「回顧録(『最悪の別れ方』)」


「人と最後に会うのがいつになるかは誰にも分からん。その覚悟が、お前にはあったか?」
これを、ずっと、頭の片隅に入れてある。


令和4年4月8日。母方の祖父母に会ってきた。道中、寄り道をして、亡祖母の末の妹にも会ってきた。
この日は、私の末の妹が帰省するのに合わせ、方々へ挨拶回りをしたのである。

令和4年1月には、亡祖母のいとこ(父の母の母の兄の孫)にも会ってきた。
祖母のいとことなると、遠縁のように感じるかもしれないが、はとこと同じく6親等であり、民法上も、まさしく親族なのである。

(※令和4年になってから会ってきたこの4人は、祖母を除く3人が90歳以上の長老である。)






最悪の別れ方とは、死別や。
直接面識のある血縁者では、祖父母。そして母方の曾祖母、それから祖母の姉妹筋程度だが、地縁的なものを含めると、身近では20人弱の死者を認知している。

(※父方で本家の家督を継いだ、父のいとこが令和3年に亡くなっているが、1周忌もまだなこともあり記憶から薄れていた。葬儀に参列できておらず、その実感が湧いていなかったものと思われる……。)


訃報が飛んでくる度に、心が痛む。

今日も、どこかで。
今日も、どこかで人が生まれ人が亡くなり、関係性が新たに生まれたかと思えば関係性が解消され。

そうして社会が回っている。


私の身の回りは平和そのものではあるが、厄介者が少なくとも2人いて、彼らの始末に追われている。

平和ではあるが……、平穏ではない。
片方は電話帳データごと抹消しているし着信拒否もしている。

もう片方は、関係性を一度は修復したが、その後ほどなくして、終電で帰った日、駅前で待ち伏せされた。それ以来、この、もう片方からの音沙汰は今のところないので、放置しているわけだが。
妹曰く「そこが兄貴の甘さや。」とのことで、彼女から、そんな指摘を受けつつも、今の今まで無視に放置や。

でも、大丈夫や。
やっと、決心ついた。
その男も始末する。

始末するとは言っても、命を奪うような物騒な真似は絶対しないが。


ただし、それが本当に自分の意思なのか?と問われると、返答に困る。

「おう、そらもちろんわがで決めたことやさかいな。」
と、
「あー……、確かに、妹から言われてその通りにしただけとも言える……。」
との間で揺れ動いているためだ。



人を切るというのは、切られる覚悟があって初めてできる行為であると考えている。
そして、互いに無傷ではおれん。無傷でおれんのは、本気でぶつかるからや。
しかしな、しかもな。切られた側の心の痛みなんぞ、切った側に比べると軽いもんや。

それは、そっくりそのまま自分にも当てはまる。そこまで至れて初めて、その人の心情を理解できた。誤解している可能性もあるが、十中八九、間違いなかろう。

「人と人とのご縁を大切にする」というのは、「最悪の別れ方」あっての話や。
そして、その前兆は元々ある。
危険性を事前に把握、もしくは対処できるかが肝なだけや。

「おはようさん。いってらっしゃい。いってきます。いただきます。ごちそうさま。おつかれさま。ごくろうさま。ただいま。ありがとう。どういたしまして。また。さようなら。こんにちは。こんばんは。おやすみなさい。」
それと……。
「『よろしく。』『別にいいよ。』」
「『ごめんなさい。』『別にいいよ。』」

……そんな風にして、挨拶を交わせるのは。
それは、とても幸せなことや。

私には、人を見る目があると思っている。
しかし、それでも。
まだまだ未熟者ではあるから、もっと見る目を鍛える算段でいる。


私自身、いつまで生きておるかは分からん。
その覚悟は、すでにある。
不慮の、事件や事故に巻き込まれる可能性もあるためだ。
過去のトラウマは、消えない。
その記憶は、消せない。

私は、その場ではあまり泣かず、1人になって、あとから泣くことが多い。
祖父や祖母が亡くなったときも、そやった。
おそらく、肉親が亡くなるときでさえ、そうなるだろう。

もう、疲れた。
早く私を解放してくれ。
呪縛を解けるのは、その人だけや。
金輪際会えないその人は、絶対に捨てられない写真の内側で笑っている。

今頃気づいても、もう遅いのかもしれない。
それでも、私は、明鏡止水の境地で生きていく所存である。

ゴッドガンダムってんのが、どうやらおんなじことを言ってたらしい……。“明鏡止水”……実に、いい響きや。

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