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リニアはなぜ必要か? 総額10兆円! 国家的プロジェクトの内幕を当事者に聞く

葛西敬之(JR東海名誉会長)×森地茂(元国交省超電導磁気浮上式鉄道実用技術評価委員長)×松井孝典(南アルプスを未来につなぐ会理事)

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(左から)葛西氏、森地氏、松井氏

(1)「超電導リニア」を中国から守れ

——リニア中央新幹線は、東京(品川)─名古屋間の建設費用が7兆円を超え、大阪まで含めると10兆円規模、21世紀最大のインフラプロジェクトです。

本日は、JR東海のトップとして計画の立ち上げから関わってきた葛西さん、政府の超電導磁気浮上式鉄道実用技術評価委員会の委員長を務めた森地さん、千葉工業大学学長で静岡県の「南アルプスを未来につなぐ会」理事の松井さんにお集まりいただき、これまでの経緯を振り返りながらリニア中央新幹線が将来、日本にどのような未来をもたらすのかについて、技術的な観点や文明論的な視点、また自然環境への影響もふくめ話し合っていただきたいと思います。

まず、このプロジェクトを実現させた根幹のテクノロジーのお話から始めます。昨今は日本の技術競争力の低下が指摘されますが、「超電導リニア技術」は日本だけが持つ独自技術です。この技術の「卓越性」はどのような点にあるとお考えでしょうか。

葛西 リニア中央新幹線は全国新幹線鉄道整備法に基づく国交大臣からの指示を受け、当社が営業主体・建設主体として進める国家プロジェクトです。超電導とは、特定の金属などを一定温度以下の極低温にすると電気抵抗がゼロになる現象で、これにより軽量で強力な超電導磁石をつくることができます。これを車両に搭載して、地上側のコイルとの間に生じる引き合う力・反発する力を利用し、浮上走行する。これが超電導リニアという技術です。開発に着手したのは国鉄時代の1962年。開発を始めてから実に60年です。

森地 一般にはよく知られていないと思いますが、一口に60年と言っても、実に様々な苦労の歴史がありました。振り返ると超電導リニアの宮崎実験線ができ、浮上走行が初めて行われたのが1977年、今から45年も前のことです。それから20年後の1997年、山梨県に実験線が建設され実用車両のプロトタイプが時速550キロを記録。国鉄分割民営化後、JR東海が多くの労力と資金を投じて開発を加速させたことで実用化への道が開けました。

松井 先日、山梨の実験線で体験乗車をしましたが、正直言って驚きました。リニアは昔から夢の技術と言われるばかりで、実用化にはまだまだ程遠いというイメージがありました。ところが実際に乗ってみると、本当に明日にでも実用化できるレベルだということが分かった。19世紀が鉄道の時代であり、20世紀が航空機全盛の時代とするならば、21世紀はリニアによってさらなる人類の発展が期待でき、新しい時代に突入するのではないかという予感があります。

森地 文字通り「交通革命」が起きるかもしれません。

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山梨の実験線

葛西 この超電導リニアは日本だけが持つ技術です。日本が超電導リニアの開発に着手して間もない1970年頃、ドイツでは「常電導リニア」の開発が行われていましたが、これは「超電導リニア」とは全く別物です。超電導の開発は難しいと見て、常電導に取り組んでいたようです。超電導が強い磁力により車体を10センチほど浮上させて走行するのに対し、常電導は磁力が弱く、車体が1センチほどしか浮上しません。私はドイツに建設された常電導リニアの実験線を視察に行き、実物をこの目で確かめたことがありますが、やはり安定した状態での超高速走行ができない。これではダメだと思い、改めて超電導リニアしかないと確信しました。

森地 超電導リニアは強力な磁力の引き合う力や反発する力を利用して高速で浮上走行します。また、新幹線などとは違って車輪やレール、さらには走行に必要な電力は地上側に供給するため、架線やパンタグラフも必要ありません。架線が溶断したり摩擦によって騒音が生じる心配もない。一方で架線やパンタグラフがないのに、どうやって車内で必要な電力を供給しているのかと不思議に思うかもしれませんが、そこは誘導集電という電磁誘導の原理を応用した技術を使い、走行しながら車両内に電気を供給する仕組みになっているのです。

松井 まさに日本の技術の粋を結集してできあがったのがリニアなわけですね。しかし、こういった技術的な話はあまり知られていない印象です。もっと世間に向けてアピールする必要があると思いますが。

