#お金について考えていること
「お金とは、――である。」
今の私なら(今日の私が答えるとすれば)、「いつ無価値になるか分からないもの」と答える。
そう考える理由を載せていく。
お金とは
日本国内においては、日本銀行が発行する紙幣と、日本政府が発行する硬貨とに分かれる。これらは日本国外では、単なる紙切れあるいはメダルに成り下がる。
だが、たとえば食料品ならばどうだろうか。どの国でも呼び名に差異があろうとピーマンはピーマンで、玉ねぎは玉ねぎである。
お金の性質
お金は、絶対性に加えて相対性をも併せ持つのである。だからこそ、お金自体は単なる手段であるとし、貨幣に価値を見出だすのではなく、商品に価値を見出だすのである。
お金の入れもの
大多数の人間が真っ先に想像するのは財布だろう。
だが、少し考えてみてほしい。財布と同じ本質を持つものは世間に溢れている。
財布
個々人の貨幣をしまう器が、財布である。
それは、家族全員が必ずひとつ持っている。
各家庭には、貯金箱もあるかもしれない。
市井の貨幣をしまう器が、募金箱である。
賽銭箱も、一種の募金箱であると言える。
貯金箱という大きな分類の中に募金箱があり、神社仏閣においてはこれを賽銭箱と呼ぶのである。
1円と万券
1円であってもお金はお金であり、「金銭管理がずさんな人間は、だらしない」とされる。その理由らしきものは多数考えられるが、どれもいまいち本質を突かない。
“それ自体”が理由であるためだろう。
「お金の管理ができないのなら、身の回りのもの(※万物)に対する心構えも推して知るべし」
まさに、“足元を見られる”といったところだろうか。
貨幣の価値
お金の価値は必ずしも絶対性を持たない。ある日突然、無価値な紙切れ一枚あるいはメダル一枚になりうる。そう考えている。
貨幣に絶対的価値がありつづけるのであれば、日本銀行や日本政府が際限なく通貨を発行することで資産が倍増しつづける。
現実はそうではない。そんなことをすれば経済活動に影響が出る。
お金に重きを置くことにはさほど執着していない。
自分が今持っている一万円が、ある日突然「あー、これは今の価値だと1円にもならないね」という時代が到来する可能性もゼロではないのだから。
お金の話を、そこまで単純化することはできない。
#お金について考えていること
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?