仕事スペースが寺務所に集約されていく
寺務所で仕事をする。当たり前の姿です。僧侶という生き方とは別に、お寺の経営者としての役割も果たさなくてはならない現代の住職にとって、寺務所は経営に関する一切の仕事を行う、とても大切な場所です。
その一方で、寺務所だけで仕事が完結するわけでもありません。特に子育て中は、せっかく父親がいつも居住スペースにいるのですから、それなりの役割を果たさなくてはなりません。子どもを見ながら仕事をする。今で言う在宅ワークのような状況も、ずっと以前からありました。
そんな在宅ワークのためのスペースが、徐々に失われていっています。以前は子どもたちの勉強部屋に私のデスクがありました。これは子どもたちが幼い頃に設けたかなり本格的に仕事を行えるスペースで、筆を使う用事以外は全てここで済ますことができました。
勉強机が増えるとともにそのスペースは小さくなり、ついにデスク自体がなくなったのですが、私の仕事に使う道具はそのままでしたので、勉強机が使われていない間はそこを使ったりもできました。
先月、長男の宿題が遅々として進まないのに業を煮やし、隣で仕事をしながら勉強を見るという名目で、新たにスチールラックを使ったデスクを作り、なかなか便利に使っていました。勉強部屋への滞在時間が増えて、一番変化があったのは長女との会話が増えたことでした。意外。
そんな変遷を辿ってきた私の仕事スペースですが、その勉強部屋を、寝るときぐらいは長女の一人部屋にしようということになり、ベッドと小さなタンスを入れる都合で、またしても私のデスクは無くなってしまいました。
さらに、今までそれとなく存在していた充電ステーションや、帽子かけなど、仕事部屋として使っていた名残で残っていたものたちも、退去を迫られることになりました。現在、次の設置場所がまだ決まっていないものも多数あります。カバンが一番嵩張るけれど、頑張って買ったものもあってぞんざいな扱いはできず、かといって収納場所もなく、困っています。
肝心の寺務所が、師匠と共用という都合を除いても広さが足りない。他所のお寺へ行って寺務所の拝見すると、倍ぐらいの広さがあったりして、うっとり眺めてしまいます。贅沢言ってもキリがないので、限られたスペースを有効に使うべく頑張っています。師匠の書類まで勝手に電子化してしまえば机上ラックにスペースができるので、あそこに色々乗るんだけどなぁと眺めていますが、さすがに勝手にやるわけにもいかないですね。
師匠にもiPadを使ってもらっていますが、師匠の年代の人が書類を見るにはまだサイズがちょっと小さいんですよね。そこに手を伸ばせばある、というのは一番使い勝手がいいですし。しっかり書類整理をする方なので、iPadを出して検索して表示させる、という手順を踏んでいたらまどろっこしいことでしょう。
さあ、どうしよう。私の身の回りの書類はほぼ全て電子化済みなので、その方法での圧縮はできないものばかりで部屋の外が溢れています。なるべく早くなんとかしないと、片付けの出来ない父親像が出来上がってしまいます。急がねば。
最終的にはなんとかして寺務所に集約するしかありません。仕事に使うものですから、寺務所にまとめる。理にかなっています。コピー機の上の空間が使われていないから、あそこにもスチールラックを入れようか。でも、あの大きなものを下に入れられるスチールラックは、サイズがあるのだろうか。紙が不要になれば、コピーのあるスペースそのものが使えるようになるのに!
——————————
基本的に毎日noteを書いてます。
何か共感できる内容がありましたら、ぜひSNSでシェアしてください。喜びます。
はてなブログで毎日「書き続ける!住職の平常心日記」を書いてます。
Bloggerでブログ「もばいる坊主」も書いてます。趣味的な内容ですが、一度覗いてみてください。