恵み深く高潔であれ|松尾貴史
著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、松尾貴史(タレント・コラムニスト)です。
幼稚園の頃、神戸のフラワーロードから三宮センター街、元町の南京町をくねくねと通園していた。帰りは百貨店やら本屋、玩具屋などに寄り道をするので、行きの3倍の時間がかかっていた。しかし土曜日だけはどこにもよらず、一目散にトアロードと商店街のぶつかる角にある「ドンク」というパン屋の2階の喫茶店で、母と待ち合わせてカツサンドとクリームソーダのマリアージュを楽しむ習わしがあった。
母は英語が達者で読書家ですこぶるおしゃれではあったけれど、老婆心の強い人だった。私が幼い頃から、あらゆることで常に気を揉んでいた。一人っ子の上に共働きで、私はひとりでいることに慣れ、しかし母は自分が多くの時を一緒に過ごしてやれなかったという思いがあったのか、心配することで時を取り戻そうとしているのかとすら思えるほど、私が何かをしようという時には、しつこく口煩く「危ないでえ、怖いでえ、気いつけやあ、心配やわあ」と言い続けた。
私が大学に入って運転免許を取った頃からはそれが倍増した。母を後部座席に乗せようとしても頑なに助手席に陣取り、「赤になるよ」「ウインカー出してから動くのが早すぎる」「左の車出てくるで」「ブレーキブレーキ」と、まことにかまびすしい。私もいらいらが募り余計に運転が荒くなるという悪循環で、一緒に出かけるのを極力避けるようになった時期もある。
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