な顔をした遊び人風の男だった。
谷本武美――。
こいつが、警視庁捜査一課に配属されてから私が初めて取調べをすることになった男の名前だった。
まず、午前中は彼の身の上話を聞くことに徹した。
谷本は愛媛出身だった。髪型は坊主と無骨ではあるけど、服装はジーンズに柄シャツというお洒落な格好をしていた。その雰囲気から、コイツには何か裏がありそうだと感じた。
谷本はこう話した。
「私の実家は神社でした。父親は宮司で私が跡継ぎと言われていました。でも、とにかく宮司にだけはなりたくなかったんですよ。それで愛媛から出ることにしたんです」
――東京では何をしようと思っていたんだ?
「目的はありませんでした。東京に出てくれば、なんとかなるだろうと思って上京しました」
愛媛の宮司の息子としての葛藤、悩みを彼はとうとうと話した。しかし東京に出てきてからは無為徒食の生活を送っていた。定職に就いたことがなかったのだ。
――生活費はどうしていたんだ?
「酔い潰れた人間から財布を抜いたりしていました」
犯行を何件したのかと私は細かく詰めていった。
――マグロをした駅を言ってみろ。
「上野、赤羽・・・・・・」
すると谷本はマグロについてスラスラと吐き出した。赤羽という言葉を私は聞き逃さなかった。赤羽ではKO強盗が発生していた。私はとうとう本題を切り出すことにした。
――お前がやっているのはマグロだけじゃないよな。タタキもあるだろ? それも話さないと駄目だよ。
一時、取調室が沈黙に包まれた。
「はいやっています・・・・・」
谷本はあっさり口を割った。こいつだったのか。私は心の中で驚愕していた。
割り振られた容疑者に対して、KO強盗の可能性を見越して取調べはしていた。だが、まさか自分が最初に取調べをした人間が真犯人人だとは思いもしなかった。取り調べは長時間に及び、時刻は夕暮に差し掛かっていた。
――谷本っ、お前が赤羽でやったタタキの話をしてみろよ。
「はい。二人一組で強盗をやっていました。相棒は相沢(定明)という男です」
自供によると谷本らの手口は次のようなものだった。金を持っていそうな紳士を見つけ、2人組で尾行を続ける。人気のないところに差し掛かったら谷本が正面に回る。そして正面から紳士のほうに歩いていき、すれ違いざまに右手で首に喉輪をかまして、同時に柔道技である大外刈りを仕掛け地面に叩き付ける。谷本はそのまま紳士を地面に押さえ込む。紳士が頭をあげようとするところを、相棒の相沢が思いっきり頭を踏みつける。頭をアスファルトに強く打ち付けられるわけだから、ほとんどの人間は失神する。そこで金目の物を奪う。
――相棒の相沢とはどのようにして知り合ったんだ?
「マグロ仲間でした。現場で一緒になるうちに、二人一組でマグロをするようになりました。しかし酔い潰れた人間を物色するだけでは、あまり実入りがよくない。たいして金を持っていないケースも多かった。より効率的に金を稼ぐ方法はないかと、犯行を思いつきました」
寺尾係長の筋読みは当たっていた。
警視庁捜査一課でも所轄で身につけた調べの方法を生かすことが出来たことは自信になった。証拠は何もなかった。全てを知っているぞ、という雰囲気で相手を諭すのは私の常套手段だった。
谷本の身の上話を全て聞いていたことも功を奏した。刑事に親近感を持たせるというのも効果の一つだが、それだけではない。相手の話をじっくり聞いていくことで、犯人は逆に追い詰められたような心理状態になる。なぜかというと、全てを話し終えると、後残されたのは犯罪の話だけだと犯人は自覚し始める。その心理的プレッシャーを利用して諭しにかかるわけだ。
私は取調べで一つだけ谷本に話さなかったことがあった。それは一部の被害者が死亡していたという事実だ。強盗致死となれば重罪となる。それを知れば谷本の口が重くなる可能性があった。彼には何も伝えずに、まずは全面自供させることを優先した。
■動機は男の愛人
取調べでは警察の管内地図を次々渡し、ヤツに印を付けさせた。その地図をもとに引き当り捜査に入る。いわゆる現場検証だ。ヤツは全ての犯行現場を正確に覚えていた。入念に下調べをして犯行を行っていた証だった。
谷本は駅を起点に犯行を繰り返した。駅周辺で4~5件の犯行を行い、アシが付かないうちに場所を変える。
異常だったのは毎日のように強盗を繰り返していたことだ。金持ちに見える紳士がいたらゴーという感覚なんだ。
谷本には窃盗の前科もあった。窃盗のような犯罪は緊張感とスリルがあるので癖になると言われている。簡単に大金が入るので、真面目に仕事をしようという気にもならない。連続してKO強盗を行うということもヤツの快感になっていた。
谷本の自供した事件の一つに高円寺のケースがあった。寺尾係長と強盗5組で捜査に入って“変死”のままとなっていたあの事件だ。
後に私が「高円寺は被害者が死んでいるぞ」と告げたとき、ヤツの表情が一瞬固まった。
「やっぱりなー。あのときグシャっといったもんな」
谷本は悪びれる様子もなく言った。彼はノリ良く、得意げになってどんどん犯行を自供した。時には身振り手振りを交えて、だ。罪の意識はかなり低かった。
