ただいま苦しみ中
noteの連続更新が100日を超えました。その前に300日近く連続更新していたのに、たった一日、下書き状態のまま公開せずに次の日を迎えてしまっていて、実際にはすでに400日近く毎日毎日noteを書いていたことになります。
ちなみにはてなブログに書いている住職日記も、noteの連続更新と同時期から必ずその日のうちに日記を投稿するようにしていて、つまりは400日の間、二つのブログ的なものを更新し続けてきたことになります。
住職日記はあくまで日記なので、毎日それなりに書くことはあるのですが、たまに丸々一日プライベートなことばかりで公にできることが何一つないということがあって苦労しますが、たまになのでなんとかしてます。
問題はこのnote。はっきりと謳ってはいませんが、ITとお寺と学校というぐらいのくくりで書いてますので、書くことがない日は本当に何も無い。探せばあるはずなのですが、どうしても見つからないことがあります。
そんな日に限って、見つけた話題が文章長めにならざるを得ず、23時半を回ってようやく公開に漕ぎつけるなんてこともありました。書きかけでも一旦公開して、連続更新だけは守ろうかと考えることもありました。
そんな場面を必死で乗り越えて、今日も元気に駄文を書き殴っているわけですが。こんな駄文でも書き始めるまで2時間ぐらいかかっているのです。
どうもここ数日、すらすらと文章が書けません。苦手分野を書いている感じがします。苦手というか、文章にまとめるのが難しい分野というか。表現力も語彙力も、何もかもが不足していることは知っているのですが、それでも文章書くのが好きだから書き続けていて、でもそれが最近とても苦しくてですね。
この二つの更新をやめてしまえば、毎日平穏に暮らせるんじゃ、なんてことも考えます。
長いときには6時間もかかりっきりになっていますからね。収入を生むわけでもないし。せめて読んだ人になんらかの良い影響を及ぼせられたら良いですけれど、今日のこの駄文なんか、読むだけ無駄ですよ。
最後まで無駄なままでもいけないので、昨日の話題の続きで、ふと思いついたことを書いておきます。
1990年代半ばにインターネット時代の幕開けがありました。そのころ10代の若者だった私は、これで国境がなくなるかもしれないとワクワクしていたものです。
しかし現実には、ネットの世界にも厳然たる国境があり、LINE騒動のようなことがあるとそれが意識できるようになります。が、ネットの世界をもってしても国境を無くせなかったことは、今初めてわかったことでは無いのです。
それなのに日本の指導者層は、あたかもあの10代だった頃の私のように、ワクワクキラキラした気持ちで何も疑うことなくネットを使っていたんじゃ無いかという危惧が出てきてしまいました。ネットの世界は紛れもなくリアルな世界なのに。
私も以前は、パソコンやスマホが使えないぐらいでその人の能力を下げてはいけないと考えていました。議員になる人や、大企業の経営者クラスであれば、周りに補佐してくれる人がいるのですからそれで十分だと思っていたのです。
でもそれは間違いだったようです。生活インフラと呼べるほどに浸透した技術についてなんの理解もなく、使いこなせもしないのであれば、それはもうその人の限界であろう、と。
私の尊敬する人たちは、何歳になっても学びをやめません。そういうことなのですよね。
もちろんこれは仏教界にも言えることです。一般社会から離れた場所にいることが望ましいとはいえ、一般社会のことも知らなければ、人を導くことなどできません。自分だけが救われれば良いのであれば、どこかに引っ込んでいれば良いのですけれど、日本に伝わってきた大乗仏教と括られるそれは、自分よりも先に他人を導くことに主眼を置いています。
私も人のことは言えません。たまたまパソコンが好きだったから。インターネットの普及によって社会インフラになったから。たまたま身につけた知識が今こうして役立っているだけで、これから先登場するものについて学びを続けていけるという保証はありません。
今までの自分の価値観で物事の要不要を決めつけるのではなく、何事にもまずは足を突っ込んでみる気持ちを、大切に持ち続けていたいと思います。全部をカバーすることはできませんが、少しでも多くのことに足を突っ込んでいきましょう。
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基本的に毎日noteを書いてます。
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Bloggerでブログ「もばいる坊主」も書いてます。趣味的な内容ですが、一度覗いてみてください。
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