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小説「観月 KANGETSU」#64 麻生幾

第64話
被疑者死亡(1)

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※本連載は第64話です。最初から読む方はこちら。

 陰りつつある陽の光に照らされながら縁側で足を投げ出して座る七海は、庭に伸びる長くなった母の影を漠然と見つめていた。

 洗濯物干(ものほし)台から取り込んだ乾いた洗濯物を両手に抱える母が振り向きざまに言った。

「気持ちいい夕方やけん、久しぶりに、お抹茶(まっちゃ)をたてようかねえ」

 ちょうどその時、七海の頬を緩やかな風が撫でていった。

 朝は少し寒さを感じたが、午後になると過ごしやすい陽気となった。

「それ、しんけん(すごく)いいわ」

 七海は屈託ない笑顔を作った

 リビングの奥に消えた母がしばらくして戻って来た時、その手には、茶碗、抹茶の入った缶や茶筅(ちゃせん)などの道具が載せられたお盆があった。

「七海は足もソレだし、ここでいいわよね」

 七海の隣に正座した母が言った。

「もちろん」

 七海が微笑みながら応えた。

 一服分の抹茶を茶こしに入れてお茶碗の中に篩(ふるい)落とした母は、計量カップに用意してきたお湯をそっと注いだ。

 茶筅でお茶碗の底にある抹茶を分散させるようにゆっくりと混ぜ、さらに細かい動作を繰り返してから茶碗を七海の前に静かに置いた。

 七海が目配せすると、母は笑みを浮かべながら頷いた。

 丁寧な扱いでお茶碗を右手で手に取って左手にのせ、さらにそこに右手を添えた七海は一礼をした。そして、時計回りに二回、お茶碗を回してから口を付けた。

 時間をかけて飲み干した七海は、飲み口を右手の指で軽く拭ってから、今度は反時計回りに二回回して縁側の板の間の上に置いた。

「結構なお点前(おてまえ)でございました」  

 そう口にした七海は母に向かって頭を垂れた。

「あんたん柄(がら)にもねえわ」

 母が苦笑した。

「これでも、大学ん頃はまじめに茶道やったんやけん──」

 七海は首を竦めた。

「お母さんのお茶は?」

 七海が訊いた。

「こき(ここ)座ってたら、なんか気持ちようなっちしもうて……」

「そうやなあ」

 七海は穏やかな表情の母を見つめた。

 母はしばらくそのままにして、植木鉢が並ぶ庭をじっと見つめた。

「観月祭が終わったら、すぐにお父さんの命日ね」

 七海がぼそっと言った。

 七海は葬儀や納骨のことをよく憶えていなかったが、父が亡くなったのが、11月4日であったことは今でもしっかりと記憶にあった。

 七海の言葉に、母は目を閉じて小さく頷いた。

「もう24年か……。おおかた四半世紀ちゅうわけよね……」

 独り言のように七海が言った。

 ふと気配がして七海は母を振り向いた。

 項垂れた母は、額を押さえて顔を歪めている。

「痛えん?」

 七海が心配そうに訊いた。

「ちいと軽い頭痛ちゃ」

 そう言っては明るい表情で顔を上げた。

 そうしてまた二人にまったりとした沈黙がしばらく続いてからのことだった。

「お母さん、お父さんとの結婚を決めた時、何かキッカケとなったもんがあったん?」

 七海は、オレンジ色に染まりつつある空を見上げながら訊いた。

「最近、変なことんじょー(ばっかり)聞くわね。なんなんいったい……」

 母は七海を振り返らずに言った。

「憶えちょんやろ?」

 七海は母の顔を覗き込んだ。

「だあれんと(誰もと)同じことっちゃ」

 母はぶっきらぼうに言った。

「今更、照れる歳でもないでしょう?」

 七海が口を尖らせた。

(続く)
★第65話を読む。

■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。

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