実際に谷本が自供した犯行は数百件にも及んでいた。そのなかで証拠の確実なものだけ起訴に持っていった。
強盗致死の逮捕状をとった段階で、彼の身柄を警視庁に持って行くことになった。
〈KO強盗、166件確認 死者4、負傷109人 捜査終わる
五十二年夏から都内はじめ首都圏の盛り場で連続発生したKO強盗事件を捜査していた警視庁捜査一課と埼玉県警、上野署など合同捜査本部は十一日、犯行グループ二十人を送検、一人を指名手配して六ヶ月に及ぶ捜査を終了した。自供のあった犯行件数は約二百件、うち百六十六件を確認したが、襲われた際のケガが原因で死んだ被害者は四人、ケガをした人は百九人、奪われた金は約三千五百万円に達した〉(1981年6月11日付 毎日新聞夕刊)
新聞では犯行グループによる組織犯罪のように書かれているが、ほとんどの事件が谷本と相沢のコンビによるものだった。逮捕されたマグロ犯の中にも彼らを真似て犯行を重ねた人間が何人もいたということで、犯行グループと新聞はしたのだろう。最終的に谷本が自供した犯行件数は340件にも上った。
取調べのなかで、饒舌な谷本が頑なに口を閉ざしていたのが本当の犯行動機だった。
彼は酒も煙草もギャンブルもしない。はたして数千万円もの金を何に使っていたのか。
■犯人の唯一の楽しみ
話はKO強盗事件の捜査本部が設置される数ヶ月前に遡る。
私は「新宿3丁目新聞配達員殺人事件」の捜査に従事していた。この事件は午前3時ごろに新聞を配達していた配達員が酔客に暴行を受け亡くなったというもの。犯行現場が新宿3丁目のあたりだった。
酔客は新宿2丁目で飲んでいたことが判り、捜査員は連日2丁目のホモスナック(今でいうゲイバー)で聞き込みを行うことになった。男色の世界は奥深い。デブ専、韓国系、ボディビル系、多種多様な好みの店が2丁目にはあった。サウナに聞き込みに行けば、そこはいわゆる発展場となっていた。大部屋にマットレスが敷かれており、ハードコアと呼ばれる“オカマを掘る”行為を目の前で見たこともあった。
事件は2丁目で看板を蹴飛ばした客がいたという目撃情報を頼りに犯人逮捕に至った。このときの捜査経験が取調べでも活きたのだ。
捜査員から谷本の自宅から男の写真が何枚も出てきたという報告があがっていた。私はピンときた。頬に手を添えてこうヤツに質した。
――お前はコレか?
谷本は坊主頭にガッチリした体格で男らしい風貌をしている。同性愛は彼が世間に隠していた秘部だった。谷本は顔を歪め告白した。
「実はコレです・・・・・・」
――強盗した金は何に使った?
「愛人を連れて買い物に行くことが私の唯一の楽しみでした」
彼は項垂れながら告白した。
愛媛から上京した谷本の唯一といっていい趣味が新宿2丁目に行くことだった。そこで彼は若い男性と関係を持つようになり、食事や服に貴金属類を貢いでいた。
谷本は女性を知らなかった。男性としか付き合ったことがなかった。それ故に新宿2丁目に通い詰めるようになり。生活費と男の愛人に貢ぐために犯行に手を染めた。自らの欲望のためだけに4年あまりもKO強盗を繰り返していたのだ。
KO強盗事件の捜査で谷本から全面自供を引き出したことは、私にとって警視庁捜査一課に配属されてからの初手柄となった。
しかし、同時に自らの力不足を知らされた。
■事故死として報告した、ある変死体
谷本の自白を元に、彼と亀有に引き当り捜査に向かったとのことだった。
亀有駅からかなり遠い水元公園周辺で谷本は犯行を行ったという。
現場は人気のない殺風景な路地だった。跪き灰色のアスファルトを眺めた。私はハッとした。
場所に見覚えがあったからだ。
亀有署の刑事時代。水元公園近くで初老の労働者が頭から血を流して歩道に倒れているという事件があった。遺留品のなかに金目のものはなかった。飲み屋街の近くということもあり、私は酔っ払って転倒して死んだ、と判断し事故死として報告した。
この労働者は実はKO強盗の被害者だったのだ。遺留品のなかに財布がないなど、事件を匂わせる部分があったことを、当時の私は気づけなかった。
事故死として処理したことで監察医による解剖も行っていなかった。行政解剖でも司法解剖でも死因の解明が出来る。頭部損傷による頭内出血などの診断と、犯行の具体的な供述が一致すれば立件できる。強盗致死事件として、この水元の件を立件することできなかったことは痛恨の極みだった。
「あのとき俺はなぜ死体を解剖に回さなかったんだ。あまりに軽はずみな判断だった」
私は天を仰いだ。
当時、世間を震撼させたKO強盗事件はこうして幕を閉じた。谷本には無期懲役の判決が下された。
KO強盗事件を解決に導く形で私の捜査一課・刑事としてのキャリアは始まった。捜査員でささやかな打ち上げが開かれた。仕事を終えて傾けた酒のグラスは苦い味がした。
(「KO強盗事件」終わり)
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