葛西 確かにそうです。超電導リニアの技術を含め、中央新幹線をより多くの方に知っていただくことはこれからも重要な課題です。

それから少し話は変わりますが、この超電導リニアという革新的な技術をいかに守っていくかも大きな課題です。最近になってようやく「経済安全保障」の議論が活発になってきましたが、万に一つでもこの技術を流出させるような事態が起これば、国益を大きく損ねることに繋がります。

松井 なるほど。日本の知的財産や産業技術が海外に流出することを防ぐために、岸田政権も「経済安全保障推進法案」を国会に提出すべく動いていますね。

葛西 これは私自身の体験に基づく危機感でもあるのですが、山梨に実験線ができた翌年の1998年、当時の中国の国家主席江沢民が来日する機会がありました。その際、驚いたことに江沢民は日本政府に対して「北京の郊外に日中共同で延長50キロの実験線を作ってリニアを開発しよう」と提案してきたのです。そしてそれだけではなく、「技術者50人とともに山梨の実験線に乗せてくれ」と。当時の野中広務官房長官には中国側の要求をどうにも断れないような雰囲気がありました。しかし、一度甘い対応をすると、その後なし崩し的に要求をエスカレートさせていくのが中国の常套手段です。

そこで「JR東海は上場会社で株主もいる。上場民間企業の企業秘密であって、そのような依頼には応じられない」とお断りしました。それ以降も、中国が関心を持ち続けていることは確かで、つい先日も長春に小規模(路線延長200メートル程度)な実験施設を作り、超電導リニアを研究していると中国国内で報じられています。

森地 2002年に中国は「上海リニア」という時速430キロで走行する鉄道を完成させ、現在も営業運転していますが、この建設より前、開発中に私がいた東京工業大学の研究室に何度かドイツの科学技術庁の人が訪ねて来たことがあります。その時に「日本はなぜ超電導リニアを開発しているのか。ドイツは交通省からも国鉄からも反対されているが、日本が開発しているからやめられないんだ」と嘆かれたことを覚えています。

結局、ドイツは国内での建設を諦め、上海の常電導リニアを建設したのですが、その後中国から技術開示を求められ撤退しました。それを考えると、もし江沢民の日本視察時に、日中友好という名目で、中国との共同開発の提案を受け入れていたら、超電導の技術を奪い取られていたかもしれません。

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上海リニア

(2)さまざまな困難を乗り越えて

——リニア中央新幹線の開発には、国家的なプロジェクトであるにも関わらず、民間企業であるJR東海が取り組んできました。民間企業が取り組んできた意義と、超電導リニア技術の開発の歴史についてお話しください。

森地 なぜ民間企業がという問いですが、では、果たして政府が主導してリニアを開発・建設できたのかというと甚だ疑問です。当時の大蔵省が総額9兆円もの巨額な投資を前提に開発を認めただろうか。仮に研究予算があって技術開発ができたとしても、整備新幹線の未開業区域、例えば北海道や長崎といった地域の新幹線が優先され、リニアの本格的な開発には着手すらできなかったでしょう。

葛西 政治は良くも悪くも平等主義。森地さんの意見には全く同感です。ここでJR東海がリニア中央新幹線に取り組むようになった経緯を少しお話しします。JR東海は営業収入の約90%を東海道新幹線の収入から得ている東海道新幹線会社とも言うべき会社で、人口の60%、GDPの60%を占める東京─大阪間における日本の大動脈輸送を使命としています。JR東海は1987年に国鉄の分割民営化により発足しましたが、当初、3つの課題を抱えていました。

1つ目は東海道新幹線の競争力強化、2つ目は国鉄から引き継いだ5兆円余りの膨大な債務の返済、3つ目は大動脈輸送の2重系化、つまり第二東海道新幹線としての中央新幹線の建設です。当初は最初の2つの課題に対処するので精一杯で、中央新幹線の建設までは視野に入っていませんでしたが、当時からその運営権だけは確保しておかなければならないという問題意識がありました。中央新幹線は東海道新幹線と競合する唯一の路線であり、大動脈輸送の安定と債務の返済財源の確保のためには東海道新幹線との一元経営が必須だったからです。

当時、運輸省やJR東日本、JR西日本はいずれ自らが中央新幹線の経営に関与したいと考えていたように思います。そのなかでJR東海が先行するための方策として、まず中央新幹線への適用が想定されていた超電導リニアの技術開発に着手することにしたのです。87年7月にリニア対策本部を立ち上げ、88年7月にはJR東海の資金で営業線の建設が予定されているルート上に20キロ程度の実用線を先行建設し、実験線として利用することを決めました。この実験線の建設が決定打となって、JR東海による中央新幹線の運営権の確保、すなわち中央新幹線と東海道新幹線の一元経営に繋がりました。

