セクシャルのグラデーションの話
(前回投稿時の続きて書いております)
さて、最近(といっても半月くらい前)に興味深いツイートを見つけたので内容だけご紹介します。(元ツイは探してみてください)
①ビアンだって異性に恋していいよ
②MtFだって男らしい服を着たくなくていいよ
③アセクシュアルだって誰かを好きになっていいよ
④ストレートの男性だって男性に恋していいよ
このツイートを見つけたとき、①は矛盾していない?③は理解不足じゃない??と思ったので問題提起がてら考えてみようと思います。
(因みにツイート主さんはMtFの方でした……)
1.そもそもグラデーションとスペクトルとは?
これまでさんざん色んなところでグラデーションだの言われていますし、私のこれまでの記事でスペクトルという言葉も使ってきました。
グラデーションはともかくとしてスペクトルまでいくと、理系の皆様以外はお馴染みではないと思います。
そこでまず、この二つの言葉について簡単な説明。
グラデーション:図画の中で、位置に対し色が連続的に変化することである。
スペクトル:放射や光の波長、周波数ごとの強度の分布のこと。
引用;ケイエルブイ株式会社HP
この図で言うと、
横軸の色の変化がグラデーション
縦軸の高さがその色の強さ
を表しています。
つまり、強度はある1点で特出して強いわけではなく、グラデーションに乗ったなだらかな山になっていることが多いです。(もちろん例外はある)
これを踏まえて。
2.グラデーションはどこまで許されるか?~①を考える
私の中で考える性自認は女性とした場合のスペクトラムは以下のようになると考えています。
そして自分をレズビアンだとする場合、
①レズビアン
③元の肉体を重視するならレズビアン
④相手の性自認を重視するならレズビアン
⑤FtXで肉体を重視するならレズビアン?
となり、どこを基準とするかで変わってくると思います。
(これについて、詳しくは過去の記事をどうぞ)
ですが所謂世の中的には相手の肉体基準で同性愛か考えがち……。
そもそもレズビアンの定義が「女性同士の同性愛」なので異性を好きになるのは定義から外れるはず。
つまり、自分は相手のどの部分を見ているかを考えるべき。
ただ、「女性同士の同性愛」というのであれば、同性/異性の定義を考えるべき。
因みに、FtMはノンケ女性を狙え、という噂みたいなのがあります。
これは裏を返せば「レスビアンは男に興味はないです」ということ。FtMが好きなレズはいないとか、それはバイなのでは?とことにもなります。
確かに好きに性別は関係ない(といいがち)ですが、同性愛者ほど性別にこだわる人はいないとも言われています。
これらのことから、私は異性を好きになってはいけないとは言わないが、性別についてもう少し考えたらどうか、と思います。
3.グラデーションはどこまで許されるか?~②以下を考える
ここいらでやけくそになったので(笑)まとめて。
・MtFだって男らしい服を着たくなっていい
⇒女性として生きたいけど男性として抑圧されているのであれば当然の内容では?
・アセクシュアルだって誰かを好きになっていい
⇒そもそもセクシャルとロマンティックを混同しているのでは?
Aセクは性的魅力を感じないだけで恋愛できるよ。
・ストレートの男性だって男性に恋していい
⇒付き合ったらバイセクシャルにならない??
要はあなたの恋愛感情は自由だよ!!と言いたいんだろうけど、何かしらラベルを付けてから「例外になっても大丈夫」というのは、根本的な定義と矛盾しない方がいいんじゃないかと思いました。
何処かに所属したい気持ちはわかるけど、あと出しじゃんけんというか、実はこう実はこうって設定変えまくっているものに似ているというか、個人的にはとてつもなくもやもやしました。
因みに私の知り合いに元ツイを紹介したところ、格闘技で「凶器使うのも技」って言いそうなやつだなと仰っていました。
確かに。
4.雑なまとめ
さて、まとめです。
・性別はグラデーションというのははっきりとした区別はないけど、どこかしらに強い強度がある人もいる。でもそれがずっと揺らいでいると「気分による」バイセクシャル(やパンセクシャル等)となるのでは??
・また、揺らぐを前提とするなら、なるべく根本的なもの、振れ幅が狭いものを「性的指向/恋愛的指向」とするのがよいのでは。
そして定義には何かしらの理由があるから定義なのだと思います。
なので、揺らぎもある程度必要ですが、根本的な定義をちゃんとしたうえで、自分のことを発することが色々とお互いか傷つかず、理解もできる一番の近道だと思います。
以上です。
ま、ムズカシイネ。