今日考えさせられたこと


知り合いのお婆さんがなくなったそう。
102歳だったとのことだった
その歳になると、もう兄弟はいないし、友達もいないし(生きていても病気などもあるし)、寂しそうだった と聞いた


なんだか人生について考えてしまった
もし長生きした場合、親も兄弟も友達も、今当たり前にいる人たちがみんないないんだなって
それに子どもがいなければ自分より下のひとで、自分に会いにきてくれる人なんてもっと少なくなるだろう、と考えさせられた 一般市民であれば。
子どもがいること、のメリット?にはなるだろうなぁと思った、そんなことを思うものではないのだけれど。子どもがいればイコール寂しくない、というものでもないけれど(当たり前のように)、でも自分の下に誰もいない、という状況が、人生の最後には如実に感じられるのかなと思った
(追記部分)最近はこんな世の中で子どもを持つなんて、みたいな反出生主義等あるけれど、数世代前なんかはそんなことを皆んなが考えてたわけじゃないだろうと思う。個人的にはそのニヒリズム的なものがあまり好きじゃない。不幸になる人を増やしたくない、という欲ってすごくエゴに感じるし。理由とかじゃなく、直感的にというか、動物的にというか、そんな風であれたらいいな、と、思っている(直感的に子どもを持ちたい、とかではないが。)

もし子どもがいても、仲がいいとは限らないし、子どもにも子どもの人生があって、孫がいたら孫には孫の人生があって。。
ただでさえ、今まで親交のあった人たちがいなくなっていくような状況であれば、きっと子どもも孫も貴重な存在だよなぁと思うと、、。
自分は子どもの頃に比べてだいぶ祖父母から遠のいてしまったと、
自分の人生や気持ちばかり考えて、相手目線で考えられていなかったなぁと、反省と、悔やむ?ような気持ちと、、、。

でも貴重な身内だからと言って、会うのが嬉しいっていうわけでもないのかな。なんかそんな気もするし、どんな気持ちなんだろうなぁ。
本当に嬉しかったらもっと表現してくれるのかなとも思うけど、みえるものが全てではないし。。

(と書きながら涙出てきた。語りすぎ)




正直子どもの頃の自分とは変わってしまって(成長したから当たり前なのだけど)、どこかぎこちなくなってしまって(わたしのコミュニケーション能力の問題か)、
しばらく会っていない期間があるとなにを話せばいいのかわからなかったり、相手が老いたなぁ、弱ったなぁと感じることがちょっとこわくて。こわいというか、その現実に向き合うのが、、嫌で。
そして鏡をみるかのように、自分も大人になってしまった、ということをすごく感じてしまうから、
いろんな現実に向き合っていなかったなあと。


本当はもっと、自分を通じて?自分に関連して?
喜ばせてあげたかったなぁとか
自分も↑こんなこと思わないくらいな、そんな人生だったらなぁとか 思っちゃう
(思考によって自分を苦しめているだけだ、みたいな内容の本を最近読んで、思考を手放すべき、というのはわかっているんだけど、やっぱりモヤモヤするものは言語化して、そこから手放したい。手放せる問題でもないのだけど。笑)

不甲斐ない孫で申し訳ないな、と思う
わからない、考えすぎなのかな?
でもきっとそうなのだろうと、会った時思っちゃう。まああってめちゃ喜んでもらえるような歳でもないんだけど、自分が。


でもこんなこと考えちゃうくらい、
大事には思っているのだと思う
親孝行も、おじいちゃんおばあちゃん孝行も、できるうちに素直にたくさんしなきゃって、思えたいちにち。

(考えてかなしくなるのアホらしいけど、何にも思考しないでいてそれを後悔するのも嫌なので。)




いいなと思ったら応援しよう!