藤原正彦 目覚めた美声 古風堂々19
文・藤原正彦(作家・数学者)
小学6年生の時、合唱コンクールに向けた学校代表の合唱団に選ばれた。6人に1人の狭き門に私が入ったので、級友は驚き私も驚いた。誰より甲高い早口の私は低い声がまったく出ず、歌とは無縁だったからである。父はよく風呂で抑留生活を思い出しながら「異国の丘」を歌ったり、「白い花の咲く頃」や「誰か故郷を想わざる」を郷愁たっぷりに歌っていた。歌が好きだったが、ひどく調子っぱずれでもあった。自らの実力を知る母はめったに歌わなかった。まれに口ずさむと家族が吹き出すようなものだった。それに昭和20年代、私の触れる音楽といったら、日曜昼食時の「のど自慢素人演芸会」と、母が夕飯の準備をしながら聞く「NHKラジオ歌謡」くらいだったから、歌のうまくなる環境ではなかった。
私が選ばれたのは、音大声楽科出身の女性教師が、「算数のできる子は音楽もできます」と常日頃言っていて、私を入れざるを得なかったのだ。それに小学校時代は私の全盛期で極端かつ異常に可愛かったから、この先生にえこひいきされていた。放課後にこっそりヤクルトをくれたり自宅に招かれ菓子や故郷山形の話でもてなされたりした。1人で未婚女性の家に入ったのはこれが初めてだった。
課題曲「かっこうワルツ」を猛特訓中の放課後のことだった。教壇を下りてゆっくりと歌声の中に入ってきた先生は、私のそばでふと足を止め、数秒ほど険しい表情で耳を澄ました。精一杯歌い上げていた私の元に歩み寄り、耳元で「あなたは口真似していればいいわよ」と囁いた。本大会の行なわれた東京女子大講堂で、私は最後列の端で口パクを続けていた。先生の判断は正しかった。半年後に受けた中学入試の実技で、図工は担任の顔を描くこと、音楽は譜面を4小節ほど歌うことだった。入学して初日の授業で出席をとっていた海軍帰りの体育教師が、私の番になってこう言った。「貴様が藤原か。噂は試験前から聞いていたが大したことはないな。図工は20点満点の4点、音楽は6点の超低空飛行だった」
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