【大阪2児放置死】祖父は「10年前に戻りたい」
23歳のシングルマザー、下村早苗は2010年7月30日、大阪市内のワンルームマンションに長女の桜子(当時3)と長男の楓(当時1)を50日間にわたって放置し死亡させたとして、大阪府警に死体遺棄容疑で逮捕された(後に殺人罪で起訴)。早苗は近くの風俗店勤務で、部屋は店の寮だったが、本人は男性と外泊して帰宅していなかった。ネグレクト(育児放棄)された子ども2人は、水道がなく食料の尽きた6畳のリビングに閉じ込められ、6月下旬頃に餓死していた。/文・秋山千佳(ジャーナリスト)
ネグレクトされた子ども2人が餓死
逮捕当日に目の当たりにした、早苗の部屋の惨状が忘れられない。
隣に住んでいた会社員男性に許可を得てオートロックのエントランスをくぐると、エレベーターや内廊下にも酸っぱい臭いが流れていた。男性宅に入ると臭いは一旦感じられなくなったが、窓を開け、ベランダへ出た途端、嗅いだことのない強烈な腐臭が鼻腔をつき、まともに呼吸ができなくなった。
隣の早苗の部屋をのぞくと、ベランダまでパンやスナック菓子の袋、ジュースのパック、カップ麺のカップなどが積み上がり、床がまったく見えない状態だった。
隣人男性は現実を信じきれない様子でこう話した。
「最近は異臭が強くてゴキブリやハエが多かったので、窓をほとんど開けていませんでした。前は夜中に子どもの泣き声がよく聞こえたけど、1Kのこの間取りで子どもはいないだろうという先入観があって、向かいのファミリーマンションからだと思っていた。廊下でインターホン越しにうめき声が聞こえた時も、子どもではなく猫かなと思っていました」
窓を閉め切れば臭いもしない彼の部屋はこざっぱりとしていて、壁にはダーツが飾られていた。
その壁一枚を隔て、子どもたちが死んでいき、死後もこの前夜まで気づかれないまま腐敗していた。
ただ、誰からも見過ごされていたのは子どもたちだけではない。
事件時、早苗が子どもを顧みず複数の男性たちと遊び歩いていた派手な風俗嬢として、激しいバッシングが起こった。だが、三重県四日市市出身の早苗は前年に離婚し、社会経験がほとんどなく養育費もない状況で幼子を抱え、大阪の風俗店に流れ着いていた。それがどれだけ過酷なことか。自分が23歳だった頃を思えば、社会に出たばかりで、わが身一つの生活さえままならなかった。強烈な腐臭は、2つの小さな命の無念だけでなく、孤立した若い母親から奪われた気力の蓄積のようで、個人的に苦い記憶が残った。
なぜこんなことが起きたのか、10年たった今だからわかることがあるだろうか。
早苗の実父、克也(仮名)に電話すると、戸惑いながらも、父親としての悔悟を明かしてくれた。
「最近も早苗に会いに行くと、普通の子と感じると言ったら変ですが、何であんなことになったのかと、時がたてばたつほど考えます」
そして後日、対面取材に応じてくれることになった。
現場のマンション
「刑務所で頑張る」
「刑務所にはだいたい2か月に1回、面会に行くようにしています。ただ、早苗の妹たちは10年間1度も会いに行っていないし、手紙が来ても返事を書きません。妹たちも亡くなった桜子と楓をかわいがっていたし、許せない気持ちの方がまだ強いのでしょう。僕は父親として早苗を孤立させないようにしたいと思っています」
少し離れて向き合った克也は、スポーツマンらしくよく通る声で語りだした。高校ラグビー界では知られた存在で、1984年に新任教員として三重県立高校に着任すると、ラグビー部の顧問から監督となり、弱小校を「花園」こと全国高校ラグビー大会の常連校にまで押し上げた人だ。家庭では長くシングルファザーとして長女の早苗をはじめ3女を育てた。そして今は加害者家族であり、被害者遺族という複雑な立場でもある。
早苗は事件後しばらく自責の念ばかり口にしていたというが、最近はどうだろうか。
「最近の手紙には、僕が還暦を迎えて定年退職したことを『お疲れ様でした』『お父さんが一生懸命ラグビーなどを頑張ってきたのを間近で見てきたので、私も刑務所の中でできることを頑張っています』というように書いてきてくれていました」
普段の早苗はこうした気遣いのできる「普通の子」だという。ただ、と克也は続けた。
「常識的には、1か月以上子どもを放置していなくなるというのはどんな事情があっても考えられないですよね。でも今思えば、早苗は目に見えないスイッチがプツッと入ってしまうところがある。人格が解離するということが裁判でも争点になりましたが、そういえば確かにおかしかったと思うことは昔からあったんです」
早苗受刑者
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