当初、我々はこの20キロ以外の部分は全国新幹線鉄道整備法に基づき国が建設することを想定していましたが、その後、状況が大きく変わります。東海道新幹線の時速270キロ化、品川駅建設などを通じて東海道新幹線の競争力・収益力が飛躍的に高まったことに加え、タイミングよく低金利時代が到来したことで、債務の繰上返済が一気に進むことになります。ピーク時に比べ債務は3分の1、支払利息は6分の1になり、自由に使えるキャッシュフローが大幅に増加しました。一方で日本経済は停滞し、国の財政は悪化の一途。国の資金に頼っていてはリニア中央新幹線の建設は見通せなくなったため、ここでJR東海が自己負担での建設を決断したんです。これで一気にプロジェクトが進みました。

国鉄の分割民営化で政治に翻弄されず自由な意思決定ができるようになったこと、そのうえで東海道新幹線を磨き上げ競争力を強化し、低金利時代の到来という天祐にも恵まれたことで、リニア中央新幹線建設への道が開けたのです。

森地 1990年代からイギリスは「PFI」(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)という行政改革を始めて、刑務所や一般道などの社会資本を政府ではなく民間が運営する方向にシフトしたことで、ある時期までは成功を収めていました。それ以来、民間主導が世界的な潮流になりました。政府側の決定の背景にはそうした流れもあったのでしょう。

現在までのリニア開発の経緯 
1962年   国鉄で超電導リニアの研究開発開始
1977年   宮崎実験線で走行試験開始
1987年 4月 国鉄分割民営化
1987年 7月 JR東海がリニア対策本部設置
1988年 7月 JR東海が実験線(20キロ)の建設を提起
1990年 6月 JR東海が東海道新幹線・中央新幹線の一元経営を運輸省と公文書確認
1997年 7月 山梨リニア実験線で走行試験開始
2005年 3月 国交省実用技術評価委員会が「実用化の技術基盤が確立」と評価
2007年 12月 JR東海がリニア中央新幹線(東京-名古屋間)の自己負担決定
2009年 7月 国交省実用技術評価委員会で営業線に必要となる技術整備を確認
2010年 4月 JR東海がリニア中央新幹線(東京-大阪間)の自己負担決定
2011年 5月 国交大臣がJR東海を建設・営業主体に指名。整備計画決定、建設指示
2014年 10月 国交大臣が東京-名古屋間の工事実施計画認可。12月より着工
2015年 4月 有人走行で鉄道の世界最高速度となる時速603キロを記録
2017年 2月 国交省実用技術評価委員会で営業線に必要な技術開発の完了を確認

実用化に向けてのブレークスルー

松井 しかし、一つ不思議に思うのは、平成の初め頃には話を聞くたびに、「リニアは非常に難しい技術だな」と思っていたのですが、ある時から急に実現できる雰囲気になったことですね。1997年に18.4キロの山梨リニア実験線ができて、試験走行が行われるようになった頃からでしょうか。何が実用化に向けて技術的なブレークスルーとなったのか、その辺りの事情がよく分からないのですが。

葛西 一番大きなブレークスルーは、やはり山梨リニア実験線の建設だったと思います。国鉄時代にも宮崎県に建設した7キロの実験線がありましたが、ここで行われていたのはあくまでも基礎的な研究です。一方、山梨リニア実験線は中央新幹線のルート上に営業線でも使う実用線仕様の実験線として建設されました。これにより全てが実用を前提としたリアルなものに一気にステージアップしましたから、この山梨リニア実験線建設の決断は間違いなく大きなターニングポイントでした。

森地 少し技術的な話になりますが、国鉄時代には、「クエンチ現象」という車体の揺れによる摩擦熱で超電導磁石が温まってしまい超電導状態が失われてしまう現象がありました。当然、この問題は既に完全に克服されているのですが、それに留まらず、万が一の備えも万全になっています。何かトラブルがあってもタイヤで安全に着地するようになっていますし、飛行機の着陸時にタイヤがバーストして燃えてしまうことがありますが、そういった事態が起きないように何重にも安全設計を施してあります。こうしたことも山梨リニア実験線ができたことによって、営業線を想定し、専門家が何手も先を読んでチェックするところまで開発が進みました。

