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小説「観月 KANGETSU」#46 麻生幾
第46話
合同捜査(6)
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別府総合病院
だが、七海はすぐに頭を切り換えた。
相手の態度で一喜一憂する歳でもない、と七海は苦笑した。
ただ、心の中にすき間風が入ってきていることだけはハッキリと自覚した。
だがそれにしても七海は脳裡から拭い去った。
精一杯に手を伸ばしてバッグからノートとペンを取り出した七海は、思考をそっちの方向へと無理矢理にもっていった。
つまり、七海がやろうとしていることは、今まで自分の身の上や周りで起こったことを整理することだった。
まず、10月2日の深夜、自宅近くで田辺智之に襲われそうになった時より、3週間ほど前、つまり9月の半ばくらいのことだ。
その頃より、尾けられているとか、監視されているとか、そんな感覚を抱いた。
しかし、何があったわけでもない。
田辺智之の姿を肉眼で捉えることもなかった。
ただ不気味な日々が過ぎていった。
そして、その10月2日、その時が来たのだ。
別府中央署 特別捜査本部
「そもそも10月2日、杵築市在住の島津七海が、田辺智之に襲われそうになった事件、それこそが、我々が熊坂洋平に関心を寄せた契機となりました」
ホワイトボードに描いたチャートを指さしながら涼が説明を続けた。
「理由の一つは、島津七海の供述にあります。自分を田辺智之から守ったのは、そこに突然現れた熊坂洋平だとしたにもかかわらず、当の熊坂洋平はそれを頑(かたく)なに否定したからでした」
「なるほど。しかしその前に、その島津七海なる女性ですが、妙に引っ掛かるんです」
萩原が口を挟んだ。
「島津七海が引っ掛かる?」
涼の声が上擦った。
「ええ。さっき、刑事課のどなたかから伺(うかが)ったところ、今日午前、島津七海は、勤務先の別府国際大学の構内で、同僚の男に階段から突き落とされたとか──」
萩原が言った。
涼と顔を見合わせた正木は苦笑せざるを得なかった。
──こいつら油断も隙もねえな……。
「殺人未遂容疑での立件も視野に捜査が始まったようですが、島津七海の周辺で起きていることは、我々の捜査とリンクしているんじゃないでしょうか? 正木警部補はどう思われますか?」
涼は、萩原の姿に驚くしかなかった。
眼光炯々(がんこうけいけい)とはまさにこのことで、すべてを透かしているような鋭く光るこんな目で睨(にら)まれたら、頑ななマルヒ(被疑者)もそうそう黙秘を貫いておれないだろう、と涼は思った。
「同じ思いです」
正木が頷いた。
「我々も島津七海には大いなる関心を持っています」
正木が言い切った。
「それはないでしょう」
涼は正木に囁いた。
「さっきから、首藤巡査長は、島津七海のことについて敏感になられているようですが?」
萩原がまたしても鋭く突いてきた。
正木が大きく息を吐き出した。
「実は、島津七海は、首藤の婚約者です」
正木が口を曲げながら言った。
「婚約者?」
砂川が右眉を上げた。
「いえ、婚約者じゃねえで、単に付き合うちょんだけでして……」
涼が急いで弁明した。
しかし萩原は厳しい表情を浮かべた上で、
「それは、またまた……」
と呆れるように言って正木と涼の顔を見比べた。
「いや、この際、きちんと言っておきますが、こん首藤とて、公私はきちんと分けるだけの分別は持っています。ゆえに、ご懸念の余地はまったくねえです」
正木が語気強くそう言って続けた。
「よって、本題に戻りたい」
砂川と頷き合った萩原が口を開いた。
「では、さきほど首藤巡査長は、熊坂洋平に関心を抱いたまず1つ、についてご説明を頂きましたが、2つめの事柄について教えてください」
(続く)
★第47話を読む。
■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。
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