小説「観月 KANGETSU」#67 麻生幾
第67話
被疑者死亡(4)
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「複雑な気分です」
涼がボソッと言った。
「せっかくん大捕物がのうて拍子抜け、ちゅうわけか?」
正木が苦笑した。
「ええ、まあ……」
涼が正直に認めた。
「逆やろ。お前さんの彼女の危険が去った、それを喜べ」
正木が諭した。
「はあ」
涼が首を竦めた。
「早う、言うちゃれ」
正木がそう言って廊下に向かって顎をしゃくった。
「えっ?」
涼が驚いた表情で正木を振り返った。
「お前さんの、かわいいあの子に決まっちょんのやねえか」
「しかし、報告書が──」
涼が言い淀んだ。
「もちろんお前さんが書くんや。だが、そげなん、大した時間もかからんやろう。やけん、犯人が捕まった、安心しろと早う電話ぅかけちやれ」
「あっ、ありがとうございます」
深々と一礼してから涼は捜査本部を飛び出した。
警察署庁舎の外階段の踊り場に出た涼は急いで携帯電話を取り出し、七海を呼び出した。
携帯電話へ番号を打ち込んだ涼がふと首を回すと、辺りはすっかり闇に包まれて、幾筋か立ち上る灰色の湯煙が月明かりに浮かんでいるのが見えた。
だが呼び出し音ばかりで応答がない。
涼は上着の袖を捲って腕時計を見つめた。
──まだ眠る時間やねえよな……。
溜息をついた涼が携帯電話を上着の胸ポケットに入れた、そのつもりだったが誤って地面に落下させた。
しまった!
慌てて拾い上げると、心配したディスプレイにはヒビはなかった。だが角の部分が少し削られている──。
──中の部品は壊れちょらんやろうな……そうなったら、せっかく撮影した七海ん写真も消えちしまうしな……。
その時、ある光景が突然、涼の頭の中に蘇った。
それは、自分が、車内で田辺智之を発見した時、傍らに転がっていた携帯電話のことだ。
ハンカチでくるんで携帯電話を持ち上げると、ディスプレイをはじめ、至る所が壊れているのが見えた。
いや、壊れていた、という程度じゃない。例えアスファルトの上に落したとしてもあんな酷い状態にはならないはずだ。
あれはまさしく、ハンマーのようなもので激しく叩きつけたような……。
──なぜ携帯電話にあんな真似を?
手にしたままの携帯電話が振動した。
「もしもし──」
応答ボタンを押すと声が聞こえた。
「あっ、オレや」
涼が慌てて応答した。
「しょわねえ?(大丈夫?) 何かあった? どないなったん?」
七海が矢継ぎ早に質問してきた。
「結果的ちゅうことなんやけんど、七海、もう危険はねえさ」
涼がまずそれだけを答えた。
「結果的に危険はねえ?」
七海が訝った。
「田辺智之は死んだ」
涼が静かに告げた。
「えっ! 死んだ?」
七海が声をあげた。
「自殺したんや」
「自殺……」
七海の声が掠れた。
「そうじゃ。数時間前、車の中で発見した」
「した、って、涼、あんたが?」
「ああ……」
「もしかしち、田辺さんは薬でも飲んで?」
七海が訊いた。
「いや……まあ……」
涼が言い淀んだ。
「私は何を聞かされても、しょわねえけん(大丈夫だから)──」
涼は一度大きく息を吐き出してから言った。
「ヤツは刃物で自分の腹を刺した──」
(続く)
★第68話を読む。
■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。
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