葛西 技術者は本当によくやってくれました。特に私が感心したのは実験線の仕様決定の場面です。実験線の建設に当たっては、空気抵抗を減らすためにトンネルの大きさや車体の幅はどうすればよいか、車体の振動防止のためにはコイルの間隔や個数はどうすればよいのか、技術者が様々な検討を行い、そのスペックを決めました。スペックの決定は一度決めたら、その枠の中で試験や開発を進めていくことになるためとても重要です。

またリニアシステムを考える上で不可欠だったのが東海道新幹線の運営経験です。これがあったからこそ、「実用システムに絶対に必要な条件は何か」が分かっていた。つまり実験線建設という経営的な決断に加え、技術陣の経験に裏打ちされた確かな判断があって、ブレークスルーの舞台となる山梨リニア実験線ができたのです。

松井 リニアは何から何まで新しい。どうなるか未知の部分がありながらも、技術者や専門家は、最後は「このスペックでいく」と決断したわけですね。

森地 私は、運輸省(当時)に「超電導磁気浮上式鉄道検討委員会」が立ち上がった時(1989年)からのメンバーで、実用化に向けた技術開発の最終段階の頃(国交省の実用技術評価委員会)は委員長を務めていました。その関係で長年にわたり地道な検証と試行錯誤を見てきましたが、そうした技術者たちの努力の蓄積が結果としてブレークスルーを完成させたと考えています。

委員会では、磁石や車両、トンネル、メンテナンスなど各分野の一流の専門家を集め、客観的な視点から懸念材料を洗い出してもらいました。各委員に私がお願いしたのは、「『これが心配だ』という不安要素は残らず徹底的に集めてほしい」ということでした。そして集まってきたのが「時速500キロの走行で周辺に影響が出ないか」「火災が起きたらどうするのか」「列車が止まったときにどうするのか」「ペースメーカーを着けた人は磁気の影響を受けないのか」など数多くの問題点でした。私は「一つでも答えが出なければ、サインをしない」と宣言し、技術者たちは一つ一つに徹底的に対策を講じて解決していきました。その経過は報告書にも記載しています。

葛西 そういった開発現場の努力は残念ながらあまり知られていません。会社は必要な経営判断をし、技術者は運行経験に基づいて見事にそれに応えてくれました。

森地 検証実験は、実に手間暇がかかっていて、例えば、時速500キロで列車がトンネルに入ると出口のところでボーンと大きな音がします。これはリニアのトンネル突入によって内部の空気が急激に圧縮され、出口で一気に解放されるために起こる爆発音です。これを解消するためトンネルを抜けた先にも、天井にいくつもの穴の開いた人工のトンネルを付け足し、爆発音が起きないように工夫しています。

トンネルの技術改良はこれだけではありません。トンネル内には人が通ったり、機器類を置いたりするスペースが作られていますね。そういった場所の空気も、リニア通過の際には激しく乱れるため低周波の音が発生し、これが2キロも離れた家の襖を揺らすこともわかりました。そこでトンネル内に空気の溜まりができないように、できるだけ凹凸のない滑らかな構造にしています。

松井 たしかに時速500キロもの超高速輸送機関は、地上にはかつてなかったから、我々の想像を超えるような事態が起きかねません。それに備えないといけないわけですね。

森地 そうなんです。「こだま」の停車駅のホームで待っていると、通過する新幹線の風圧に吹き飛ばされそうになることがありますよね。新幹線は時速300キロ程度ですが、リニアは時速500キロ。ましてや2つの車両がすれ違うときは500キロと500キロなので、すれ違い相対速度が1000キロを超えるわけです。

東海道新幹線が開業して58年、今まで一度も脱線や正面衝突の事故は起きていないので、おそらく大丈夫だろうという感覚はありました。ただ、それでも実験線で本当に少しずつスピードを上げて、何度も何度もすれ違いの実験を行い、安全性の確認ができました。本当に涙ぐましい努力を積み重ねた結果、実用化にたどりついたのです。

時速550キロで走るリニア

時速500キロで走るリニア

(3)自然環境への影響は大丈夫か

——一方で、現在進められている工事に関しては、様々な問題が指摘されているのも事実です。静岡県が反対するトンネル工事における大井川の水資源問題については昨年末、政府の有識者会議が中間報告をまとめ、トンネル工事で湧き出る水の全量を戻せば環境への影響は抑えられるとの見解を示しました。しかし、静岡県は県の専門部会に持ち帰り検討すると言っており、工事開始の目途が立っていません。他にも、生態系への影響や残土処理の問題なども指摘されており、今後の工事への影響が懸念されています。

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