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マイナーの中のマイナーな人間である私の話
こんにちわ、りくとです。
今回は自分の好きなもの、ではなく自分の話をします。といっても、あまり重苦しい雰囲気もなく書きたいと思います。
この記事の内容について色々感想があったりするかと思いますが、主張については全て「※個人の見解です」という注釈をつけさせてください。
活動家ではない人でもこんな人がいるんだ~っていうのを知ってもらえればうれしいです。
また、私はこの分野の専門家ではないので(一応調べてはみますが)一個人の感覚として読んでいただけるとありがたいです。
①私のセクシャリティについて
最近の言葉でSOGI=Sexual Orientation & Gender Identityというものがあります。
SOは性的指向。簡単に言うとどういう恋愛をしたいか。
GIは性自認。自分の性別についてどう思っているか。
ここで、私はプロフィールに
[L]GBT
という記載をしています。これは、所謂セクシャルマイノリティのなかでL=レズビアンであること、を表しています。
また、私の性自認は女性なので、シスジェンダーです。なので日常生活では特に苦労はしていません。
男性嫌悪、とかもなく一緒にご飯を食べたりしますし、イケメン俳優だって好きです。
でも、手をつなぎたい、恋愛をしたいと思うのは女性だけなのでレズビアンなのだと自分で思っています。
これ以降は私は「性自認は女性で、性的指向は同性愛者である」ということを前提に読んでください。
②ありのままとは何か?
今回、私がこの話をすることになったきっかけの記事を紹介します。
この記事の中で私が注目したのは以下の言葉です。
"「私の体験談でしか話せませんが、カミングアウトした方がいいと思うことが、まずなかったですね。特に私の場合、性自認は女性で女子チームに所属していることに違和感がないし、言わなくても特に問題がなかったんです」"
これは、私の肌感覚ですが今の風潮と少しずれていると感じましたが、私はこの言葉に大いに共感しました。
なぜなら、私も現在の日常生活においてカミングアウトをした方がいいと思うことがないからです。
私は去年まで大学院に通っていましたが、そこでなぜカミングアウトする必要性があるのかと疑問がありました。
私の研究にセクシャリティは関係ありません。配慮されるものがないからです。
逆に「こいつはレズビアンだから」という理由で何かしら配慮されたらそれはそれで嫌だな、と思います。最近の女性蔑視発言に通じるところがありますね。
ただ、仕事内容によっては女性としてのバイオリズムが関係する場合があるかもしれませんし、(出産の予定はありませんが)人体に影響のあるものと接する可能性もあるかもしれません。それはセクシャリティに関係ないことです。
最近は「ありのままの自分を知ってほしい」という理由でカミングアウトをした、という記事をよく見ます。
例えばトランスジェンダーなら(自分が思っている)本来の自分ではないから実はこうである、というのを表現した方がいい場面があるかもしれません。
ですがシスジェンダーだとそうでもないのかな~と思います。
このことから、私はありのままという言葉について「(自分が見せたいと思う部分の)ありのままの自分を見てほしい」と感じてしまいます。
ありのままの自分を見せてどうしたい?と思ってしまうからです。ありのままの自分を見せて回りに気を遣ってほしいのかどうなのか。
セクシャリティに関係ないありのままの姿は万人に受け入れてほしいのか。
(これについては私にはいじめられた経験があるせいかもしれませんが今は割愛します。)
別に自分が女性を好きだからと言ってコイバナができないわけじゃない。恋愛相談だってされます。
女性が好きだが行っている行為は恋愛だからです。デートだって行きます。楽しく長電話だってするしラブレターも書く。一緒にフレンチのディナーだって行く。
なので「付き合っている相手の性別によって変わる恋愛」があるのかがわからない。あるとすればバレンタインデーはどちらがあげるか、プレゼントの内容くらいじゃないかなと思います。
よく聞くのは「付き合っている相手が女性だというのを隠したくない」というのがありますが、私別に隠してないですよ。男とも言っていないけど。
だって恋愛で行う行為は恋人と行っているんだから。
ありのままの自分は受け入れてほしいけど、他人のありのままをすべて受け入れられるかと言われればそうでもないかもしれない。
だから他人に「ありのままの自分を受け入れてほしい」ということ自体、おこがましいというか押しつけがましい気持ちがあるように思います。
確かに恋愛相手の性別は拘るけど、恋愛の内容は一緒だからね。
某大学のアウティング事件はありのままの自分を受け入れてほしいという欲があふれて起きた事件だなと思っています。私はあの事件は(結果的には)受け入れ側の重荷になりすぎてしまったのではないかと思っています。
また、自分のありのままを受け止めてくれたとしてもじゃあなんでもしていいかと問われればそうではないと思います。
そういえば、私は院生時代の友達にはカミングアウトをしている人がいますが「そういえば彼氏って一度も言ったことなかったね」と言われました。
でもその子との会話でレズビアンだから、って話題にあがることなんてほぼ皆無です。結局そんなもんです。
なんでカムしたか覚えてないな~。
③私の考える処世術
最後にですが私の考えるかわし方を書いておきます。と言っても、セクシャルマイノリティ関係なく普通の内容です。
・好きな異性の芸能人についての質問
→マイナーな俳優や、人間として尊敬できる、演技が素敵な人を答える。
これに関しては付き合いたいという意味や顔が好みとかではなく「何か一芸に秀でている」「頭が良い」「踊りが上手」「コミカルな演技が面白い」などで答えています。
また、ハリウッドスターや舞台俳優、外国のスポーツ選手などテレビにあまり出ていないよな人を答えるとあまり追撃されません。
私の場合は若手のアイドルなどを答えて「面食いだね」と言われておしまいです。
・恋愛観、好きなタイプについての質問
→内面のタイプで答える。
性格がいい人、などではなく価値観が合う、その価値観についても具体的だとちゃんと人と恋愛の話ができます。
私の場合は「自分の興味がない時でも興味があるふりをしてくれる人」とか「ゲームに課金してマウント取らない」とかそんな感じの答え方しています。
また恋愛に興味がなくても人間的に好きなタイプや友達として一緒にいたいタイプを答えるといいんじゃないでしょうか。
・結婚についての質問
→「今は忙しい」or「ふふ、いい人がいいたらいいですね~こればっかりは縁なので」
前者については今は恋愛どころじゃない、現在を満喫中であるというニュアンス。後者については「その縁は無理やりつなぐものではないですよ」と暗にアピールします。人を勧められるときもそうです。自分のプライベートにはそういう隙間がないと主張することが大事です。
因みに私は恩師に「学歴がある女性は男性が敬遠するからね……」と言われたことがあります。学歴は私のアクセサリーじゃないのでそこに寄ってくる人間は興味ないですが。
また、当事者としてコイバナをする場合「恋人」「付き合っている人」というと「相手を偽っているのではないか」と考える人がいます。例えば彼女がいるのに彼氏というのであれば敢えて性別を強調しているのではないか?と思いますが、恋人や付き合っている人であれば「相手は人間である」こと以外は何も間違っていません。(それ以外の場合もありますがそこは保留とします)
そこで主張するための性別にこだわって悩んでしまうよりも自分の恋愛感情に対してポジティブな印象を与えると変な絡み方はされないと思います。
④私が思うセクシャリティとは
私が思うセクシャリティは付箋のような簡単な目印だと思います。私という人間を補足するいくつかの付箋の中の一つ。
でも現在はその目印が本質となっているような気がします。
トランスジェンダーの〇〇。同性愛者の〇〇。
それが活動内容として本質をなしている人なら分かりますが、業績をあげた人でもカミングアウトをした時からラベルが本質になってしまう気がします。(報道の仕方のせいかも)
少なくとも、マイノリティであるからその相手の考え全てを賛同できるとは限りません。逆もしかりです。
私がこの記事を書くまでに初めてのnote以降、4本の自分の好きなものについての記事を書きました。それは私のセクシャリティとは全然関係ありません。
セクシャリティなんてそんなものです。私はマイノリティであることにプライドとやらはなくて、他にこれが好きあれが好きこういう学びを得てきた、こういう経験をした。そちらの方に誇りがあります。好きになる相手の性別が同じだけで好きになる人の条件は恐らく異性愛者と同じだと思います。
なので、セクシャリティなんておまけ程度に考えて、その人の本質をとらえてほしい。
いずれ、「付箋程度の補足」として各個人のジェンダーが語られる日を待っています。
※これは全て個人の見解です。世の中には考えはたくさんあるのでお互いの考えが尊重できるといいですね~~。
他にこういうことどうなの、とかあれば一方いただけると嬉しいです。